「がんばらなくていい」の意味
BeingとDoing という言葉は
最近だいぶ知る人が多くなっています。
Beingとは、あり方。存在。
Doingとは、やり方。行動。
どっちが大事とかじゃなくて
どっちも相互に重要視しようよ、
というのが
私がやっていることでもあります。
最近流行っている
がんばらなくていいよ
そのままでいいよ
っていうのは
苦しみながらがんばっちゃう人に効く言葉です。
がんばっちゃう人っていうのは
逆にいうと、がんばれる人。
つまり、やるときゃやれる人。
やったら、かなりやっちゃう人。
だから、やれちゃって
それなりに結果出すこともできちゃう人です。
つまりDoingはまかせろ!という人たちね。
それはすばらしいことなんですが
ただ、こういう方達は
その奥の原動力が、欠乏感や罪悪感である場合も多く
そのがんばりが
苦しくしんどいものになっちゃうことも多いのです。
Being(存在)にOK出せてないから。
だからこそ
「がんばらなくていい」が効くのです。
あなたという存在そのものは
がんばらなくても、いい(OK)よ
そのままで、いい(OK)よ
ということです。
そのままいても、何も欠けてないし、罪でもないよ
ということです。
つまり
がんばらなくていいよ
そのままでいいよ
はBeingについての話なんだね。
それでエネルギーが中和されてニュートラルになるから、結果的にもっと楽にDoingできようになるし
やらなきゃ!じゃなくて、やりたいからやるし、やりたくなかったらやらなくてもいい。
「がんばらなくていい」なんて言っている有名な先生たちも、実はもともとかなりやってきた人たちなんです。
Doingの底力があって、やればできちゃう人たちです。
そうやってさんざんがんばってきて結果出してる過去があります、皆さんそれぞれに。
そこまでやったからこそ「なんか違うな、もう違うな」って気がついちゃって
だから「がんばらなくてよかった!」というところにたどり着いたのです。
がんばったことがない人の場合
そもそもこれまで
がんばったことがない人や
もともとそんなにやらない人や
やり方がわからない人が
がんばらなくていいよ
そのままでいいよ
をそのまま信じると、
ちょっと微妙に違うかも。
Doingを
そんなにがんばらなくたって
まあそのまま、そこそこ楽にしてれば
なんかどうにかなるのかな、って
思うのだったら
それはどうにもならんのでは?と
私は思うのです。
もちろん、この人生、それほどガツガツどうにかしたいとか思わない人はいいんですよ。
でも、なんか成したい、自分の思う方向に動かしたい、と思うなら。
Doingしないとね。
この現実世界は、BeingとDoing両方で動いていく世界です。
やっぱりDoingなしでどうにかなるのは難しいと思うのね。
だから、やらない人は
まずやらなきゃだと思うのよ。
やり方わかんない人は
やり方から習って、コツコツ練習するのよ。
Beingは そのままでいいから
がんばってDoingしたことがない人は
とにかくがんばってやることが課題です。
無心に
必死に
がむしゃらに
勤勉に
どうやったらやれるのか
しつこく考えて
できなかったらできるようになるまで
しつこく食いついて
こうしてみたら、こんどはああしてみたら、と
追い求めて
かつ、すぐに結果を求めず淡々と
やることです。
現実動かしたいならね。
やりたいの?やりたくないの?どっちでもいいんだよ。
だけど、たぶんなー
「わかってるけど。やろうと思ってもやる気がしないんです〜、体が動かないんです〜、そこまでやりたいかどうかわかんないんです〜」
ていう人も多いんだろうなーと思います。
そういう場合どうするかは、すごく個別に色々あると思うので、ここで一括にこうだとは言えません。
いろんなものが絡んでくるからね。
でも、一つはいえる。
そんなにやりたくないんだったら、
ほんとはそこまでやりたくないのかもよ?
だったらやらなくてもいいんだよ。
やりたいことやってワクワク生きなきゃいけない、ってわけでもないんだよ。
楽がしたいなら
「楽がしたい」が
いちばんやりたいことなのかもよ?
だったら楽しててもいいんだよ。
なんにも成さなくたっって
ただそのまんま普通に生きていたって
いいんだよ。
すごくならなくてもいいんだよ。
そこそこで満足したっていいんだよ。
前向いてなんか成したいなら
がんばればいいよ。
べつにそうでもないなら
がんばらなくていいよ。
どっちで生きたいの?
どっちでもいいんだよ。
だから、こういう時にまた
がんばらなくていいよ
そのままでいいよ
なんです。
好きなようにしたらいい。
ほんと、どっちでもいいんだから。
ただ、ほんとにやりたいなら
ほんとに何か成したいなら
目指すなにかがあるんだったら
やれよ!
がんばれよ!
なんだよ。