おとなしい人はあんまりものを言わない。
みんながわあわあ、しゃべっていても
けんけんがくがく、言い合っていても
ただそこにいて
うなずいたり
ニコニコしていていたりする。
思うことがないわけじゃない。
感じていることだっていろいろある。
自分の意見てものも、たぶんある。
でも
「言う」ってことに
とってもハードルが高いんだよね。
声の大きい人が
言いたいことを熱くしゃべっていると
「そうですか」って聞いちゃうんだよね。
「ちょっと言いたいな」って思っても、
自分が何か言うスキマが
なかなかみつからないんだよね。
そんなことしている間に
話はどんどん流れていって
結局言う時間がなくなっちゃうんだよね。
それでまた
黙ってうなずいていたり
ニコニコしていたりする。
世の中はスピードが速くて
声の大きい人が強くて
言える人がどんどん言うから
言えない人のことを待ってる暇はない。
「言いたいことがあれば言えばいいのに」って
言える人はとっても簡単に言うけど
そう簡単に言えないのが
「言えない人」だからね。
「えっと・・・それで・・・」
って準備しているあいだに
言える人はまた
言いたいことをどんどん言って
やっぱりスキマがなくなってしまう。
おとなしい人の中には
言えない気持ちが
いっぱいつまってる。
言えない人の中には
ほんとは言いたいことが
いっぱいつまってる。
言えないから
いつも1人でひっそりしまって
時々ひっそり涙を流したりする。
そんな人に
本当に何か言ってほしかったら
じーっと待ってあげてほしい。
ちょっとスピードをゆるめて
少しのあいだでいいから
自分の「言いたい」をひっこめて
なーんにもない空間を
作ってあげてほしい。
できるなら
なかなか言えない言葉の奥に
たくさんの気持ちが
つまっていることを想像しながら
一言の、その次を、
待ってあげてもらえたら。
もしかして、思いもかけないものが
こぼれてくるかもしれない。
ただ聴くこと。
言えない人は、
ただ聴いてくれることのありがたさを
肌に染み入るほど知っている。
それがどれだけ
ありえない恵みなのかを
よーく知っている。
私はまさに
そういう「言えない人」だから
聴いてくれる人を切実に必要とする
たくさんの「言えない人」のことを思う。
聴いてくれる人がいたらいいのにね。
みんながもっと
「聴く」ってことも
大事にするようになったらいいのにね。
でも
「聴いてくれる人」っていうのは
希少な存在だから、
「身近にそんな人いない」
っていう人だって
たぶんゴマンといる。
だから、私が
人の話を聴く仕事に運ばれていったのは、
そんな理由もあったように思う。
私自身が
ゆっくり待ってもらって
受け入れてもらいながら
話を聴いてくれる人が
本当にほしかったから。
そして
そんなふうに
話を聞いてくれる人達に出会って
そういう人達がいるんだ
ってことを知ったから。
だんだん自分がそうなった。
自分が聴いてほしかったからこそ
少しでも聴いてあげられる人に
なれたらうれしい。
自分がいちばんほしかったものは
めぐりめぐって
いちばん人にあげたいもの。
自分がいちばんほしかったものに
気がついたら
それはめぐりめぐって
人にあげられるもの。
「言えない人」が
やっと落ち着いて話ができて
言えない気持ちをやっと話せて
「やっと聴いてもらえた」って
思ってもらえたら
それで私もきっと癒されている。