母のことがスッキリしたら、人生ほとんどスッキリする
先日に引き続き今日も「母ネタ」です。
「うへー 重いな」って感じる方、ごめんなさいねー。
やっぱり母ってものすごい重要なテーマなんですよ。
だって、私たちの命を生み出した人であり、赤ちゃんにとっては死活問題の、いっちばん重要な人ですからね。
影響受けたとか受けてないとかいう以前に、有無を言わさず、私たちの意識の一部を形成しているのが母なのです。
自己否定も、生きづらさも、うまくいかないも、やりたいことがわからないも・・・
少なくとも私のところにいらっしゃる皆さんの多くの悩みの元が、結局は母!って場合がほとんどです。
だから、何度か言ってますが、ハイご一緒に〜!
♪ やっぱりそこか。
またそこか。
結局なんでもそこなのか。
(笑)はい、そこです。
てことは、そこがスッキリしたら、人生ほとんどがスッキリするということです。
というわけで、今日も母でいきますよー。
母に受け入れてもらえない
「お母さんに受け入れてもらえなかった」という思いをずーっと抱えてる方は、けっこう多いです。
お母さんがいつも眉をひそめて
小言ばっかり
心配ばっかり
命令ばっかりで
「そうだね〜」って、共感してくれたことも
「よくやったね〜」って、ほめてくれたことも
「そうだったんだ、つらかったね」って、受けとめてくれたことも
「大丈夫、できるよ!」って、励ましてくれたこともない。
そんなお母さんを持った方も多いと思います。
そんなあなたは子供のころから、悲しい気持ちをずっと抱えてきたんじゃないかなあ。
「どうしてお母さんは私のこと、こんなに受け入れてくれないんだろう」って思うよね。
そしたら次には
「ああ、お母さんはこんな私のことなんて愛してないってことね」
って思っても無理ありません。
そしてさらに
その理由は、私が足りないからだ、
こんな私だから
お母さんは受け入れてくれないんだ
愛してくれないんだ
って思ったでしょう。
つまり、理由が「私」の足りなさにあるってことね。
子供のあなたは、そう解釈しちゃいました。
だって実際お母さんは「あんたがこうだから、ああだから」みたいなこと言うしねえ。
だからこそ、もっとお母さんが喜ぶような「足りてる私」にならなきゃ!って思ったし
そうなれるようにがんばってきたかもしれないね。
これでもか!これでもか!
ってがんばった。
でも、お母さん、変わりましたか?
あなたを受け入れてくれるようになりましたか?
たぶん、変わってないよね〜。
相変わらず、いまだに、口を開けば
小言ばっかり
心配ばっかり
命令ばっかり
だったりしませんですか?
で、またあなたは、そんなお母さんにがっかりして、傷ついて、
「私のどこが悪いんだろう」ってまた自分を責めて。
でももういいかげんそれもうんざりしてきて
ほんとはお母さんにイライラするけど、そんなこと思っちゃいけないから「ダメダメ!」と打ち消して
だんだんお母さんに会うのがしんどくなってきて、遠ざかるようになって。
で、そうやって遠ざかってる自分がまた嫌になって自分を責めて・・。
繰り返し、繰り返し
やっぱりまたかの堂々めぐり・・・・
あ、これは特定の誰かのお話ではなくてですね、
そういうお母さんを持った人の「あるある」を述べてるんですよ(^ ^)
図星だったかな?
しんどいよね。
脱出するには前提を変えること
こんなしんどい堂々めぐりから脱出したかったら、自分の考えている「アタマの前提」を変えてみることです。
お母さんは「こんな私だから」受け入れない
って思ってるでしょう?
そうじゃないんですよ!
それはあなたが
足りてる足りてないとか
できてるできてないとか
価値があるないとか
そういうこととは全く関係ない。
あえて言えば、あのお母さんは
「どんな私でも」受け入れてないし
「どんな人のことも」受け入れてない
のかもしれなくない?
そもそも、受け入れるという回路がない人なんじゃないかな?
少なくとも、あなたがしてほしいレベルの受け入れ方はできない人。
つまり、あれがお母さんの「デフォルト」仕様。
って考えてみて。
けっこう当たってませんか?
お母さんはほんとに、あなた以外の人のこと、そんなに受け入れてますか?
お父さんのことはどうですか?
他の兄弟姉妹のことはどうですか?
他の人相手には
「そうだね〜」って、共感したり
「よくやったね〜」って、ほめたり
「そうだったんだ、つらかったね」って、受けとめたり
「大丈夫、できるよ!」って、励ましたり
してるんでしょうか?
そーんなにしてなくない・・・??
あー、そうかも!
って思ったら、たぶんそういうことです。
それこそ
お母さんがああなのは
「こんな私だから」
じゃない、っていう証拠だよ。
基本的にそういう回路がないっていうだけ。
そして、そういうお母さんは、そもそも自分のことを受け入れてません。
お母さん自身が、超〜自己否定の強い人なんです。
あなたにも、他の人にもダメだししてるかもしれないけど
お母さん自身がいちばん自分にダメだししてるんです。
あなたとおんなじだね(^ ^)
しんどいね。
お母さんの言うことを翻訳する
そうです、お母さんは自分で自分がしんどいんです。
だから、いっつもしんどそうな顔してる。
あなたのせいでしんどいんじゃないんですよ。
でも、お母さんに愛がなかったかといえば、そうではありません。
ほんとは愛したい気持ちもちゃんとあります。
心の奥では、ね。
でも自己否定強いとね、愛の言葉が素直に出せないんです。
口に出てくる前に、全部「変換」されちゃうから。
心の奥で「そうだね〜」って思いそうになると
口からは「何言ってんの、当たり前じゃないの!」って言っちゃう。
心の奥で「よくやったね〜」って思いそうになると
口からは「まだここができてないでしょ!もっと努力しなさい!」って言っちゃう。
心の奥で「それはつらかったね」って思いそうになると
「たいしたことない!耐えてがんばんなさい!」って言っちゃう。
心の奥で「どうしてるかな〜、会いたいな〜」と思うと
口からは「なんで連絡してこないんだ!」って言っちゃう。
心の奥で「この子が大事だな〜」と思うと
口からは「ダメになっちゃう!やめなさい!」って言っちゃう。
心の奥で「幸せになってほしいな〜」と思うと
口からは「ほら、あれしなさい!これしなさい!」って言っちゃう。
めんどくさいね(笑)
これ、言葉通りに受け取っちゃうと、ほんとダメージたまりまくるよね。
「ほら、やっぱりお母さんが私を受け入れてくれない!」って思っても無理もないでしょう。
だからあなたはそんなに傷ついてきたんですよね。
でも、もう大人なんだから。
人の言葉を額面通りに信じないことです。
これ、大人の自立です。
人の言葉には裏がある、ってもうわかってもいいよね。
あれでも、お母さんにとっては「愛」のつもり。
愛の表現をしようとすると、小言か、心配か、命令 になっちゃうのです。
それしか言い方がわかんないのよ。
あれが、お母さん流のコミュニケーション手段なんです。
だから、そういうお母さんを持った人は、大人になったら、こっちで翻訳しちゃいましょう。
小言、心配、命令、っていう「いつものアレ」が来たら脳内で翻訳。
ああ、私に関わりたいってことね。
私が大事だってことね。
私に幸せになってほしいってことね。
ありがと♪
そう思えたら、すごく楽になるんじゃないでしょうか。
めんどくさいけどね(笑)
堂々めぐり脱出のための新しい考え方
つまり大事なことは、
お母さんがああなのは、私のせいじゃなかった!
ということが腑に落ちるか、というところです。
私がどうであっても
お母さんはああなのだ。
しゃーない、それでいいっか。
と思えるか、というところです。
そして
あれでも、お母さんは精一杯
愛のつもりなのだ。
と受け取れるか、というところです。
さらに
私がそうであったように、
お母さんもまた、そうなのだな〜。
と、そのしんどさと愛、両方に感慨を持てるか、というところです。
この気持ち、慈悲 っていうんだよ。
自分と相手、境目をつけずに
痛みも悲しみもひっくるめて
畏敬をもって大切に思う気持ち。
お母さんのこと、必ずしもぜんぶ好きになれなくてもいいと思うんです。
この慈悲の心を持てたら、だいぶ楽になるんじゃないかな。
これが「母に受け入れてもらえない」の堂々めぐりからの脱出方法の一つだと私は考えています。