1.楽になる段階
多くの人は、悩みや苦しみや不自由を感じて
どうしようもなくなった時
「これっていったい何なの!?」という
探求の心が芽生えます。
その探求の心が自分自身に向かっていくと
自分との対話が起こり始め、やがて
その悩み苦しみが「解ける」
ということが起こってきます。
それが解けると、とりあえず楽になります。
解ける、というのは
それまで「ある」と思っていた
自分の欠陥やら汚点やら罪やらが
実は「なかった」ことに気づく
ということなのです。
つまり、そんなものが「ある」と思っていた
誤解が「解ける」ということです。
それで「なあーんだ、これでよかったんだ」
と楽になるのです。
これが第一の
楽になる段階。
悩みが軽くなる状態。
よかったね!
でもこれで終わりじゃありません。
自分との対話はまだ続きます。
2.自分の中の宝を受け取る段階
やっとちょっと楽になったら
次は自分の中にある「宝」を
見ていく目線に変えていきましょう。
それまで「ない」と思っていた
自分の強みやら美点やら力・・・
つまり本来の宝・価値が
実は自分の中に「あった」ことに気づく。
気づいて、認めて、受け取る。
そういう段階です。
これも実は
慣れていない人にとっては
怖いことなのです。
これまでは無意識に
「そんなものがあったら困る」
という世界で生きてきたから。
そんなものがあるって認めて
そうよね!と受け取って
胸を張ってそれを世間に出していく
なんてことは、無意識の世界では
これまで「御法度」だったからです。
そんなことをしたら生きていけなくなるって
密かに恐れてさえいたことだからです。
だからこそ
この段階もまた
次なるチャレンジです。
自分の持つ宝と価値を認めて受け取る。
これが第2の段階。
ここの時点で
かなり人生は変わっているはずです。
3.自分の宝を世界にあげる段階
さて、この段階で
世界は「ない」から「ある」に変わります。
私の中にはあった!
愛が、力が、知恵が。
輝きが、美質が、志が。
安らぎが、豊かさが、価値が。
この発見が、自分観と世界観を
大転換させます。
そうやって転換した世界で
何を為すか。
次はここです。
こんなに「ある」自分の価値を
この世界にどうやって
分けてあげようか。
そのことにワクワクしていく。
これが第3の段階。
これは、1から2を経て
自分が十分に満たされて
「ある」状態になってこそ到れるところです。
「人のためにしてあげるのが善いことだから
してあげましょう!」
という「あげる」ではないのです。
「自分勝手はいけないから、みんなのために」
という「みんなのために」ではないのです。
自分の中にはこんなにあるのだから
これ、分けてあげなきゃ
自分一人じゃもったいないよね?
はい、どーぞ!!
という、こぼれるような「あげる」です。
そんな「あげたい気持ち」を
どういう形にして、どう行動していくのか。
ここで「形と行動」という
極めて現実世界的なフェイズに
改めて戻ってくるのです。
悩みという極めてパーソナルな、
そして
心の内側という
見えないささやかな領域からスタートした
自分との対話は
こうしてちゃんと
形、行動、現実
という場所にまでつながってきます。
むしろ、
形、行動、現実にまでつながってこないとね!
って私は思います。
その馬力出すとこまでやりたいよね!って。
だってこの世界で人間やりにきたってことは
そういうことじゃなかったかな?
この世界の現実は行動によって変わっていく
という側面がたしかにあるからです。
なんとなく自分一人、心の内側だけで
楽になって気分よく平安で・・・
それで終わりではまだ話は半分だよね
って気がする。
「お花畑スピリチュアル」とか
「スピはフワフワして現実逃避」とか
言われるのってそこかもしれないって思う。
まあ言われたっていいですけどね (^ ^)
気分よく平安な毎日をただ過ごして終わる、
そういう人生を選ぶことにも
意味があるのだろうとは思いますが。
私自身は
せっかくだからなんかやろうよ!
って思いますね。
自分と全体が共に創造する段階
そして次の段階。
「やりたい・やろうよ」なんだけど
それはもう
個人レベルの「したい・やりたい」を
超えていきます。
みんながいいのが私もいいからね!
私がいいのならみんなもきっといいからね!
という、私とみんなが一体となったような
全体レベルの「したい・やりたい」。
さらには、人間を超えた
「宇宙の意思」のようなものを知って
それをやりたくなるような心。
全体の「いのち」がより生き生きと
愛の方向へ発展するための行動。
そういうことを実現したくなってくる
それが第4の段階です。
ここもまさに
自分との対話が深まってこそ至るところ。
自分の心の声を聴くことは
全体・宇宙の声を聴くことだからです。
自分の心の奥深くは
全体・宇宙とつながっているからです。
全体・宇宙の声を聴き
全体・宇宙の意思を受け取り
それをこの肉体を持って具現してゆく。
それは「自我レベルの実現」ではなく
「大我レベルの実現」であり
宇宙と共にある創造です。
私自身がそこに至れているかというと
そうは言い切れないけれど。
ただ、そんな先達の方々を見ると憧れるし
自分もまさにそうありたいと
願ってやまないところです。
個人的な悩みから始まる広大な道
このように、心の探求
自分との対話は
単なる小さな自分ごとでは終わらないのです。
苦しくて仕方がなかった
自分個人の「悩み」というものをきっかけに
自分との対話を続けていくことで
こんな大きなところまで広がる可能性があります。
だからこそ
悲しむ人は幸いである(キリスト教の言葉)
であり
煩悩即菩提(仏教の言葉)
なのかもしれません。