活動5年。ついにオリジナルアルバム録音のチャンスがやってきた。
これに乗らないはずはないでしょう。
しかし、実はその時点で、自分の中にヒタヒタと「油切れ」のような枯渇感があることを、うっすらと感じていたのだ。
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15年前、こうして私は燃え尽きた【PRISMIXストーリー1】
それでも全力でやるしかない
オリジナルCDレコーディングの話をいただいた時、「やった!チャンス!」と喜ぶ自分がいたのも確かだが、
そのCDのために新たに曲を書くか?ということを考えたら、自分の中では「それは無理・・・」と思った。
今はこれ以上、曲を書ける気はしない。
これまで作った曲をまとめる方向で良いなら、ぜひやりたい。
という意向を示して、CD制作が進んでいった。
それは息切れと言ってもよかったかもしれない。
おそらく、その前のアニメのサントラ制作という大きな仕事で全力を燃やし切ったことが直接的な原因かもしれない。
たぶん、疲れていた。
でも、疲れている場合じゃなかった。
こんなにまたとない「次」の話が来てるのだから。
だってこんなにやりたいことをやっているのだから。
ここはがんばらないと!
どこか心の底に潜んだ息切れのようなものを、無意識の奥に沈めて、精一杯やる気とヴィジョンをかき立て、段取りを組み、私はまた全力をかけていった。
メンバーの皆もとても協力的だった。
一人一人が独立して活動しているプロ集団ではあったけれど、PRISMIXを「興味深いグループ」として、単なる「お仕事」以上の気持ちとコミットメントをかけてくれているのがわかった。
そんな彼らと一緒にスタジオで音作りができるのが私はとても楽しかったし、そんな作業を一つ一つ重ねていって曲が仕上がっていくのがうれしかった。
完成後のCDプレスや流通についても段取りを考え始めていた。
そして、ついに完成!
そして
無念の発売中止。
風向きがおかしくなった
実はその後には、発売記念ライブのつもりで、いつものライブハウスの日程を押さえていた。
ライブはどうするの?
とりあえずライブまではやろう。
みんなで合意した。
「でも、そこから先、少し休みたい。」
そう私は言った。
メンバーの風向きは明らかにおかしくなっていた。
全員ではないが、私に対して厳しい物言いをしてくる人や、不満をぶつけてくる人がいた。
全部受け止めた。
私が悪いのだと思った。
私が足りないのだと思った。
私が直さなければいけないのだと思った。
私がもっと成長しなければならないのだと思った。
私がもっとみんなの気持ちをわからなければいけないのだと思った。
どんなに批判を受けようと受け入れ続けることが、リーダーがやるべきことなのだと思った。
辛かった。
今から思えば。
しかしその時は感じないようにしていた。
だって私が足りないのだから。
それで、2007年3月のライブを最後までがんばり、PRISMIXは休止になった。
時は流れて
当初は、少し休んだらまたできるようになると思っていた。
もう少し私が力をつけたら、その時が来ると思っていた。
近いうちに皆の元へ笑顔で現れて「待たせたね!またやろうよ!」って言えるのかな、と思っていた。
でも、いつまでたってもその日は来なかった。
私自身が「できる」と思えるようにはならなかった。
そのうち、もう「やりたい」と思うこともなくなっていった。
過去のこと。
終わったこと。
そんな時代もあったよね。
そうやって5年、10年・・・・
すっかり心理分野に転向し、自分の会社も作り、一般社団法人も作り、小規模ながらビジネスも軌道に乗って、ミュージシャン時代よりはるかに自由にお金を回せるようにもなった。
自分のCDを自社レーベルで発売することも何度かやった。
自分でやることで、流通システムや配信の契約などについても経験知を得ていったし、
何より法人という立場で動けることが、こんなにも実現力をアップさせてくれるのだという実感を得たことは大きかった。
人の心に関わる仕事というのは、日々クライアントさんや受講生さんたちに教えられて、自分自身もその都度メンタリティのアップデートが行われる、そんな側面がある。
そんな積み重ねによって私はすっかり、自分の感性や直感に対する確かな信頼と、相当太い「自分軸」を持った人として生きることができるようになっていた。
人生のシフトは大成功と言ってもよかった。
これで満足していてもよかった。
しかしさらに年月が流れて、2021年の暮れ。
私はふと気がついた。
それでもやっぱりまだ・・・だったのだ。
私は心の奥で「あの2007年の私」が、いまだに折れたままでいることを改めて自覚した。
やっぱりこれ、まだだ。
やっぱりこれ、なんとかしたい。
折れっぱなしの私、なんとかしたい。
そう思って私は、勇気を出して人の力を頼ることにした。