私たちにとってやっかいな感情・・・怒り。
怒りの感情とどうつきあえばよいのでしょうか。
いくつかの考え方をご提案するシリーズ2回目です。
さて、今日ご提案する考え方は、
感情には製造元がある
ということです。
■感情の前に「観念」がある
「怒り」というのは感情の一つです。
感情は、何もないところから突然生まれるわけではありません。
実は、感情が生じるその前に、
もっと心の奥にある「観念」というものが発動しています。
観念とは、埋め込まれたプログラムのようなものです。
「こうするべき」とか「こうで当然」とか
人によってそれぞれの「当たり前」になっています。
通常自分では意識できませんが、
気づかないところでこれが自分なりの判断基準となって
いいとかダメとかの振り分けが行われ、
それによって感情が呼び起こされるという仕組みになっています。
出来事や他人の言動が
この観念という基準にまず触れて
瞬時にいいとかダメとかの判断を下し、
ダメと判断されたものに反応して「怒り」という感情が生じる、と。
超スローモーションで見ると、そういうことになっています。
つまり、観念が先。感情が後。
観念が感情の製造元ということです。
図にするとこんな感じです。
■怒りの真の原因は、自分の側にある
私たちは怒りの理由を
「アレがこうだから!あの人がああだから!」と
外側の出来事や他人が原因であるかのように思ってしまいますが
実は出来事や他人は、「きっかけ」にすぎません。
それを受け取った自分の観念が、
その出来事を「ダメ!」と判断したからこそ
それに対して受け入れ難い感情が
「怒り」となって出てくるのです。
そういう意味では、
怒りの真の原因は「自分の側」にあります。
なぜなら、同じ出来事を見ても
べつになーんとも思わない人もいるからです。
その人の「観念」の「ダメ基準」には抵触していないのでしょう。
同じことを見て自分には怒りが出るとしたら、
それに抵触しているのは自分の観念。
それは、たとえるなら「地雷」です。
埋まってるから外からはわからないけど
何かが触れるとボカーーン!!といくんです。
他人には、あなたの地雷が埋まっている場所など
わかりません。
だから、ふとした拍子にそれを踏んでボカーーン!!
「俺を怒らせやがって!!」とかいう人もいるけど
そもそも地雷を持っているのは自分自身なのです。
だから。
怒りの感情だけを問題にして
「怒っちゃいけない」
「こんなふうに感じちゃいけない」
とかなんとかしようとしても、キリがないのです。
その製造元をつきとめないと。
製造元にある「観念」。
ここが変わらないと、あなたはいつまでたっても
同じような出来事に
同じように反応して
同じように怒って
同じように相手を傷つけ
同じように自己嫌悪・・・
そういうサイクルを続けることになるでしょう。
■「自分の地雷は何?」という問いかけ
そのために。
まずは、前回述べたように
「自分の中に怒りの感情があるなー」と認めたら
次は
「自分の何に、触れているんだろう?」と
考えてみましょう。
相手や出来事という「他」ばかり見てしまう目を
ちょっとこっちに向けて。
自分の心。自分の側を見る。
「何が自分の地雷なのだろう?」
と、問いかけてみてください。
まずそれは
「こうするべき」「こうであるべき」
「こうしなきゃダメ」「こうだったらダメ」
などの「自己基準」である場合が多いです。
すぐにはわからないかもしれない。
でも、時間をかけても
一歩ずつでも
問いかけ続け、
自分の内側を感じ続けることが
感情とのおつきあいがうまくなるコツです。