人生には、ただ辛抱するより他にない時があります。
今はただこの状況にとどまるしかない
伏して時が過ぎるのを待つしかない
辛抱、辛抱。
そんな時。
今、あえて「辛抱」という言葉を使いました。
似た言葉に「我慢」と「忍耐」があります。
どう違うのか、辞書的な意味は知りませんが、私はそれぞれに違う解釈を持っています。
「我慢」は
他人や外側の事情のために
自分の気持ちや欲求などを
押しつぶすこと。
「忍耐」は
自分の願いや欲求を果たすために
外側の状況に耐えてふんばること。
そして「辛抱」は
辛い切ない悲しいしんどい・・・
などのネガティブな気持ちを
嫌がらず切り捨てず
自分の心の内に味わいながら
ホールドすること。
「辛さを抱く」と書きますからね。
あくまで私の解釈ですが。
3つは似てるようで
微妙に違います。
私としては、
「我慢」は自分を失っていくから
やめた方がいいと思う。
それは他人のためのように見えて、
実は
自分が責められたくないとか
嫌われたくないとかの、
自分の保身のためであったりするもんです。
そういう我慢をして
人生が豊かになるとは、
私は思っていません。
でも物ごと成すのに
「忍耐」は必要です。
一回ちょっとやったぐらいで
うまくいくことってそんなにないし、
本気でやろうとしたら
困難や障害は付き物。
そこで自分の願いを通すためにこそ、
忍耐しながら次の手を探したり
適切な時を待ったりするんです。
そして「辛抱」。
これは私は嫌いじゃないですね。
いわゆる「ネガティブ」
といわれる感情も、
ただ味わうべき時がある・・・・
という解釈をすることで、
いろいろなことを
切り捨てずに抱き抱える
懐の広さを
養えるような気がします、
それは、
あるがままの現実を認める
という境地に近いのだろうと思います。
そうなっているものは、
そうなんだよ。
あるってことは、
あるんだよ。
ないもんは、
ないんだよ。
寒いものは寒いし、
痛いものは痛いんだよ。
そりゃ、やだけどね。
みたいな。
でも、その「やだ」に
あんまり執着しないかんじ
っていうか。
味わいつつも、
距離がとれているクールさが
匂うのが「辛抱」ではないかと。
で、じゃあ今の自分の状況が、
我慢なのか、
忍耐なのか、
辛抱なのか?
っていうのは
個々人の解釈だし、
自分でよく感じてみることですね。
そして、どの解釈を採用するかは
自分が選べることなのです。
「させられてる」のではなく
「自分が選んでいる」
というその意識が
自分の生命力を
消耗させるか、
イキイキさせるか
の違いとなっていくでしょう。
「我慢」について、他にもけっこう書いてました。
「我慢シリーズ」笑、ご参考に。