今日はとてもざっくり大まかな話をします。
いつも傷つくことが多い
いつも悩みが多い
いつも生きづらい
なんだか幸せじゃない
そんな方は、心の深〜いところに、次のどれかのような思いを、子供の頃からずーっと抱えているかもしれません。
1.「私はお母さんに愛されない」
2.「お母さんは大変でかわいそう」
3.「私がお母さんを幸せにしなければいけない」
これを便宜上、
「幸せになれない人の、母への誤解3原則」と名付けますね。
念のため確認ね。
これは「母がああだったから、あなたが幸せになれない」と言っているのではありません。
母のことをそういうふうに思っていたあなたの思い方がそもそも誤解であり、それが幸せになれてない原因ですよ、と言っています。
そして「事実どうだったか」という話ではなくて、「あなたがそう思いこんじゃった」という話ね。
ごっちゃにしやすい方もいると思うので、確認です。
ここまでOKですか??
さて、急にそう言われても「はて?わからないな?」と思う方も多いかもしれないけれど
これって意識してそう思うわけではなくて
ふだん気づかない無意識領域に「意外とあった」というかんじのものなのです。
そういえばなーんとなく思い当たるフシがある、というくらいが実感でも十分です。
この中のどれか、あるいは複数、あるかも〜って思いませんか?
だとしたら、これが
あなたが大人になった今でも
いつも傷つくことが多い
いつも悩みが多い
いつも生きづらい
なんだか幸せじゃない
と感じる根本原因だと思っていいかも。
今日はほんとにざっくり、あえてシンプル化して語る話なので、決めつけみたいな言い方になってしまうけどごめんね。
ほんとは3つ以外にもいろいろあるけど、とりあえず一番典型的な3つについて語りますね。
原則1.「私はお母さんに愛されない」
「私はお母さんに愛されない」と思っている人は、
いくつになっても、行く場所、行く場所、出会う人それぞれに
大切にされない、冷たくされた、嫌われた
ひどい扱いを受けた、わかってもらえない
といった思いをして傷つくことが多いかもしれません。
その結論は結局
「どうせ、やっぱり、私は愛されないのね!」
になるはずです。
そうやって傷つく体験を何度でも呼んでしまうのが、
「私はお母さんに愛されていない」という、そもそもの自分の前提なのです。
もちろんなんらかの理由があって、おそらくちっちゃい頃のあなたが、そう感じてしまったのでしょう。
そして以降、それがあなたの前提になったのです。
その前提を証明するように、人生というのは同じように傷つく出来事をいっぱい用意してくれます。不思議なようですけどね。
だから「ほら、やっぱり!」と、いっそう自分が愛されないことに確信を持つことになる
↓
だから、またそれを証明する出来事に出会う
↓
また「ほら、やっぱり!」と確信
↓
またそれを証明する出来事に・・・・以下、無限ループ
これではいつまでたっても傷つき続ける人生・・・幸せは遠いのです。
原則2.「お母さんは大変でかわいそう」
「お母さんは大変でかわいそう」と思っている人は、
いくつになっても、実家から出なかったり、
これといったパートナーに出会わず、ずっと一人でいたりする人も多いかもしれないし、
結婚しても、気苦労の多い生活を余儀なくしている場合もあるかもしれません。
特にやりたいこともなく、なんとなく鬱々と過ごすことが多かったり
なんだかいつも、仕事をはじめいろんなことで
我慢して、苦労して、消耗していたりするかもしれません。
口癖は「そんなことしたら悪い・・・」かもしれませんね。
「お母さんは大変でかわいそう」と思い続けていると
自分が楽しそうにしたり、幸せそうにしたりすると、なんだかすごく「悪い」気がするのです。
何か自分が嬉しくなりそうになると、お母さんのしんどそうな顔が脳裏にふと浮かびます。
そして「こんなことしてちゃ悪い」気がしてあんまり喜べなくなる・・・
お母さんと同じように、大変で、苦労して、しんどい中を一生懸命がんばって生きている方が、なんとなく堂々とできるような気がする。
辛そうな顔をして「大変だー」と言っている方が、なんか安心。
だとしたら、やっぱり人生はその通りに
大変で、苦労が多く、いつまでたっても幸せにはなれないように作られていきます。
だから、幸せになれなくて当然ですね。
原則3.「私がお母さんを幸せにしなければいけない」
「私がお母さんを幸せにしなければいけない」と思っている人は、
けっこう優等生さんが多いかもしれません。
よくできる、勉強できる、ものわかりがいい
気配りできる、わがまま言わない、しっかりしている
向上心が高い、志も高い、理想も高い
いつも笑顔で前向き・・・
それはそれですばらしいですが、一方で
高い理想にいつも追われている
理想通りでない自分をいつも責める
知らないうちに無理を重ねている
間違うことや失敗がものすごく怖い
といった、恐れも強かったり
自分が本当は、やりたいのかやりたくないのか
好きなのか嫌いなのか・・・・
自分の感情が「本当はどうなのか」が、よくわからなくなっていたりするかもしれません。
世間の価値観を信じすぎるあまり、自分の価値観を信じられず
いつまでも自信が持てない傾向もあるでしょう。
「私がお母さんを幸せにしなければいけない」という前提を持っていると
お母さんを幸せにするために、自分のことは横に置いたり、抑えたり、ないことにしたりして
「自分より、お母さん」
という絶対的な優先順位をつけることになります。
お母さん重視、自分軽視。ですね。
お母さんの笑顔、お母さんの喜び、お母さんの幸せ、が正義。
お母さんの好み、お母さんの言うこと、お母さんの価値観、が正解。
わたし?
それはいいから、とにかくお母さんが。
そうなるわけです。
そうすると、その後いくつになっても
こんどは先生に、お友達に、先輩に、上司に、同僚に、パートナーに、姑に・・・
と、際限なく、
「相手重視、自分軽視」という同じ前提で、同じパターンの繰り返しになります。
だから、なんだかいつもしんどくなっちゃって、
結局ひそかに生きづらいのです。
でもそんなこと、おいそれと顔には出しませんね?
だって、そんな顔をしちゃったら
お母さんが悲しむから、ね?
根源は、母と自分を結びつけすぎ
1.「私はお母さんに愛されない」
2.「お母さんは大変でかわいそう」
3.「私がお母さんを幸せにしなければいけない」
この3原則が、自分の生きづらさを作り出す前提になっています。
「幸せになれない人の、母への誤解3原則」と呼ぶわけを、ちょっとわかっていただけたでしょうか。
そしてこれは事実ではなく、子供の自分が解釈してしまった「子供の誤解」なのです。
今はそういう実感がない人や、「えー、誤解っていうか事実だし!」って思う方も、大丈夫です(^ ^)
これは自己探求していく中で、ゆっくり腑に落ちていくことなので。
で、これらの問題の根源は結局何か、というと
心の奥で、お母さんと自分を結びつけすぎちゃってるところなのです。
お母さんの態度と、自分の価値を
お母さんの顔色と、自分の幸せを
お母さんの幸せと、自分の行動を
イコールで結んじゃってます。
この結びつけ方がまた、たいへんに子供の論理であり誤解なのです。
この誤解を解くことが、真に大人になるということです。
お母さんがあなたを愛さなかったかもしれないことと、
あなた自身の人間としての価値は、全く別物。
お母さんが大変でかわいそうだったかもしれないことと、
あなた自身の幸せとは、全く別物。
お母さんが幸せになることと、
あなた自身が何を思い行動するかということは、全く別物。
そうやって、心の中で結びつけちゃった「お母さんと私」を分離させることが鍵です。
アドラー流にいう「課題の分離」の原点とはここ、つまり母だと、私は思っています。
いくら今いる周りの人たちとの関係において「課題の分離!課題の分離!」と心がけても、なんだかうまくいかない、ピンとこないという場合は、そもそも心の中の母親と「課題の分離」ができていない可能性が高いです。
母とできてないと、他人ともできないということになります。
だからこそ、まずは母から。
これ、大原則。
その「母」とは、今実家に住んでいるリアルな「あの母」のことではありません。
リアルに面と向かって何かする必要はまったくないのでね。
あなたの心の中に相変わらず住んでいる「子供の時の、あの時の母」のことです。
目を閉じれば浮かぶでしょう?
その母、です。
「その母」と、心の中の「小さい私」との関係なのです。
幸せになれない人の、母への誤解3原則。
1.「私はお母さんに愛されない」
2.「お母さんは大変でかわいそう」
3.「私がお母さんを幸せにしなければいけない」
一刻も早くこれを解体することが、幸せへの道です。
大丈夫です。
これを解体しても、心の中の母と自分を分離させても
親子の縁が切れるわけではありません。
むしろ、今まで見えなかった絆も
今までできなかった関わり方も
できるようになると思って大丈夫です。