実家を出られる日はくるか?
今日の記事は、思い当たる方と「まったく関係ないな」と思う方と
はっきり分かれるかもしれません。
思い当たる方にとっては、
ちょっと怖いか、耳の痛い話になるかもしれないので、
少々肚を決めて読んでくださいませ(^ ^)
そのかわり、効く場合はとっても効く可能性もありかもです。
さて。
独身でそれなりの年齢になって、実家を出たいと思いながら
なぜか出られない人がいます。
経済的にとか、生活が便利とか、ごはんが出てくるとか、
一人暮らしは寂しいとか、パートナーがみつかったらとか、
仕事にメドがたったらとか、アレがこうなるまではとか・・・
理由を挙げればいろいろあるのだけど。
「ほんとは一人暮らししたい」と思っているのも事実。
べつに家が居心地がいいというわけでもない。
正直言って、親がウザイと思うこともけっこうある。
「もうこんな家早く出たい!」ってホントに思うことがある。
でも、なんだかんだ、実家にいる年月が漠然と過ぎていく。
結婚するような相手もなぜか現れないし・・・。
そんなタイプの方、いると思います。
そういう方は
いつの日か実家を出られる時がくるのでしょうか?
うーん・・・
私の出会った多くのケースから、その心理的な背景を考察すると
おそらくこのままの状態では
実家を出られる日はこない確率が高いでしょう。
誰かと出会って結婚に至る可能性も低いかもしれません。
恐ろしい予言をしてしまってゴメン。
でも、それには理由があるのです。
いつまでも実家を出られない理由
これはあくまでも、私がカウンセリングの現場で出会った実例からの学びです。
全ての方にあてはまるとも限らないし、
学術的にどうとかも私の知るところではないので、
そのぐらいの話だと思っておいてくださいね。
さて、実家を出られない一番の理由は、
ご本人の心の奥底に、出ることを引き止めるものがあるからです。
それはズバリ「罪悪感」。
つまり
家族を置いて自分が出て行くことへの罪悪感、です。
「自分が出て行ったら家族に悪い」というもの。
なぜなら。
自分が出て行ったら、
親がダメになる、家族がダメになる、家族が壊れてしまう・・・
ような気がしているから。
この親(家族)は自分がいないと生きていけない・・・
ような気がしているから。
親や家族を置いて、自分だけ家を出て
好きなように生きたら家族に悪い・・・
ような気がしているから。
親(家族)が不幸なままで、私だけ幸せになってはいけない・・・
ような気がしているから。
だから、
出て行きたい ⇆ 出て行くわけにはいかない
というジレンマがいつも
心にモヤモヤとあることになります。
親(家族)と一緒に不幸の中に居続けて
苦しい思いをしていないといけない。
この中で自分が親(家族)を幸せにしてからじゃないと
自分だけ出て行くわけにはいけない。
この人達を置いて、
自分だけやりたいようにして幸せになるのは
親(家族)を見捨てることだ、裏切ることだ。
だから、自分がこの家を出て行くことは「罪悪」なのです。
あくまでもご本人の中で
そんな「気がしている」のです。
本当にそうなのかどうかは、知る由もありませんけれども。
つまり、
「不幸な親を自分が助けなければいけない」という
使命感(ミッション)があるからこそ
それをできないことに罪悪感を抱くわけですね。
そんな深層心理が働いているケースは
かなり多くあるというのが、私の印象です。
けれど、今挙げたのはあくまでも深層心理レベルの話。
ご本人が自覚してらっしゃるケースは稀です。
ご本人の中では、もっとわかりやすい理由・・・
経済的にとか、生活が便利とか、ごはんが出てくるとか、
一人暮らしは寂しいとか、パートナーがみつかったらとか、
仕事にメドがたったらとか、アレがこうなるまではとか・・・
そういう理由で「なぜか」実家を出ない選択をしているのですね。
そうしますとね、深層心理では
「実家を出たらいけない」
「幸せになってはいけない」
という禁止がかかっていますから、
逆に言うと、結婚に至ったりするようなパートナーが現れて
実家を出るようなハメになったら、深層心理的には困るんです。
だって「実家を出て幸せになっちゃいけない」のですから。
あるいは、自分の本当にしたいことがみつかって
それに全力注いで、充実した人生を送るようになっちゃったら
深層心理的には困るんです。
だって「自分だけ幸せになっちゃいけない」のですから。
それはあってはならないこと。
だから、「出会いがなくてね〜」なんて言って
いつまでもそういう相手と出会わないですんでいるわけです。
もしかして、ほんとは出会っているかもしれなくても
無意識に却下している可能性もあります。
「本当にやりたいこと?ないです〜、無理です〜」なんて言って
いつまでもやりたいことに向き合わずにすんでいるわけです。
そうすれば「親を見捨てずに不幸の中に居続ける」という
「実家ミッション」は暗黙裏に果たされるわけですね。
私はこのような「実家を出ることの罪悪感」をかき立てる
上記のようなさまざまな禁止や思い込みの総体を
密かに「実家ビリーフ」と呼んでいます。
「不幸な親」を助ける子供
さて、読んでいてお気づきかもしれませんが、
こういう「実家ビリーフ」の背後には
「ウチの親(家族)は不幸だ」という大前提があります。
このようなタイプの方のご両親は、だいたいの場合
仲が悪いか、関係が冷めて諦めているか、
そんなケースが多いです。
小さい頃から両親のけんかが絶えないお家ですと
幼い子供としては
父親か母親、どちらかが「悪者」で、
どちらかが「かわいそう」として位置づけられます。
かわいそう=不幸、といってもいいでしょう。
そうすると「かわいそうな親」に対して
「助けてあげなきゃ、支えてあげなきゃ!
悲しませちゃいけない!喜ばせなくちゃ!」
という気持ちを抱いて、
一生懸命そちら側の親に尽くしたり、愚痴を聞いたり、
頼ってくる親を受け止めたり、さりげなくフォローしたり、
あるいは、両親の仲裁に入ったり、間を取り持ったり、
といったことをするようになります。
自分のことなど差し置いて、
親の顔色のためなら何でもするようになります。
本当に子供はけなげなのです。
そして親の方も、夫婦仲が悪いのはどうしてもしんどいですから、
そういう形で支えてくれる我が子に
つい頼ったり甘えたりしてしまうことがあります。
だからこそ子供は
「自分が支えないといけない。そうでないとこの家(親)はダメになってしまう」
と思い込んで、親子ともども「不幸、苦しみ」を動機とした、切っても切れないつながりを維持し続けることになります。
そもそも、それって私の責任?
たしかに、子供はけなげです。
お父さんお母さんが大好きだからこそ
なんとか幸せになってもらいたい一心で
自分が「助ける人」の役を背負おうとするのですが、
でも、ちょっと待って。
それって子供が背負うべき役なんでしょうか?
ていうか、子供がそんな大人の問題、背負えるんでしょうか?
そもそも夫婦の問題でしょ?
お父さんとお母さんの仲が悪いのは
子供であるあなたのせいじゃないんです。
お父さんとお母さんをなんとかするのは
子供であるあなたの責任じゃないんです。
それをなんとかするのは、大人である彼らの責任です。
互いをパートナーに選んだ、彼らが向き合うべきことなのです。
自分の感情に向き合って、自分の人生を幸せにするのは
親本人の仕事です。
親の感情を引き受けて、親の人生を幸せにするのは
子供であるあなたの仕事じゃなかったんです。
ていうか、だいたいムリでしょ。
子供なんだし(笑)
ていうか、なんで人の幸せの責任引き受けなきゃいかんの。
たとえ、親が不幸に見えたとしても
それは親本人が選んだ末、そうなっているのです。
なすすべなくそうなった、かのように見えたとしても
「なすすべがない」と思ってなすがままにしてしまったのは
親本人なのです。
何か他の選択だってできたかもしれないのに、それをしなかった、
それも親本人の選択です。
そして、そういう親でもいいじゃないですか。
いいことにしても、いいんですよ。
そして、ああ見えても
ホントに本人が不幸かどうかは、
本人以外にはわからないのです。
逆に自分の方こそ、人の生き方を見て
「あの人は不幸だ、かわいそうだ」と決めつけてしまうのは、
実はけっこう傲慢な「上から目線」かもしれませんよね。
子供なのにね(笑)
さあ、そういった理由でいつまでも実家を出られない方は、
次の2つのテーマに取り組んでみましょう。
1.感情の株分け
親の感情や幸せの責任を引き受けて
身動きがとれなくなってしまっている状態というのは、
例えるなら、
一つの植木鉢に2つの植物が植わったまま
根っこが絡まってしまったようなものです。
癒着状態ともいいます。
張りついたり絡まったりして、
どっちがどっちだかわからなくなってしまっているのです。
だから苦しい・・・
なのに離れられないのは、そういうことです。
これをほどいて、それぞれの株をしっかり分けて植え直す。
こうしてやっと、それぞれがそれぞれとして
自分の人生を生きられるようになります。
親と自分を別の人間として分けることは悪いことではありません。
むしろ、その方が風通しが良くなり、
お互いも伸び伸びと成長していけるのです。
上記の図はちょうどよかったのでこちらのサイトよりお借りしました。
そして、こんなふうに考えてみましょう。
親の本当のところは、私にはわからない。
あの親は、あれでいい。
良くも悪くも、幸か不幸か
ウチの親はそういう人なんだ。
そして、それでいい。
どんな親であっても、私の親です。
どんな親であっても、私はあの人の子供です。
そして、
私の本当のところも、親にはわからない。
この私は、これでいい。
良くも悪くも、幸か不幸か
私ってこういう人なんだ。
だから、これでいい。
どんな私であっても
私はあの親の子供です。
だから、私は私で幸せになっていい。
親は親で、幸せになってくださいね。
親をどうでもいいことにするのとは違います。
どうであっても、親はそれでいいことにすることです。
微妙に違うの、わかります?
尊重するということです。
全面的に。
たとえそれがどんなに
自分から見て不幸でも、おかしくても、ヘンでも。
親の選択と親の人生を
そのままに「尊重」してみましょう。
それが、絶対的な受容であり、大きな愛だと
私は思っています。
それができればこそ、同じように
自分の人生も自分で「尊重」することができるようになります。
たとえそれがどんなに親から見て
不幸でも、おかしくても、ヘンでも。
そんな自分のことを、たとえ親は尊重してくれなかったとしても。
それでも
自分の選択と自分の人生を
自分自身だけは「尊重」するのです。
それが、自分に対する
絶対的な受容であり、大きな愛です。
親の価値観は親のもの。
親の人生は親のもの。
私の価値観は私のもの。
私の人生は私のもの。
感情の「株分け」とはこういうことです。
それが自立ということです。
2.自分と相手の力を信じる
まずは自分の中で、そうやって「感情の株分け」ができたら
だいぶ行動できるようになると思います。
自分の好きなことをすること
やりたいことをやること
親の意向に従わないこと
親から離れること・・・
そんなこともできるようになるかもしれません。
自分の感性に従って、自分で選択した行動をする。
そして、その結果を自分で得る。
怖くても、自分で決めて、一歩踏み出す。
そうしているうちに
自分で自分を背負う力が、自分にもあるのだということが
信じられるようになってくるでしょう。
けれどそうなった時、もしかしたら
相変わらず今までと同じ癒着構造の中にいる親の方からすれば
そういうあなたを嫌がったり怒ったりするかもしれません。
なぜなら、今まで彼女(彼)の感情の責任をとって支えてくれていた、
役に立つ人(子供である私)を失ってしまうことになるからです。
そのことによって
これまで直面したくなかった自分そのものが
むき出しになってしまうからです。
正しいと思っていた自分の価値観が揺さぶられ、
支えとなっていた地面が崩されるような思いがするからです。
ずいぶん悲しむかもしれません。
泣くかもしれません。
恨まれるかもしれません。
悪態つかれるかもしれません。
大丈夫です。
好きなだけ、そうしてもらっていいでしょう。
それはあなたの罪ではありません。
ここでこそ、あなたの自立力が試されます。
これは今までの癒着関係の発展的解消です。
彼女(彼)にとっては自立の痛みであり、
変化を前にした時の怖れの現れでもあるのです。
あなた自身が、自分に向き合って歩き出せたように、
自分の人生、どうにか自分の足で支えるということを
覚え始めたように。
彼女(彼)自身も、自立の痛みを引き受けることができて
変化を受け入れることができて
自分の感情と人生の責任を自分自身で引き受けることが
いつかできると信じることです。
そして、たとえそれが今生この人はできなかったとしても
そんな親であっても、
「この人はこれでいい」と尊重していいのです。
相手の力を信じること。
どんな親であっても、そのありのままを尊重すること。
それは、私たちが向けることのできる
深い愛だと、私は思います。
親孝行1.0から2.0へ
あなたが自立することで親が悲しむのだとすれば
親が親自身の理由で悲しいからです。
あなたが悪いのではありません。
そして、自分も怒ったり悲しんだりすることがあるように
彼女(彼)もまた
怒ったり悲しんだりしたりしたっていいじゃないですか。
そしてまた笑うことだってありますって。
人間だもの。(^ ^)
さあ、もう大人なのだから
親の顔を恐れるのはやめましょう。
「親を悲しませちゃいけない」とか言って
自分のこと犠牲にしてまで変な責任とるのをやめましょう。
だいたいね、
あなたが自立したら、本当に親が悲しむんでしょうか?
わからないよね?
意外とあっけらかんと
「どうぞ!今ごろ何いってんの〜?」って
言われるかもしれませんしね(笑)
あなたが実家を出て行ったら
意外と風通しよくなって、
すべてはいいところに納まっちゃうかもしれませんよね?
フタを開けてみれば
「今まであんなに恐れて背負っていた重たいアレはなんだったの!?」
って、ガクッときたりする可能性だってありなのです。
まあ、何ごともやってみなきゃわかりませんて。
親の目先の感情を満足させることは
言って見れば子供時代の「親孝行 1.0」ですね。
でも、この親孝行1.0には大きな代償が伴います。
それは、自分がわからなくなること。
自分を生きられなくなること。
そこよりも先、というのもあるのです。
まずはあなたが「感情の株分け」をして
あなた本人が幸せそうに生きて
自分の足場にちゃんと立ちながら
相手をそのまま尊重し、
そのまま見守り、
できる時にはできる手助けをする。
それが、大人としての
「親孝行 2.0」だといえるのではないでしょうか。
そういうわけで、話は長くなりましたが、
「なぜかいつまでも実家を出られない」という方に
こんなメッセージを伝えたくなりました。
よりご自分らしく羽ばたくきっかけとして
考察の一助にしていただければなによりです。