「傷ついた」は幻想である

「傷ついた」ってなんだ?

結論から言います。

みんな簡単に「傷ついた」って言い過ぎ。

「傷つけた」って言い過ぎねー。

 

あんなこと言われて傷ついた

あのことでとっても傷ついた

こんなこと言ったら傷つけてしまう

傷つけないように、こうしなくちゃ

傷つくのがこわい

傷つけるのがこわい

とかとか・・・

当たり前に「傷・傷」言ってることに
まずは気がついてみてください。

 

で、ちょっと待って。

傷ってどこにありますか?

具体的にどこが傷ついてますか?

じゃその傷、見せてみて?

 

・・・ないよね?

え? 心?

心に傷があるのか、ないのか
どうやってわかるかな?

どれのことを「傷」って言いますか?

 

今日は、普通レベルに言ってる「傷」という言い方の考察です。

深いトラウマレベルはまた別の観点もあるかと思うので除外しますね。

「傷」とは何のことか

つまりですね、

「傷」って言ってるのは、あくまでも「比喩」なんです。

比喩= たとえて言う言葉、ね。

 

「傷」というのは、本来身体にできるものです。

切った、刺した、擦った・・・みたいなことでできるのですよね。

で、痛い。血が出る。

それが本来の「傷」。

 

で、みんなが言う「傷ついた」は、感情のことですね。

まるで身体についた傷のように、痛いかんじがする感情。

まるで血が出るかのように、辛くて嫌な感情。

 

そういう感情のことを「心が傷ついた」って言ってるわけですよね。

そう、「まるで〜〜のように

それを比喩といいます。

だから、ほんとに傷ついてるわけじゃない、ってことに気がついてみてほしい。

そこで言ってる「傷」とはあくまでも「比喩的な言い方」ってことなんです。

「傷」とは本当はなんなのか

だって、ほんとに傷ついたんだものー

痛いんだもの、辛いんだものー

って思うかもしれない。

傷ついた人って、不快な顔や悲しそうな顔するじゃないのー

って思うかもしれない。

「ハートブレイク」という言葉もあるくらい、まさにハートが破れるかのような思いだってすることがあります。

しかし、「ハートブレイク」という言い方もまた「比喩」なのです。

 

じゃあ、あれってなんなのか。

「傷ついた」ではないなら、その本当の姿とは?

 

不快になった
嫌な気分になった
辛かった
悲しかった

ってことなんですよね。

そっちの言い方の方が、事実に近い。

「傷」というのは、ちょっと飾った言い方なんですよ。

飾りを剥がしたら、「嫌な気持ち」というただそれだけだったりします。

 

試しに、これまであなたが「傷ついた」と思っていたこと、その感情をよーく見てほしい。

比喩を剥がして、飾りを剥がして
あるがままを観たならば

不快になった
嫌な気分になった
辛かった、こわかった
悲しかった、がっかりした
突き放された感じがした
大切にされない感じがした
恥ずかしかった
みじめな感じがした
孤独な感じ、絶望的なかんじになった

・・・みたいな感覚だと思います。

つまりまとめちゃうと、総じて「不快」に類する感情のことね。

 

それが「傷ついた」と言っている感情の本当の姿ではないでしょうか。

で、

その感情を味わうことそのものを
とっても嫌がっている自分がいる

のですよね。

なぜなら、そういう感情は「あってはならない」ことであり「感じるべきではない」ことである、と固く信じているから。

つまり「ネガティブ否定」。

ネガティブ感情は、あってはならない

という、これまでの世界でほとんどの人が信じてきた「当たり前」なのです。

 

しかし「あってはならない」と言ってもねえ。

本当に「なし」で生きることなんて可能なんでしょうか?

あってはいけない感情

 

確かにね、嫌な気持ちって不快だし、できれば味わいたくはないですよね。

けれどこの世界、人間というものをやってる限り感情はついて回り、必ず「よい気持ち」があれば「嫌な気持ち」がある。

両者は必ずセットでついてくるものなのです。

この世界はそういうところだから。

「良い」を作れば「悪い」ができる。

それが二分割した世界の法則だから。

どちらか、って絶対にありえないわけです。

 

でも、絶対に

「嫌な気持ち」はあってはいけないんだ!
不快になってはいけないんだ!
がっかりした思いはしてはいけないんだ!

と思うからこそ、そういう思いをしてしまった、そのこと自体がまるで、傷がついたかのように ショックを受けるわけです。

そう、「傷ついた」は「ショックを受けた」と同義と思ってもいいですね。

 

自分が「傷ついた」もそうであると同時に、人のことを「傷つけてしまう」という恐れもまた同様です。

人が不快になったり、嫌な気持ちになったり、がっかりしたり、そういう気持ちを味わうことを認めていない。

人がそういう気持ちになってする「あの顔」が嫌なのですよね。

だから、そういう顔をしてほしくない。
そういう思いをしてほしくない。

それが人を「傷つけてしまう」という恐れの正体だったりします。

 

つまり、「傷つく・傷つける」を恐れている人が思い描いている世界というのは

私もあなたも誰もがみんな
いつも笑顔で元気よく
不快な感情、一切感じず
常に満足、ニコニコで
毎日毎日、24時間
オールウェイズご機嫌さん
でいてください!!

という世界です。

それが「傷つかない世界」ということ。

あり得ないでしょーーー?(笑)

ていうかそれ、つらくないですか・・・

「傷」とは不快の記憶である

だから、安易に「傷」っていうのはやめてみたら?

と私は思っています。

「傷」と言ったとたんに、とても重くて罪深いものになってしまう。

しかし実のところだいたいの場合、「不快」に類する感情にすぎないからです。

 

試しにこんどから「傷ついた」って言いそうになったら、「嫌な気持ちになった」って言い換えてみてください。

「あの人を傷つけそう」って言いそうになったら、「あの人が嫌な気持ちになりそう」って言い換えてみてください。

そこから見えてくる別の景色があるかもしれません。

 

私たちがよく言う「過去の傷」ってやつも、実は「過去の不快な感情の記憶」です。

そう、記憶。

過去の記憶を握りしめて「あの時不快だったー!!」と言い続けているのが「いつまでも傷ついている」の正体だったりもします。

 

もちろんね、自己探求の初期においては、いっぺんちゃんと「傷」と認めて、丁寧に扱って癒していく作業も大事です。

まずはそこから、っていう段階もたしかにあります。

 

でもって、そこをある程度やった段階にきたら、もう「傷・傷」言わなくていい。

要するに不快な記憶!
って見切っちゃいなよ

って、私は少々ドライにそう思いますね。

で、記憶なんだからあって当然。
なくなる必要もないです。

 

その上で、今現在、日々感じる小さな不快も、ちゃんと「そういう感情」として「あり」にして感じておけばいいのです。

「あー嫌だなあ」って感じていい。

それはべつに「傷」なんかじゃなくて、その時その件で「不快な感情になった」というそれだけ。

その「不快」が具体的にどういう感情なのか、もう少し精度を上げて感じてみてもよいでしょう。

 

その感情はいけないことでも何でもなく、そして永遠に続くわけでもありません。

数時間後にはもう忘れて、ほかのことで笑ってたりするでしょう。

感情なんてそんなものです。

不快を味わう権利

そういう「不快を味わえる自分」になれたなら、同様に「不快を味わう他人」のことも許せるようになります。

それはその人の、その時の感情。

すべての人は、すべての感情を
その人の責任において
味わう権利があります。

自分にも権利を。

他人にも権利を。

それがフェアというもの。

 

そして、「傷つける」を恐れるあなたが、いちばん原点に遡って見るべきは「親の感情」です。

あなたの親にも
すべての感情を味わう権利を
許してあげてください。

 

あなたが恐れていた「親が傷つく」。

あなた自身の言動によって、親が不快な表情になることが、あなたは恐ろしく、悲しかったのです。

それを「傷つける」という比喩で飾ってしまっただけです。

それは「傷」ではなく単なる「不快」。
それだけだったということ。

「傷」という呪いから醒めましょう。

子供のあなたは、親に「笑顔」しか許していません。

「不快」を許していません。

子供だったからしょうがないです。

でも大人になった今だから

あなた自身に「不快」を感じる権利を許すように、あなたの親にも「不快」を感じる権利を許してあげること。

そしてあの親は、あなただけのせいで不快を感じていたわけではありません。

あなたがいてもいなくても、不快という感情は、いつでもあるものです。

そのことを認めてみましょう。

 

それが「傷という幻想」に縛られた、痛みと恐れの世界から脱出する鍵です。

「傷」という言葉から距離をとってみた時に見えてくる、ありのままの「醒めた景色」を、ぜひ味わってみてください。

 

参考記事

 

 

 

 


この記事を書いた人

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大塚 あやこ

心理コンサルタント/講師/音楽家
一般社団法人ビリーフリセット協会 代表理事
ビリーフリセット・クリエーションズ株式会社代表取締役
 
東京芸術大学作曲科卒業後、アーティストのツアーサポートや編曲、アニメやドラマのサントラ作曲等を手がけ約20年活動。
音楽での燃え尽き体験をきっかけに、心理カウンセラーへ転身。
非合理な思い込みを外して本来の力を解放するオリジナルメソッド「ビリーフリセット®」を提唱し、人生の転機に直面した人を新しいステージへと導く個人セッションや講座を開催。「ビリーフリセットで人生が変わった!」という人多数。
カウンセラー養成講座も開催し門下の認定カウンセラーを多数輩出している。
現在はカウンセラー養成の枠を超えて「リーダーズ講座」として長期講座を開催。経営者やリーダー層からの信頼を得て、企業研修にも発展。企業向けオンライン講座「Udemyビジネス」で「はじめての傾聴」動画講座が登録者1万8千名を超えるベストセラーとなっている。

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