反抗期がなかった人
思春期に、反抗期やりました?
私のカウンセリングに来る方の中には、反抗期がなかったという人もけっこういます。
反抗期がなかった方は、ほんとにざっくり大雑把に言って2つのタイプがあるかもしれません。
とにかく親が怒りっぽくて、怒ったらもう大暴れ!みたいになるもんで
ちょっとでも口答えしたら自分の命に関わるような気がして
恐ろしくてそれどころじゃなかった、というタイプの方。
そりゃあ、無理だったかもしれないね。
怖かったね。
たいへんだったね。
もう一つのタイプは、
親はそこまで怖くはなかったけど、
なんか大変そうだったり、
あるいは、とっても優しいので
あなたも親のことが大好きすぎたり。
それはそれで、あまりにもいい子しすぎて、言いたいこともやりたいこともガマンしちゃったりするんですね。
今日はちょっとこっちのタイプの方のことを取り上げようと思います。
特に、その相手は父より母であることが多いようです。
そういう人たちはたぶん
本人としてはガマンしてる自覚なかったかもしれません。
良かれと思って黙り続け、
良かれと思って良いことをし続けた
けなげな子たちです。
だってお母さんに迷惑かけたくない
困らせたくない
傷つけたくない
だってお母さんが大好きだもん
ってね。
お母さんもまた、そんないい子のあなたが大好きで、
お互い相思相愛母子みたいになっていることもあります。
一見、とても幸せそうだし、親孝行そう。
理想の親子ね!なんて言われているかもしれません。
もちろんあなた自身が、それで本当に満足してるならいいんですが。
でも、大人になって一定の時期がくると
この関係の苦しさに気付き始めちゃう人もいます。
なんかヘン。
なんか苦しい。
私このままでいいんだろうか?
って。
そうなったらもう後には戻れません。
だって実はこの関係は、
母とは本来別人格の「自分」という人間が
しっかりとした輪郭を成さないところで成り立っているから。
母子癒着ともいいますが、
つまりどっちが自分で、どっちが相手だかわからなくなっている、
感情やアイデンティティが互いに混合してしまっている状態です。
これは大人になってくれば、しんどくなるのも当たり前です。
でも、お母さんを思うあまりに
そんな苦しさも感じないようにして20年、30年、40年、がんばってきました。
そうやってずーっといい子してきた子が、
だいたい30代、40代になって、
なんだかいろんなことが苦しくて限界になってきて
自分でなんだろう?と迷いだし、
自分軸を取り戻して自分の人生生きたい!と
心の探究を始めるのです。
そういう方たちが、私のところにはたくさんいらっしゃいます。
おめでとう!遅ればせの反抗期が始まった
そういう場合、まずは長年溜め込んだガマンのフタを開けることになります。
パンドラの匣のようなものですね。
今まで見ないようにしてきた、
不満、怒り、悔しさ
寂しさ、悲しさ、虚しさ
望み、欲求、意思
ホントはやだったこと
ホントはほしかったこと
ホントの気持ち。
ここを見ていくことが本当に大事。
そういうのが出てきて、やっと
わからなくなっていた自分というものの輪郭を取り戻すことができます。
そうすると、
今まではお母さんに対して
黙って従っていい顔をしていたのが
だんだん自分の心にウソがつけなくなって
本当に思ってることや
本当はしたいこと
自分独自の選択を優先するようになります。
母の言うことより、自分をね。
そして、今までだったら
「ハイハイ」と従っていたお母さんに対して
「私はこう思う!」とか
「ほんとはこうだった!」とか
今まで言えなかったことを、
時に怒って、時に涙ながらに
語り始めることもあります。
そう、これ
やっと始まった、遅ればせの反抗期です。
おめでとう!
反抗期というのは、
親と子が、それぞれ別の価値観を持った別の人間だということを
親も子も共に、腹の底から受け入れていくための通過儀礼のようなものだと私は思います。
これがあるからこそ、
自立とか、自主独立といった大人のあり方へと成長していけるのです。
だからこそ、今まで反抗期をやってなかった人は
30になっても40になっても、ここでこれやっとくことが
この先自分の人生生きるためにはとっても必要。
だから、これが始まったら
よくやった!ようこそ!
ですよ。
やっと始まった精神的自立へのプロセスです。
「今さら・・」じゃないんですよ、
いいんです、やっとできるようになったんだから。
今、やりましょう。
見えない絆があるから大丈夫
そうするとね
だいたいそういう方のお母さんは、
精神的にお子さんとの距離が混合しているので、すっごくびっくりするでしょう。
今までのあの子じゃなくなっちゃったから。
お母さんにとって気分のいい、都合のいいい子じゃなくなっちゃったから。
すると、このへんは人にもよりますが
落ち込んだり、悲しんだり
泣いたり、文句言ったり
怒ったり、縁を切る!と言ったり
かなり取り乱した反応をしてくるかもしれません。
いいんです、これを恐れないこと。
あなたはこの波風を恐れて、何十年も自分を殺して黙ってきたのだから。
この「お母さんの不機嫌」を恐れるあまりに
あなたが撮り続けてきた「対策」こそが
他ならぬあなたを苦しくさせてきたのだから。
それで限界がきてるのが今なんだから
今度は逆。
この波風を堂々と浴びるのです。
いっぺん「悪い子」になるのです。
お母さんの機嫌をとることから手を引く。
「ほっておく」にチャレンジする時です。
だからこそ、あなたがここでひるんで
やっぱり自分を取り下げて
また昔のようにガマンを重ね
思ってもいない服従的な言動をし続けるなら
せっかく始まった自立へのプロセスは台なしになってしまいます。
さあ、ここからが正念場。
粘れ!がんばれ!振り切れ!
何を言われても
泣かれても、怒られても
にっこり「ハイハイ」と言って、従わない。
自分のことをやりましょう。
自分の筋を通しましょう。
ここで必要なことは
いっぺん親に嫌われることを
受けて立つことです。
「私は母に嫌われても大丈夫だ」
っていっぺん言ってみましょう。
そして「なぜなら」っていう、
嫌われてもあなた自身が大丈夫な理由を
いくつか考えてみましょう。
大丈夫です。
波風がたっても。
親子なんだから。
自分は母の子であることに変わらず
母は自分の母であることに変わりはありません。
切っても切れないつながりというのがあります。
見えない糸(意図)がちゃんとつながっているから大丈夫。
口先の言葉ではなく
目先の態度ではなく
その奥にある見えない絆を信じることができるかどうか、
実はそこなんです。
それが信じられてないからこそ
あなたはそんなにも
目先の言葉や態度で一喜一憂して
その絆が壊れることを恐れている。
見えない絆
これわない絆
そういうものがあります。
ここに安らぐことを知ったら
すべては大丈夫なんです。
大人の親孝行ができるようになる時
そして、元の話に戻りますが
これは遅く来た反抗期。
「期」ですから
そういう「期」が終わったら、
また新しく次のステージに移行します。
通過儀礼なんだから、通過します。
通過するプロセスの一場面だと受け止めたらいいと思います。
だからここでは
母子ともに翻弄されて、
取り乱して、葛藤して
ぶつかって、泣いて、
言いたいこと言って
いいんじゃないでしょうかね。
そうやっているうちに、お互いが一皮むけて、大人同士として新しい目で見ることができる日がいつかきます。
すぐじゃないかもしれないけどね。
熟成する時間をじっくりとるのも、意義あることだと思います。
その間に、
お母さんのことはほっといて
自分の楽しみ、自分の喜び、自分の幸せを心置きなく追求しましょう。
そして、いつか幸せな大人として、堂々と笑顔で、またお母さんの前に現れるのです。
お母さんにどう思われようと、大丈夫な自分として。
その時こそ、本当の意味で
大人としての親孝行ができるあなたになっているでしょう。