どうしたらいいんだろう?
どうすればいいですか?
これだったらいいのかな。
こうすればいいんですね!
私たち、しょっちゅうこうやって「いい、いい」と言ってますが。
私ときどき思うんです。
ん?「いい」ってなんだ?
自分、どういうことを「いい」と言っているんだろ?
その「いい」とは何を指しているのか。
「いい」の内訳とは何か。
立ち止まって考えてみるとね。
意外となーんにも考えずになんとなく
「いい、いい」って言ってたりするなー、と。
でも、あえてよく考えてみます。
こうすれば「いい」
の「いい」とはなんだ?
まずは
うまくいく
正解
安全
得をする
ほめられる
和が保たれる
安心できる
気分よくいられる
みたいなことなんじゃないだろうか。
そして、それは逆にいうと
失敗しないですむ
間違わない
危険がない
損をしない
怒られないですむ
けんかにならずにすむ
ハラハラ・ドキドキしない
気分悪くならない
ということかもしれない。
やっぱり私たち人間は
少しでも「いい」を求めたい性質があるんだなーと思いますし、
何のことを「いい」と定義しているのか、
それは実は、人によってさまざまなのかもしれません。
しかも、自分が実際何を「いい」として何を「だめ」としているのか
実はほとんど自覚していませんね。
でも、当たり前のように「いい」を求め、
「だめ」を避けようとしてるもんなんですねー。
ここ、思考のプログラムのおもしろいところ。
とはいえ、実は求めていることは、だいたいの場合
「苦を避けて快を得る」ということに尽きるのかもしれません。
「快」がいいこと。
「苦」がだめなこと。
そう考えてみると、
なーんだ、結局「快・苦」の二元だよな。
って、
なんだか実はたわいのないものにすごく動かされている自分のたわいなさ・・・
みたいのを感じたりもします。
またこのことは、人が求めていることの性質・目的の違い、という意味で
A.マズローの言う「欲求段階説」のレベル(段階)とけっこう関連があると思うのですが、ここでは詳細は割愛します。
そんなわけで
どうしたらいいんだろう?
どうすればいいですか?
って思う時。
自分にとっての「いい」とはどういう状態を言っているんだろう?
自分は究極のところ、何を欲しがっているんだろう?
自分の安全?
人に受け入れてもらうこと?
自己価値を感じられること?
自分のヴィジョンが実現すること?
世界中みんながハッピーになること?
さあ、自分が求めている「いい」っていったいなんだ??
そんなことを考えてみると、ちょっとおもしろいし、
アタマがゆるんで視界が開ける可能性があります。