私たち人間は無意識に自分のことを「あっていい自分」と「あってはいけない自分」に振り分けています。
たとえば、明るい、優しい、正しい、ポジティブ、思いやりがある、役に立つ、できる、しっかりしてる、がんばる、笑顔・・・
そんなもの全部兼ね備えた「いい人」。
そういう人は、OK!
そうなれたら最高!
そんな私ならみんなに好かれそう。
そんな自分だったら自信が持てる。
無意識にそんな思いがあります。
それが「あっていい私」です。
反対に、暗い、いじわる、間違い、ネガティブ、役に立たない、できない、だらしない、なまける、怒る・・・
そういうのは良くないこと、悪いことだと思っていますね。
そうなっちゃダメ。
そんなところは無くさなければならない。
そんな私がバレたら嫌われちゃう!
そうはなりたくない。
それが「あってはいけない私」です。
だから、なんとかして克服しようとしたり、変えようとしたり、隠そうとしたりしたくなります。
こうして自分の中で「あっていい/いるべき良い自分」と「あってはいけない/いるべきでない悪い自分」が分割されます。
自分の中に「悪い」があるって、すごく気持ち悪くて嫌なものです。
だから「こんな自分は嫌い!」って思うし、そんな自分なんか見たくも考えたくもない。
多くの人はそうなります。
ゆえに、この「あってはいけない自分」というのは、意識に上らないように、見えないように、感じないようにフタしていることがとても多いです。
つまり「ないこと」にしてるってこと。
見ない、触れない、感じない、考えない。
ないですからーーー!!
ってがっちりフタしてること、これを抑圧といいます。
そしてそのフタの奥で「ないこと」にされたものを「シャドウ」と言います。
「あっていい」が光ならば、「あっちゃダメ」が影。
それがシャドウです。
しかしですね、それで解決しないんです。
ほんとはね。
ないことにしたからと言って、ほんとになくなるわけじゃないんです、残念ですが。
ないことにしたものは、形を変えて、別のところで暴発したり、ねじくれた形で現れたりします。
「ないことに」していることこそが、苦しみや悩みや問題を作り出してしまうのです。
生きづらい、苦しい、しんどい、自分らしく生きられない・・という人は、
「ないことにした自分」ていうのがたくさんありすぎる人。
「よい人でいなければ!」が強すぎて、良い人100%にしようと頑張りすぎの人だといえます。
そうすると、ものすごく生きづらく、自己肯定感は低いままです。
「よくあらねば!」「よい人でいなければ!」と力を入れれば入れるほど、そうではない自分というものが大嫌いになります。
自己嫌悪地獄です。
自分の中にないことにした「悪」に、自分が脅かされることになるのです。
それが、悩みや問題。
時に他人として、または出来事として、事件として、現れてきます。
やっかいですね。
じゃあどうすればいいの?
ないことにしたものを、「ある」って認めればよいのです。
「ありません。しりません。見えませーん」
てしてたそれらのこと、
まずは「ああ、これか」と見ること。
見て、「ああ、あったんだ」と認めること。
どんなに悪くても、汚くても、ヒドくても、傷だらけでも。
暗〜い押入れに光も当たらず押し込まれていたそれらに、
まずは戸をガラーッと開けて
パーッと光を当てて、風を入れること。
なくなれー!なくなれー!
消せー!なくせー!
と撲滅運動していたそれらに対して
あっていいよ。
いていいよ。
だってあるもんね。
ってしてあげること。
それだけです。
さらに、そもそも良いと悪いの2つに分けていたその基準が、実はなんと曖昧で基準のない、漠然とした思い込みであったかに気づくこと。
その、良い/悪いにバキバキ分割していたそのルールって、いったいなんだったの!?って、頭をリセットすること。
そもそも2つに分けなければ、もともと1つ・全体であったことに気づくこと。
そこなんです。
それを「統合」といいます。
亡き者にしようとしていたあらゆる自分の要素、パーツに、居場所を与え、善だ悪だと序列をつけず、フラットにあるがままにさせておくこと。
あるがままにそこにあっても、全然大丈夫だったことを知ること。
その心境を、体験するのです。
「あ〜、これか〜」 と味わうのです。
それが、生きづらさや苦しみから抜ける道です。
カウンセリングでやっていることというのは、そういうことです。
カウンセラーとは、そういうことをお手伝いする仕事です。