ヒタヒタと押し寄せる異質感
昨年の暮れ、関東近郊の地方都市へ向かって旅をしていた。
今回の旅は車で。
鎌倉を出て、横横〜湾岸〜首都高・・・といろんな高速を乗り継いで走っていたわけだが、
都心から離れるに従って、道路における自分の居心地が変わってくるのを感じた。
う、わたし、異質・・・
という感じ。
なぜなら、周囲はほとんどが国産の白い車ばかりになっていたからだ。
たまにグレーか黒。
赤なんていないし、イタリア車どころか、そもそも外国車がいない。
ごく稀に、白のベンツが走り抜けたくらい。
ちなみに私は、赤のアルファロメオ・ジュリエッタである。イタ車である。
やばい、、、目立ってますよね?
調子乗ってる何じゃアレ?って
思われてますかね、、、
うお、やばいまずい、、、
おお、なんだこのやばい感は。
なんで目立つのはやばいのだ。
日頃そんなこと思ったこともないのに
わたし目立つの別にOKで
異質上等で
周りの目とか気にするタイプでもないのに
なんでここではこんなに居心地悪いのだ。
あー、ニッポン。
これが平均的日本の地方の同質的空気ってやつか、と思った。
その抑えめのエネルギーが空気の中にヒタヒタと入り込んでいるのを、私の本能センサーがキャッチしたのだと思う。
クルマの色はあくまでも表層であり象徴である。
その現れの奥に、もっと本質的・根源的・歴史的な、同質性の空気というものが横たわっていることを私は直感で感じていた。
日本人の同質性・同調性
ほとんどの日本人は基本的にみんな、目立たないように、飛び抜けないように、無難でいることを最上の生きやすさとしている。
その裏には
ちょっと目立つとヒソヒソ言われる
よく思われない・・
といった恐れが、背中合わせで張り付いている。
文化のるつぼのような都心部より、昔ながらの単一性の保たれている田舎の方がその傾向が強いようだ。
私は高速道路上で、そんな空気を感じながら「ああ、これかー!」と得心した。
クライアントさんや受講生さん、みんなが口走ってる普遍的なビリーフに
「目立ったら叩かれる」
というのがあるのだけど、こういう空気感の中で暮らしてると、そりゃあそうなるわなあー。
そしてそれが平均的な日本。
ここ関東近郊でさえ僅かなりともそれを感じるんだから、もっと離れた地方なら推して知るべし。
コロナ陽性者が自殺や一家離散に追い込まれるという怪談のような話も、こういう空気の延長線上にあるのだと窺い知れるような気がした。
ちなみにこれは、地方の皆さんを悪く言っているわけではない。
一つ一つの場所はどこも良いところで、一人一人は皆さんほんと、まじめで良い人。
良い人であるがゆえに、依然として残る昔ながらのニッポンのムラ社会的、見えない同質的同調的空気に合わせて身を縮こまらせているのだとしたら「ああ、お気の毒」と思ってしまう私がいる。
そう、同質、同調。
何県とか誰がとかいう話を超えて、文化としての同質強要・同調圧力が私は苦手なのだ。
「和をもって尊しとなす」に代表される、融和的な日本人の精神性はすばらしいものであるのは確かだが
それが裏返って不健全になると、同質強要・同調圧力となって人の心を縛るのだ。
個であることを許さない偏狭性となるのだ。
そこでは「嫌われる・叩かれる・外される」という恐怖をともなうから
せっかく「自分の個性を表現したい」「個として自分を生きたい」と願った人も、その恐怖の前に一歩も進めなくなるのだ。
結局、自分を押し殺して我慢したまま、埋もれて一生を終える人がほとんどだったりする。
私はそれが残念でならないから、人生転換のお手伝いをするビリーフリセット・コンサルタントとして、いつも
そういうビリーフを外して
勇気を出して前に出ようよ!
その自分でいいんだよ!
自分を出していいんだよ!
と言ってきた。
多様性を受け入れる土地柄
でもね、今回自分の「派手な車」(笑)で地方を走ってみてわかった気がする。
ああ、私はそれが簡単に言えるような「特殊な土地」にいたんだな、ってことが。
目立つの別にOKで
異質上等で
周りの目とか気にしない
そんな生き方がわりと簡単にできたり、人に対して簡単に言えるのは
もともと多様な人がいるとか
多様性のある文化を受け入れる土壌があるとか
「個」として生きている人が多いとか
そもそも私程度なんかべつに異質のうちに入らないとか
そういう「土地の空気」ゆえ、というのが大きかったのだ。
私がこれまで20年住んでいた東京、しかも文京区や港区などの都心部。(まあ港区は特殊中の特殊だわな)
それ以前に、生まれ育って、のちに戻ってきて今いる鎌倉もまた、昔から文化人や芸術家が多く住み、個を尊ぶ文化性が濃い土地である。
そんな中にずっといたら、そりゃあ簡単にそういうこと言えるようになるわな、ってことだ。
あのムラ社会的、同質性や同調圧力の恐怖を感じずに暮らせてるもんな、ってことだ。
しかし、日本全体から見たらそっちの方が特殊なのだってことを、自分もわかっていた方がいいな、って思った。
逆にいえば、だからこそ私には私ならではの役割があるということでもあるのだけれど。
ああ、多様性!
さて、旅も終わりに近づき、鎌倉への帰り道。
白い国産車ばかりだった道路が、都内に入り、神奈川県に入っていくに従って、いろんな色が増えてくる。
外国車もだいぶ増えてくる。
休憩で横浜・大黒PAに入ったらば
あらま、珍しいスポーツカーやこだわりのアメ車、よくわからない改造車などが色とりどり、百花繚乱(笑)
なんか集ってらっしゃる方々がたくさんいるのですねー。
ああ、いいわー!
多様性、自由、個性、好きなものの表現。
さらに鎌倉に戻ってきて、あらためて気がついた。
走ってる車、家々に停まってる車、白が極めて少ないのだわ。
それぞれこだわった色、車種、いろんな国の車。
べつに白がダメで色がいいと言ってるわけじゃなくて
この多様性がめちゃくちゃ安心するよ私、と言っている。
ああ多様性。
同質じゃなくていい。
同調しなくていい。
顔色見て周りに合わせなくていい。
好き好きでいい。
この空気、この文化。
やっぱり鎌倉のこのゆるさと自由が好き。
私はこういう土地じゃないと生きられないやー。
なので私はこれからもそういう土地に住むと思うのだけど。
土地の影響は大きいよ
で、皆さんに何を言いたいかというと
土地の影響は大きいよ!
っていうこと。
無自覚であればあるほど、その空気に瞬時に呑まれ、縛られることになる。
で、そうとは気づかず「自分がこうだからだ」と悩むことになる。
でも実は
土地のせい、地域のせい、家のせい
かもよ?
つまり
人の目が怖くて、周りばっかり気にして、自分を出せない、自分を生きられない、ほんとは思い切り自分を生きたいのに・・・
と言っている人。
それはあなた一人の個人的な心がけやビリーフの問題だけじゃないかもしれない。
その土地にいたらそうなるよ!っていう種類のものかもしれない
ってちょっと思ってみたらどうだろうか。
だとしたらね、その土地にいたまま我慢を重ねて自分と格闘しているより、住む土地変えてみたらどうでしょうかね。
もっとあなたが、安心して息を吸える土地。
自分を抑え込まなくてものびのびできる土地。
本来の自分の性質に合った土地。
それは必ずしも、今いる場所や生まれ育った場所とは限らないでしょう。
まずはそこから変えてみるのも一つの手だとは思う。
そういう目で、今いる土地の「空気」をあらためて観察して自覚してみるのもいいのではないかと思う。
自分はどういう場所にいるのか。
地縁、血縁、会社
そんなものが個人を縛りつけていたのは、とっても「地の時代」的だったよね。
多くの人が「だって動けない、しょうがない」と言って諦めていた。
でも、もういいんじゃないですか。
風にのって運ばれるタンポポの種のように
自分にふさわしい場所へと流れていく、運ばれていく。
合わないところからは離れていく。
自分に合った場所で、合った人たちと、つながっていく。
その場所に、根づいていく。
もう違うなと思ったら、また流れていく。
そんな選択も、ありになってくるんじゃないかと思う。
ふと訪れた土地で、道路の様子が違う・・というところから発した問いと考察であった。
ちなみに2018年の統計によると、
<乗用車の塗色別保有台数>
1位 白(ホワイト系)/47.55%
2位 灰(グレー、シルバー系)/20.61%
3位 黒(ブラック系)/15.40%
<メーカー別保有台数(乗用車)>
1位 トヨタ自動車(47.39%)
2位 日産自動車(14.93%)
3位 本田技研工業(14.21%)
だそうです。
やっぱりねー。
これが日本!
参考記事(別ブログ)