欲望、というと、それだけで良くないイメージがある人も多いと思う。
でもそうじゃない。
欲望とは、欲すること、望むこと。
それ自体に良いも悪いもない。
それがなければ、そもそも生命活動はありえない。
望みには2つある。
欠落感・欠乏感を根拠に、渇くように望むこと。
これを、渇望という。
これが、貪りやえげつない行動につながり、いわゆる「迷惑」といわれるのもこういうところからくる。
そして、本人も満たされることはない。
ずーーっと欠落と欠乏を感じ続けているから、「足りてる」と感じたことがない。
「足るを知らない」とはこういうことだ。
「足りてる」と感じたことがないから、
どこまでも欲しがり続け、貪り続けることになる。
これが「煩悩」と言われるわけだね。
それがすごくヤなかんじなんだよね。
だからみんな一律に「欲望は良くない!」って言っちゃう。
でも、もう一つの望みがある。
充足感・満足感を根拠に、命が活きたいように望むこと。
これを、活望という。
はい、私が作った言葉だけど。
命は本来、思い切り生きたいし、生きようとするものだ。
命の力は元々完全に満ちている。
アタマが否定さえしなければ
存在全体は満ちているものなのだ。
元々、充足している。
そうやって元々足りていることを知っているのが
「足るを知る」ということ。
だから命は、もっと生きたくて
さらに活きたくて
欲して、望む。
それが活望。
生命力を解き放たれた野生の植物が、どこまでも伸びて栄えていくように、
人の命も本当は、どこまでも伸びて栄えていくものだ。
それをさせるものが活望。
それを否定したら、生きていないも同然だよね。
でも人間界は長いあいだ、それを否定させるようなプログラムにやられてきたっていうのもある。
生命力を解き放たないように。
活き活きとしないように。
そこまで伸びないように。
そのために、欲を持つことを「わがまま」などと言って、いけないことだと信じこませる。
そんな力だって働いてきたからね。
でも、もうそんな時代は終わりにしよう。
いのちは生きるためにある。
生きているから
活きたいから
望んでいい。
欲していい。
満ち足りた心を思い出して
どこまでも望み
欲する。
それは自分を活かすだけでなく
人もまわりも活かすだろう。
欲望=悪 ってだけとらえるの
もうやめようよ。
自分の中に起こる
欲も望みも認めて
渇望から活望へ。
参考記事