「がんばらなくていい」の奥にある深い意味

 hamster running in the wheel.

がんばらなくていい」流行ってますね

時代のせいか、最近は心のことを話したり書いたり、考えたりすることがわりとオープンにできるようになってきました。

最近よく聞く言葉の一つに。

「がんばらなくていい」

というのがあります。

これって、とっても奥深く、意味深い言葉だと思うんです。

額面通り受け取れば、

「えー、がんばらなくていいわけ?
じゃあ、怠けてもいいの?
努力しなくていいの?

なんにもしなくていいっていうの?
現状に安住しろってこと?

だったら、成長も向上も
しないんじゃないの?

これでいいと思ったら
向上どころか衰退するじゃん?

ちょっと、ありえないでしょう。
そりゃ楽かもしれないけど
そういうわけにはいかないでしょう。」

なんていう感情がわいてきたりする方も、多いのではないかと思います。

これまでがんばってきた人ほど、この言葉を聞くとイヤ〜な感じがするはずです。

でもね、この「がんばらなくていい」の奥にはもっと深い意味があると、私は思っているのです。

私なりの解釈を少し語ってみます。

「がんばらなくていい」が有効な人たち

この言葉は、向けられるべき対象となる人達がいます。

その人たちに向かってのみ、語られるべき言葉です。

「がんばらなくていい」が有効な人たちとは、これまでさんざんがんばってきた人。

勉強で、仕事で、人間関係で、恋愛関係で、家族の中で・・・

努力して、がんばって、成果出して、「ここまでは、これくらいは、まだまだ、もっと・・」と、「シャカリキ」といえるくらい、やってきた人たちです。

やってきたにもかかわらず、

「この程度じゃ、全然やってるうちに入らないよ。いや、ぜーんぜんでしょ、自分は。」

と思っている人たちです。

それでいて、たまに一人になった時、ものすごい疲れを感じて、自分のことも、何もかも、嫌になってしまったり

いつまで続くかわからない、終わりのない切迫感に気が遠くなりそうになったりすることがある・・・

そんな人たちです。

他人からみると、確かに努力家でがんばり屋さんですばらしいけど、でも、ちょっと力入っているかな?と感じることがある・・・

そんな人たちです。

そういう方達に向けて、この「がんばらなくていい」はあるわけですが、

いきなり「がんばらなくていい」って言われたってこういう方達にとってはそれこそ「はぁ?」だと思います。

そこで、「がんばらなくていい」の前には、前段階としての、問いかけのプロセスが必要なのです。

その「がんばり」の動力源はなんですか?

その問いかけとは、次のようなものです。

・その「がんばりのパワー」を回している元にあるものは何ですか?

・あなたの内側で、何がその「がんばり」の動力源、エンジンとなっていますか?

そこを見ていくことに、とても大きな意味があります。

多くのがんばり屋さんの内側には、実は強い「自己否定」があることが少なくありません。

そしてその自己否定にもとづく「不安」があります。

ぜんぜんそうは見えないかもしれないけど。

えー?あの明るくてパワフルで有能なあの人が、自己否定!?

って見えるかもしれないし、

そのがんばり屋さんご本人だって

「えー、あたしが自己否定〜?(笑)」

・・・なんて、自分ではまったく自覚していない場合も多々あります。

がんばる理由を、心の奥深くに問いかけていくと、多くの場合、無意識レベルでちょっと否定的な「だって、自分は〇〇だから」がもれなくついている場合が多いです。

それを探すコツは、

がんばらなかったら
あなたがそれをやらなかったら

どうなってしまいそうですか?

と問いかけてみることです。

そうすると、とても怖いことを想像せざるを得なくなるはずです。

「そんなことしたら、ダメになっちゃう・・・」みたいな。

では、その「ダメ」の具体的な中身とは?

・嫌われる
・怒られる
・存在価値がなくなる

・受け入れてもらえない
・能力が低いと思われる
・ダメ人間になる
・見放される

・・・・など。

ということは

がんばらないで、なんにもしないそのままの自分なんてものは

・嫌われて、怒られて
・存在価値がなくて

・受け入れてもらえない
・能力が低くて、ダメ人間で
・しょせん見放されるような 

そんなちっぽけな存在だ、と定義している、ということになりますね?

そして、もし自分ががんばらなかったら、それをやらなかったら

・関係がこわれる
・すべてがダメになる
・めちゃくちゃになる
・終わる

・・・といったような、絶対に悪い方へ転がりそうなそんな感じがするとしたら、

自分のまわりの人というのは、私ががんばらなければダメになってこわれてしまうような、何の力もない存在だ、と定義していることになり、

この世界というのは、ほっとけばどんどんダメになってこわれていくような危険きわまりない場所だ、と定義していることになります。

結局、心の中では、

ほっといたら、私もダメ
あなたもダメ
世界はもっとダメ

みたいな世界観を元に動いている。

その世界観を前提に、シャカリキになってがんばっている・・・そんなことになっていたりするかもしれません。

だって、自分は〇〇だから

ここで、いくつか問いかけのシミュレーションをしてみましょう。

なぜ「向上しよう、努力しよう、がんばろう」とするのか。

だって、このままの自分は
ダメだから。

足りていないから。
欠けているから。

だから
がんばって人並みにならないと。

がんばって、人並み以上に成果上げて
認められないと。

なぜ「人の期待にこたえよう、とことん人のために尽くそう」とするのか。

だって何もしない自分では
価値がないから。

本当の自分は
つまらない人間だから。

だから、がんばって
気が利く人にならないと。

がんばって
「いい人だね」って言われて
好かれないと。

なぜ「自分がやらなきゃ。人に頼っちゃいけない」と自分一人でがんばるのか。

だって
きっと私が言ったって
わかってくれないから。

私のことなんて
受け入れてもらえてないから。

だから
一人でがんばっていた方が楽。

がんばって、結果出せば
文句は言われないし。

今のはほんの一例ですが
そんなかんじで、がんばる理由の奥には

ダメな私、足りてない私
欠けてる私、
価値がない私
つまらない人間の私

わかってもらえない私
受け入れてもらえない私

・・・・といった、
欠陥があって、無力で、小さくて、愛されないちっぽけな自分像が前提にあるということなのです。

これが自己否定というものです。

「いや、だってこれ事実だから。」って?

いやいや、これが思い込み。
信じ込み。ビリーフだから。

それは私、断言するから!

ダメな私、足りてない私
欠けてる私、価値がない私
つまらない人間の私
わかってもらえない私
受け入れてもらえない私

って、思い込んでるだけ。

自分で自分のこと、そう決めてるだけ。

こういうちっちゃくて、ちっぽけな、寂しい自己定義を、ビリーフリセット心理学では

否定的「コアビリーフ」といいます。

潜在意識レベルに入り込んでしまったプログラムです。

たしかに、自己否定を原動力にするとがんばれる

人間として生まれるかぎり、否定的コアビリーフが入っていない人はいません。

幼少期の体験を元に、なんらかの形でみんなの心の中に入って、大人になってもそのプログラムに、知らず知らず動かされています。

シャカリキにがんばる人は、多くの場合この否定的コアビリーフをがんばりの原動力にしています。

それは強力なエンジンです。

ダメにならないように、がんばる!
足りないからこそ、がんばる!

前提は「ダメ」と「足りない」。

これがシャカリキ・タイプのがんばりのエンジンです。

自分の心の奥に、「ダメ」と「足りない」があかあかと燃えているところを想像してください(笑)

これがエネルギー源です。
これを燃やすから、がんばれるのです。

こういうがんばり方を、ビリーフリセット心理学では「補償モード」といいます。

足りないと思っているものを、まさに補(おぎな)って償(つぐな)う。

そういうがんばり方ということです。

早い話が「劣等感をバネに!」というアレです。

たしかに「補償」をやると、ホントにがんばれるんですよ。

がむしゃらにがんばれます。
ガンガン前に進めます。
努力できます。
成長します。
成果出せます。
業績上がります。
いい人、すごい人と言われます。

場合によっては
我が世の春も謳歌できます。

どこが悪いの?

それ自体はぜんぜん悪くありません。

ある程度までは、そういうがんばり方もいいでしょう。

充実感も達成感も味わえるでしょう。

それで、ずっと本人が幸せならば問題ありません。

満足がいって、これならOK! 私、OK!と本当に思えるならば。

しかし、「補償」の罠とは、終わりがないこと。

これだけ達成したら、次はここ!
ここまでいったら、次はあそこ!
まだまだ、足りてない。
まだまだ安心できない。
まだまだOKじゃない。
こんな自分じゃ、まだまだダメ。
この程度で満足したらダメ。

永遠の飢餓感や渇きがついて回ります。

それを「ハングリー精神!」とか言って、またまたその飢餓感と渇きをバネにしちゃったりして、さらにシャカリキにがんばる。達成する。

しかし、ふと一人になって、我に返った瞬間。

恐ろしい谷底のような闇を、自分の内に見てしまうことがあります。

「ダメ」と「足りない」が自分を襲ってのしかかってくる時があります。

それを見ないために、感じないために、さまざまな外からの刺激を絶え間なく求め続け、心を麻痺させてやり過ごしている人もたくさんいます。

なぜなら、「補償」パターンのがんばりは「ダメ」と「足りない」を原動力にして動いているからです。

「ダメ」「足りない」と感じ続けなければストップしてしまいます。

だから、動くため、進むためには永遠に「ダメ」「足りない」と感じ続ける必要があるのです。

だから補償をやり続ける限り、いつまでたっても「ダメ感」「足りない感」から抜け出すことはありません。

本人にとって必要だからです。

それ以外のエンジンの回し方を知らないからです。

何度も言いますが、それを幸せだと感じたり、まあ、幸せとはいえないけど、こんなもんじゃないか?と
思えたりするなら、もちろんOKなんですよ。

価値観は好みであり自由ですから。

「がんばらなくていい」が本当に腑に落ちる時

しかし、いつか、時が来て

「なんか違う。」
「なんか最近やたらに疲れる。」
「なんか、このままじゃ
 もうやれない気がする。」
「もうこれ以上進めない。」

そんな立ち止まり方をする人もいるかもしれないし、

そんなこといってる場合じゃなく、燃え尽きたり、病気になったりして強制ストップがかかる人も、少なくないでしょう。

その時こそ

・私は何のためにがんばっていたのだろう?

・私のがんばりの奥で、何が回っていたのだろう?

という問いかけが、意味を持ちます。

その答えは、すぐに出せるものではないかもしれません。

考えて、考えて、
悩んで、悩んで、
苦しんで、逡巡して
ある程度の期間を過ごさなければいけないかもしれません。

しかし、もし気がついたとしたら。

そのがんばりの奥に「ダメ」「足りない」といった、小さくてちっぽけで、不安におののく否定的な自分観が横たわっていて、

それを中心として、エンジンをガンガン回していたことに気がついたとしたら。

そして実は、その根拠であった自己否定、つまり

自分はダメだとか
足りないとか
欠けてるとか、価値がないとか
つまらない人間だとか
わかってもらえないとか
受け入れてもらえないとか

それらがすべて「思い込み」という幻想であり、かかってしまった呪いであり、入ってしまったプログラムであると気がついたとしたら。

なんでもない「ただの私」で、なんにも問題ない。

もともとOKだったじゃん!と気がついたとしたら。

その時こそ!

そういう転機を迎えたその自分に対して、はじめて

「がんばらなくていい」

という言葉が、心の底から、腑に落ちるでしょう。

自己否定のエンジンから、自己肯定のエンジンへ

「がんばらなくていい」

それは正確に言ったら、

「もう、補償のがんばりはしなくていい」

 ということだと、私は解釈しています。

それは動力源をシフトさせることを意味します。

「自分はダメ」で回っていたエンジンを「自分はOK 」で回すシステムに変えることです。

そうなった時には、「自分はダメ」で回っていたころに身につけた能力や、技術や知識、さまざまなリソース、内なる財産が

ちゃーんと「自分はOK」の土壌の上で再起動し、さらなる役にたってくれることでしょう。

「自分はOK」が根底にあれば、

がんばりたい時はがんばればいいし、
うれしくて楽しい努力をすればいいし、

やりたいことはやればいいし、
やりたくないことはやらなければいい。

やりたい時はやればいいし、
やりたくない時はやらなければいい。

できることをやればいいし、
できないことは、人に頼んでもいい。

できなかったら、やらなくていいし
できるようになろうと、がんばってもいい。

それだけです。

がんばっても、怠けても
どっちでもいい。

努力してもしなくても
どっちでもいい。

なんにもしなくても、しても
どっちでもいい。

現状に満足した上で
成長も向上もすればいい。

成長も向上も、したっていいけど、
しなくたって、べつにいい。

だって、自分はOKだから。

これだけのイロイロな道のりがあっての

「がんばらなくていい」

なんだと、私は思うのです。

なんでこんなことを自信満々に言えるかっていうと、ここまで書いたことは他ならぬ私自身がやってきたことだからです。

自分がやったことだからよくわかる。

「人間として欠陥があってダメだ。」と思っていたからこそ

「音楽という能力」を磨くことにこだわって、ガンガンがんばって、芸大とか入って、プロとしての実績作って・・・ってやってきた、私だからこそ。

燃え尽きをきっかけに、自分の根底にあった「欠陥があってダメ」がそれまでの動力源だったことに気がついてしまった、私だからこそ。

だから、「補償のがんばり」については、本当に実感を持って、語れる自信あり!です。

とはいえ

「じゃあ、そもそもがんばれない私、そんな気力もない私はどうしたらいいの?」

というタイプの方も、もちろんいるでしょう。

こんどは、そういう「がんばれない場合」についても考えてみたいと思います。

次の記事はこちら

 

★ 自己肯定感と「補償」についてはこちらの記事もおすすめ!

 


この記事を書いた人

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大塚 あやこ

心理コンサルタント/作曲家/ピアニスト
一般社団法人ビリーフリセット協会 代表理事
 
東京芸大作曲科卒業後、演奏家・作曲家として活動。アーティストのツアーサポートや編曲、アニメやドラマのサントラ作曲等を手がける。
 
音楽での燃え尽き体験をきっかけに、心理カウンセリング/セラピーへ転身。
悩みの根本原因に迫るオリジナルメソッド「ビリーフリセット®」を提唱し、前に進みたい人、人生の転機に直面した人などを新しいステージへと導く個人セッションや講座を開催。「ビリーフリセットで人生が変わった!」という人多数。カウンセラー養成講座も開催し門下の認定カウンセラーを多数輩出している。
その他、心と意識をクリアにするサウンド瞑想など、独自の立ち位置で音楽制作やライブイベント等も行っている。

◎一般社団法人ビリーフリセット協会代表理事
◎淨音堂株式会社代表取締役

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