けっこう心のこと学んでるのに
心理学やスピリチュアル
インナーチャイルドも
過去世も
見にいったし、わかったし
気づいたし、癒されたし
受容したし、統合したし
自分を大切にできるようになってきたし
なのに。
決められない
動けない
進めない
人生変わってない。
だとしたら、そこに足りないのは
「男性性」かもしれません。
女性性はまず大事
癒しや受容や「自分を大切に」というのは「女性性」なんです。
優しくて、ゆるやかで、広くて、安心で
「いいんだよ、大丈夫だよ」と受け止めて、抱きしめてあげる。
そして癒される。
それは女性性の力です。
それも大切。それも必要。
ええ、まずはそれが必要。
争いと闘いで殺伐としたところには、そんな女性性の力が必要です。
しかし、女性性だけだと進まないのです。
永遠に「このままでいいねえ。いるだけでいいねえ。はあ〜安心だねえ」と言っているだけでは、いのちが生ききることはありません。
生ききらないから、魂は本当のところ満たされないのです。
女性性も、健全度が高ければ癒しと受容の力を持ちますが、健全度が落ちると、境界線を失って腐ります。
もう片方を落としてはなりません。
それが男性性。
男性性が足りない
女性性で癒されたら、次は男性性発動の段階です。
決められない
動けない
進めない
変わらない
という人は、まだ癒しが足りないんじゃないの。
もう癒しは十分だったりするのです。
次に必要なのは「決断と行動」という男性性です。
そこを避けているがゆえに、堂々巡りをしてしまっていることがけっこうあります。
「まだアレが、でもコレが」と言って癒すべきところを探していても、永遠に進めるようにはなりません。
むしろそれは、進まないための言い訳になり得る、巧妙な罠にさえなるのです。
男性性・女性性とは、男女それぞれ一方だけにあるものではありません。
男女ともに、自分の中に両方がバランスよく育って、本来のいのちを十分に生ききることができるものです。
方向性を持たず、全部を含んで広がり拡散していくのが女性性であるならば、男性性とは
方向を指し示す
決める
動く
進む
といった、方向性と推進力を持つものです。
これが弱いと、人生はいつまでたっても堂々めぐりになります。
いわゆる「やりたいことをやる」とか「自分を表現して生きる」的なこと、つまり自己実現とは、男性性の健全なはたらきがあってこそできるものなのです。
しかし、それが苦手な人が多いのはなぜなのでしょうか?
その鍵の一つに「お父さん」問題があるのではと私は考えています。
影が薄いゴースト型のお父さん
家の中にお父さんの存在感が薄かったという人は、非常に多いです。
なぜなら近代の家庭モデルは、「お父さんは外、お母さんは家」という分業をスタンダードとしてきたため、家のことは妻に任せて、朝から晩まで、時には休日まで仕事仕事!と奔走して家にいないお父さんが日本中で普通でした。
たまに家にいても「おんなこども」とコミュニケーションとるのが苦手だったりしますから、しゃべらない、向き合わない、いつもなんとなくスルー・・・
名付けるなら影が薄い「ゴースト型」お父さん。
そうすると子供の立場としては、お父さんは「よくわからない人」でしかなくなってしまうんですね。
そんなお父さんしか見たことがなければ、本来の男性性の力である
方向を指し示す
決める
動く
進む
というものを身近で発揮している男性に触れることがなくなってしまうわけです。
幼少期に父親の存在感が薄かった人は、根本的なところで「支えられている、守られている」という体感が薄いため、それが足元がグラつくような不安や自己不信につながっています。
自己信頼が持てないから、思い切ったチャレンジもできず、男性性も育たない・・・というループになっているのです。
怖くて迷惑なモンスター型お父さん
一方では、理不尽なことを言って怒鳴ったり暴れたり・・・
男性性の不健全な姿である
独善・独尊
決めつけ
怒り
支配
といった姿でしか、父親像を見せられていないお子さんたちも多くいます。
いわば「モンスター型」お父さん。
そんな怖いお父さんに怯え、お母さんをなじるお父さんを憎み・・・そんなふうに心を痛めて育ったお子さんも多くいます。
すると当然ですが、健全な男性性のモデルを知ることもなく
むしろ不健全な男性性の姿を見て「ああいうアレはよくないもの」として心に刻み
自分は「ああはならないように」と、自分の男性性も抑え込んでしまうことになるわけです。
そうすると、自分の中の男性性に封印をして使えなくなってしまいます。
つまり
・父親不在
(男性性がわからない)
・父親の不健全
(男性性のネガ刷り込み)
という2つの要因によって、そこに生まれた男の子も女の子も、男性性が使えないまま大人になる。だから健全な男性性である
方向を指し示す
決める
動く
進む
が苦手なまま人生堂々巡りすることになるのでは・・・という一つの考察です。
次の扉は男性性かもしれない
そのほかにも、男性性が使えなくなる要因として
・怒りのエネルギーの抑圧
・ハラ(丹田)の身体感覚が薄い
・日本人共通の「出る杭は打たれる」ビリーフと「力の抑圧」の問題
など、考えられますが、一つ一つ語っていると膨大になってしまうので、今日は省略。
結論として
「癒しや気づきを重ねたのに何も変わらない」という人は、ぜひこんどは男性性に着目してみてほしいということです。
そこにこそ、次への扉があるかもしれません。
これまでのような「受け止めて、優しくして・・・」といった癒しアプローチはもう卒業。
じゃあどうしたらいいか、っていうと。
短くまとめると
・丹田を鍛える(座禅、武道、筋トレ)
・小さなことから「決めて行動する」を完結してみる。つまり挑戦。
・セラピーで父親問題を扱って、幼い頃の父に対する解釈を変える
・幼い頃、親に対して感じた怒りを掘り出して感じ切る
などかな。
もうちょっと簡単な方法は
いいからハラ決めて早よやれや!
です、笑。
ドツいて、背中押して、崖飛んで
必死になって泳ぎ切る。
それでもけっこう男性性は育つと思います。
そんな荒療治は嫌だという人は、小さな挑戦からたくさんしてみてください。
鍵は「挑戦」ですよ。
がんばってね。