子どもって、なんてけなげで親思いなんだ
セッションで様々な方の心の探究をご一緒していると、
長年苦しんでいる問題や、自己否定感というのは、
元をたどれば、子ども時代の思い込みから始まっていることがほとんどだということが、わかってきます。
要するに、子ども時代に親との関わりで生まれた、色々な思いが原点ということです。
結局、親。
やっぱり、親。
つくづく思うんです。
子どもってのは、なんてけなげで親思いなんだ! って。
小さい子どもというのは
親を悲しませないためだったら、なんだってやるんですね。
親の笑顔を見るためだったら、なんでもするんですね。
家を平和にするためだったら、どんな子にもなろうとするんですね。
たとえ、それが自分にとって、最も辛いことであっても。
時には自分を傷つけ、自分の心を殺すことであっても。
親のためなら、やるんです。
もちろん、全部無意識に、ね。
今日の記事は、自己否定や生きづらさを抱えている方の全般的な傾向として私が感じたことの考察です。
無意識レベルのことなので、あまりピンとこない方もいるかもしれないし、
そもそも自分は全然当てはまらない!という方もいると思いますが、それならそれでよし。
これ、自分のことかも!?とピンときたり、
こういう考え方をしてみると腑に落ちる、という場合はぜひお役立て下さい。
子どもはこんなに、なんだってする
さて、小さい子どもというのは、親を悲しませないためだったら、なんだってやる、という話。
たとえば
親が忙しくてたいへんだって、わかっているからがまんする。
お兄ちゃんだから。お姉ちゃんだから。
「かまって」って言わないように。
「さびしい」って言わないように。
「ほしい」って言わないように。
「なんで!」って怒らないように。
迷惑かけないように。
わがまましないように。
そうやって、がまんばっかりする子。
なんてけなげでしょう。
★
親が嫌がるって、わかっているから、
自分を抑えこむ。
言いたいことを言わないように。
親の望みに逆らわないように。
自分らしさを出さないように。
親から離れて見捨てたと思われないように。
そうやって、自分を殺していく子。
なんてけなげでしょう。
★
親と家庭の平和のために
時にはダメな子にさえ、自分からなる。
グズで、ポヤンとしてて、できが悪いとか
何も言わなくて、何考えてるのかわからないとか
やんちゃばっかりして、迷惑ばっかりかけるとか
病気になったり、引きこもったりとか
本人も家族もわかってないけど、
これで家の中のバランスが保たれているってことが、意外とあったりします。
無意識に、そうやって、自分をダメにしてばっかりの子。
なんてけなげでしょう。
★
親の喜ぶ顔が見たい、それだけのためにがんばる。
しっかりしなきゃ
妹弟の面倒みなきゃ
明るい子でいなきゃ
言うこと聞かなきゃ
期待に応えなきゃ
親の望みを叶えなきゃ
そうやって、ひたすらがんばる子。
なんてけなげでしょう。
★
がまんして、がまんして。
自分を殺して、殺して。
ダメになって、ダメになって。
がんばって、がんばって。
そしてその子は、大きくなっても、大人になっても、違う誰かに同じパターンをやり続けます。
やり続けて、生きづらく苦しい人生になっていっても。
無意識だから、気づかない。わからない。やめられない。
だって、
親を悲しませちゃいけない。
親に喜んでもらわなきゃいけない。
お家を平和にしなきゃいけない。
心の中の、ちっちゃいその子が
今も変わらず、その責任を背負っているから。
そうできなかったら、自分は罪深い親不孝者だ って、
どこかで思い込んでいるから。
やめられない。ぬけられない。断ち切れない。
でも、大きくなるにつれて
心の中にはすっかりマグマがたまって、
どこかで噴火したり、毒ガス噴出したり・・・
しているかもしれませんね。
引き受け続けた不幸、諦め続けた幸せ
でも、ほんとうに小さい頃はね。
小さい子どもというのは
親を悲しませないためだったら、いくらでも、自分が不幸を引き受けるんですね。
親の笑顔を見るためだったら、いくらでも、自分の幸せを諦めるんですね。
自分自身でいることを封印するんですね。
本当に、自分という存在を投げ打ってでも。親を愛したい、愛されたい。
やがて大人になって
もう生活の上では、親の存在なんて遠くなっても
親は年老いて、やがてこの世を去っていっても
無意識の中では、子どもの自分が
かつで引き受けた不幸を、引き受け続けてる。
かつて諦めた幸せを、諦め続けてる。
自分自身でいることを、封印し続けてる。
だから、動けない。成せない。
辛いがまんの人生。
ままならない。喜べない。
薄い幸せの人生が、あいかわらず続いている。
その責任、もういいよ
もういいよ。
そのお役目、ハイ、おつかれさま!
親の悲しみや喜びに、自分が責任を持とうとしたちっちゃなその子の肩から、
その分不相応なお役目を降ろしてあげよう。
そんな大役を、キミが引き受けなくても、もういいんだよ。
親の感情にキミが責任持たなくて、もういいんだよ。
キミのせいじゃないよ。
キミはただ、お母さんお父さんが好きだった、それだけだったんだもの。
それでいいんだよ。
親の喜びも悲しみも
親の幸せも不幸せも
親の孤独も不安も
親の期待も心配も
それは親自身が感じること。
今、心の中で、親自身に返してあげよう。
そして
私の喜びも悲しみも
私の幸せも不幸せも
私の孤独も不安も
私の期待も心配も
全部、私自身が感じること。
この人生、私のもの。
親の感情は、親のもの。
私の感情は、私のもの。
親の人生は、親が生きる。
私の人生は、私が生きる。
そう宣言してみよう。
自分の人生を生きるために
生きるのがシンドイ人や
なぜか幸せになることに足を踏み出せない人はね、
いっぺん、この「けなげなお子さま・責任返上」のプロセスが必要なんです。
引っからまった、親の感情と自分の感情をいっぺんキッチリ根分けして
あちらはあちら、こちらはこちら、とそれぞれの場所に植え替えるような。
そんな、心理的な決別を果たすことです。
「あちらのものを自分が引き受けなくても、もういいんだ」
と荷物を下ろすことです。
そして、自分の大地で、自分の根を存分に伸ばして生きていくのです。
誰かのためにがまんにがまんを重ねた、シンドイ人生を卒業して
本当に自分の人生を自分の人生として存分に力を発揮して生きていくためには
心の中の親(インナー・ペアレンツ)と向き合う、
このプロセスが重要です。
これは別に、リアルな親その人に向かって実際に何か言ったり、
リアルな親その人と離別したりすることを意味しません。
あくまでも心の中にいる親(インナー・ペアレンツ)と、
心の中にいる小さな自分(インナー・チャイルド)との関係の再構築です。
これらをあなたの心の中で行うのです。
それが、現在のあなたの現実と人生を動かすことになります。
ここが整理できると、とっても軽くなります。
余計な罪悪感からも解放されます。
自分が自分でいることに、OKが出せるようになってきます。
自分が幸せになることにも、OKを出せるようになってきます。
もちろんね、これを一人でやろうというのは、ちょっとキツイかもしれません。
一人で考えても、なかなかわからないかもしれません。
そのために、カウンセラーやセラピストという人がいるわけですから、
ぜひ伴走者として活用しながら、脱出・卒業!へ向かってチャレンジしてみてください。