自然になれないんだよね。
私たち、生まれて育って大きくなるにつれて
どんどん自然じゃなくなってしまう。
自然じゃいけないから
一生懸命自然じゃなくなろうとして
なんだかギクシャクしてしまう。
だって子どもの私たちは
自然に泣いてたら
泣かないでと言われるし
自然に騒いでたら
うるさいと言われるし
自然に喜んだら
調子に乗るなと言われるし
自然に怖がったら
弱虫と言われるし
自然に欲しいと言ったら
欲張るんじゃないと言われるし
自然に嫌だと言ったら
わがまま言うなと言われるし
自然に「遊んで」と言ったら
「忙しいからダメ」と言われるし
自然に黙ったら
なんとか言えと言われるし
自然に思ったことを言ったら
生意気言うなと言われるし
興味のあることばっかり
自然にやってたら
そんなことばかりしてると
ダメになるぞと言われるし
興味のないことは
自然にやらなかったら
やらないとダメになるぞ
と言われるし
私たちすっかり
そうか、自然じゃダメなんだなー
って思ったんだねー。
だから自然じゃなくなるように
自然にならないように
がんばったがんばった。
がまんしたがまんした。
えらかったえらかった。
そしたら
自分が誰だかわからなくなっちゃった。
うん、この世界では
生まれて育って大人になるためには
いっぺん自然でなくならなくちゃいけないんだ。
そして大人になって
すっかり自然じゃなくなって
すっかり自分が誰だかわからなくなったところで
さあ、自然を探せ!のゲームを始めるんだね。
自然てなんだっけな?
どういうものを自然ていうんだっけな?
自然てどんな感じがするもんなんだっけな?
いっぺんわからなくなったところから探すから、きっと面白いんだ。
わかってたはずのものなのに
わからなくなってしまった、なんだっけ?
っていうそのことが
なんとも言えずウズウズしてたまらないんだ。
知ってるような知らないような・・・
うーんと、ほら、アレアレ、えーと・・
だからこそ、見つけた時に
おおー!これだった!
そうそう、これかー!これなんだよ!
と、感動が大きんいだね。
いっぺんわからなくなってしまったからこそ
そのありがたみと素晴らしさが
身にしみるんだね。
それが大人になってからの学び。
自然とは何か。
わからなくなるからこそ
必死で見つけてやっとわかる喜び。
もう手放さないね、こんないいものを。
それは最初っから自然のままの子どもにはわからないんだ。
そんな子どもの最初っからの自然と
そんな大人の再びの自然とは
きっと意味と価値が違うんだ。
これは大人ならではのゲームの醍醐味なんだね。
自然じゃないことの苦しさを
肌身に染みて知った人が
再び見つけた自分の自然に
この上なく感謝して
くつろぐことができるんだね。