ここのところ、自己否定のビリーフについてのトピックが続いていますが、もう少しシェアしたいことがあるので、さらに続きです。
過去記事参考:
・なぜ自己肯定感なのか
・欠陥/恥ビリーフと日本人
・自己否定ビリーフの王様はこれ!
実は、ビリーフは、単純に一つのビリーフだけで存在しているものではありません。
これまでの記事では「私は〇〇な人間だ」といった、自己否定の言葉をビリーフとしてご紹介してきましたが、今日は、そこから派生する別の種類のビリーフについてお話したいと思います。それらが重層的に重なって「ビリーフ・システム」というのができあがっているわけです。
■根本的な自己定義「コア・ビリーフ」
まず、根本的な自己定義である、コア・ビリーフというものがあります。
これが、「本当の私はダメな人間だ」とか「私には価値がない」とか
「自分は悪い人間だ」とか、自己否定の権化のような中心信念です。
このようにコアになる自己定義「コア・ビリーフ」は、人生の早い段階、つまり幼少期に作られると言われています。
その理由はさまざまですが、何らかのきっかけで生じた幼い子どもの傷つきゆえに、心に刻んでしまった思いなのです。
なぜそれが形成されるのか、詳細はここでは述べませんが、コア・ビリーフは大人になっても無意識下にずっと刻まれて発動し続けるものなのです。
コア・ビリーフはその人にとっての最大の怖れでもあります。
そこだけは見たくない、感じたくない、味わいたくないもの。
それは、自分の存在自体の根本的な欠乏感であり、生きることとは逆のこと、つまり「死」に等しいものです。
さらに、人とともに集団の中で生きる人間にとって、死にも匹敵する怖れは「傷つけられること」「拒絶されること」「見放されること」「一人ぼっちになること」であり、究極それは「生存できない」ことであり「死」を意味する、とおそらく原始的なレベルの無意識ではそう理解しているのです。
■怖れを回避する行動指針「コーピング・ビリーフ」
コア・ビリーフは人間にとっての根源的な怖れに直結しています。
そして、コア・ビリーフを前提として、その周りにはさらに、
怖れに関するビリーフが様々にできることになります。
・〇〇したら、△△になってしまう
例:本当の自分を見せたら、仲間はずれになってしまう
(仲間はずれになったら生きていけない ←怖れ)
・□□しないと、☆☆してもらえない
例:人の期待に応えないと、愛してもらえない
(愛してもらえなかったら生きていけない ←怖れ)
例を挙げれば無数にありますが、このように、傷つくことや拒絶されることを怖れるビリーフが次に呼ぶのは、傷つくような事態を回避するための行動指針です。
そして、その行動指針に基づいて、独自の行動パターンができあがります。
以下の例では、ピンクの文字で「怖れている事態」を
青い文字で「とるべき・または禁止すべき行動」を
緑の文字で「相手から欲しいケア」を示します。
一番下に、その根底にある可能性のあるコア・ビリーフを記します。
1.△△されないためには、□□しなければいけない
ビリーフ例:見放されないためには、言うことに従わなければいけない
→行動:いつも人の言いなりになって我慢する
コアビリーフ:私は見放される(見捨てられビリーフ)
2.△△されないように、〇〇してはいけない
ビリーフ例:裏切られないように、弱みを見せてはいけない
→行動:いつも強面で突っ張り、心を開かない
コアビリーフ:私は裏切られる(不信ビリーフ)
3.☆☆してもらうためには、□□しなければいけない
ビリーフ例:受け入れてもらうためには、期待に応えなければいけない
→行動:自分より他人を優先して過剰に人に尽くす
コアビリーフ:そのままの私には価値がない(欠陥・恥ビリーフ)
4.☆☆してもらうためには、△△してはならない
ビリーフ例:認めてもらうためには、失敗してはならない
→行動:いつも過剰なプレッシャーに押しつぶされそうになりながら
必死で努力する
コアビリーフ:自分は失敗する(失敗ビリ−フ)
このような、怖れを回避するための行動指針として持っているビリーフを
ビリーフセオリーでは「コーピング・ビリーフ」といいます。
安全と生き残りのための対策となる思い込み・信念のことです。
コーピング・ビリーフが求めているものは究極、生存であり
安全・安心です。
生存するためには安全が不可欠。
という、生物としてきわめて妥当な欲求。
集団に受け入れられ、人から愛され、承認されることが、
安全に生存するための重要な条件である、と
石器時代から脈々と社会的動物として生きてきた人間が、
見出した対策。
そして、無力な赤子として生まれ、
養育者に自分の生存をすべて委ねなければならなかった、
人間という脆弱な生き物の必死の対策。
怖れを避け、安全を得る。生存のために。
それがコーピング・ビリーフ。
だから、生き延びるために役に立ってはきたものなのですが、
それはある時点までなのです。
そのコーピング・ビリーフが、ある時点から「足かせ」に変わる時がきます。
それは、自分らしく生きる幸せを望むようになった時。
つまり「自己実現」。
その旧来のパターンからの卒業が呼びかけられる時が、
人生に来る場合があります。
■生き残り対策を卒業する時
先ほど例を見てもおわかりになると思いますが、
このコーピング・ビリーフによる行動をしていると、
どうもあんまり幸せそうじゃないのです。
本当に思っていること、望んでいることをせずに
やりたくないことを無理してやっている。
それが快適だ、最高だなんて思っているわけじゃないけど
だってそれしか知らないから、それ以外できないし・・・。
なんだかわからないけど、生きるのって苦しいのね。
そんなものなのかな、人生って。
そんなかんじになります。
なぜなら、それらは全て「怖れ」を根底の動機にしているからです。
怖れを回避するための「そうならないように」するための行動が
それ以上の幸せを生むわけがないのです。
その方策が成功したとしても、その成果はせいぜい
「よかったー、そうならなくて」というくらいのものです。
もちろん、「日々をできるだけ何事もなく過ごしたい」
「とにかく、このまま。このままがいいんだ。」
「毎日生きていけさえすれば大満足だ」と思われる方は、
それもいいでしょう。
望むように生きるのがいちばんですからね。
けれど「これは私が本当に望んでいる人生なんだろうか?」
という問いかけが始まり、
「本当に自分の望む人生を生きてみたい」という願いが疼きだした人にとって、
だんだんと、コーピング・ビリーフによる安全対策の行動が、「新しいところへ生きたい」「成長したい」「はばたきたい」と願うエネルギーをストップさせる要因となるのです。
なぜならコーピング・ビリーフは、基本的に
「してはいけない、しなければいけない」
という禁止令や、義務・命令であり、
「こうすべき・こうであらねば」という狭い制限であるからです。
そして「こうしないと、こうなるぞ!」という脅しも含んでいるからです。
この枠の中に「したい!やりたい!」というワクワクした活力の入る隙はありません。
コーピング・ビリーフによる行動は
何かをクリエイトすることよりも、恐怖を避けることだけを目的としているからです。しかもその恐怖は、まだ起こってもいない事態について「思考だけ」「そう思っているだけ」の恐怖です。
根拠のない恐怖におびえて、禁止・命令・義務・べき・ねば に従っている人生を、本当に望んでいるのでしょうか?
■前に進んでいく!ビリーフワーク
ということで、
「これまでの人生」から踏み出して、変えていくカギは
ビリーフを見つけ出し、その制限を取り外していくことにあると、
私は考えています。
個人セッションでは、一歩ずつ、そのお手伝いをさせて頂いています。
無意識下に眠っていて気がつかない、けれど確実に自分に制限をかけていたビリーフがみつかった時の、相談者の方の「お〜・・!」という発見の驚きと、「これだったのか!」という心軽く楽しそうな様子。「これで何かが変わるかも・・・」という希望をじんわりと感じていただいている様子を、共に感じさせて頂くのが、私もうれしいです。
まさに、「前に進んでいく!」ためのビリーフワーク。
人生変えたい方、前に進みたい方におすすめです。