幸せとは
最近、幸せだなーと思うようになった。
自分に合った土地で
自分に合った暮らしをして
ただ青空があって
樹があって海があって
太陽が照って
雨が降って
今日も夜が明けて
朝には鳥が鳴いて
猫がおはよう〜と寄ってくる。
風が吹いて、日が暮れて
ただそれだけで
あー幸せだなあ
って感じる。
自分の真実を開示して
人が共感してくれて
つながってくれて
あーありがたいなあ
って感じる。
それでわかったことがある。
「幸せになる」というのは
我慢をしなくなるということ
なのだ。
我慢さえしなければ
人はけっこう幸せだ。
「人生を変える」というのは
我慢してきた人生から
我慢しない人生へと変えるということだ。
「人生を変える」というのが
そんなにも難しそうに見えるのは
「我慢をやめる」ということが
そんなにも難しいことだと
思われているからだ。
我慢をやめるのは難しい
「我慢をするから
この世で生きていけるのだ」
というビリーフに
歴史的民族的にドップリやられていると、
「我慢をしなかったら
すべてがダメになって
この世で生きていけなくなる」
という恐れが発動する。
だから我慢はおいそれとやめられない。
我慢をやめるためには
波風を立てなきゃいけない。
けど、その波風が怖い。
ムリムリ!
それなら我慢を続けます!
って無意識に決めてる。
それで
どうやったら我慢を続けたままで
幸せになれるでしょうか?
という難しいお題を探求しているから
なかなか幸せになれない。
だから幸せって、なんだか遠いもの
みたいに思うんだよね。
でもたぶん、これって
そもそもが無理なお題なのだ。
それほど「我慢をやめる」ことは
怖いことである。
「そこにチャレンジするぞ!」
というのが
「人生を変えるぞ!」
という意思なんだね。
それは魂から発動した
勇敢な決意だといえる。
魂の自由を勝ち取る歩み
我慢をやめようとすると
たくさんのハードルが現れる。
◯◯したら、××になる
というたくさんの恐れのビリーフを
リセットして
自分の怖れに直面して
突撃して、突破して
自分の本心をえぐり出して
直視して、降参して
なまぬるい安定で
バランスしていた場所に
波風立ててかき回して
話して話して、聞いて聞いて
押して押して
受け止めて受け止めて
時に責められなじられ
しかしぐっと踏ん張り
筋力フルに使って
自分の足で立って、歩いて。
そんな「忍耐」の道のりも必要になる。
でもね、我慢と忍耐は違うんだ。
我慢は、自分に嘘をつくこと。
忍耐は、自分の真実を貫くこと。
我慢をやめるために、
忍耐しながら一歩ずつ
魂の自由を勝ち取っていく。
そんなハードな闘いの果てに
「我慢しない世界」にたどりつく。
自分に合った場所で
自分に合った暮らしをして
ただ青空があって
樹があって海があって
太陽が照って
雨が降って
今日も夜が明けて
朝には鳥が鳴いて
猫がおはよう〜と寄ってくる。
風が吹いて、日が暮れて
ただそれだけで
あー幸せだなあ
って感じる。
自分の真実を開示して
人が共感してくれて
つながってくれて
あーありがたいなあ
って感じる。
幸せって案外そんなこと。
そこに至るために
どうしてこんなにハードな闘いを
経なければならないのだろうね。
それが、今この時代なのだろうし
この時代に生まれ育った私たちが
体験して超えるべき課題
なのだろうね。