ものごとの変わり目、節目、
潮時、変え時、終わり時・・・。
そんな時に必要なことは何か。
私はたぶん「いっぺん手を放す」ということであるような気がします。
たとえば、突然ですが
私たちは、猿のように木の上にいるとして。
今いるその木から、別の木に移ろうとするとして。
それこそ猿だったら、
片方の手を枝にかけて、
もう片方の手を次の枝へ伸ばして、
ヒョイヒョイッと枝から枝へ渡ってしまえるかもしれない。
たぶん、できれば私たちもそうやって
今いるところから次の場所に片手一つで
地面に落ちることなく移っていけたら
楽だし、安心・万全の移り方のような気がする。
今あるものを片手で確保しておいて、
次のものをしっかり片手でゲットできたら
安心して乗り換え。
ヒョイヒョイ!
そんなのを理想にしてたりしませんでしょうか。
たしかにね。それができる場合もあるかもしれない。
でも、それができる時ばかりじゃない。
むしろ、そうはいかないよな〜って気がしてる。
あくまでも私の実感ですけど。
やっぱり、お猿のように、木から木へヒョイヒョイ!は無理。
人間だもの。
ていうか、そういうふうに
その先の「安心」を確保できた上での乗り換え方を望んでいて
本当に「その時」というのは訪れるんだろうか、って思う。
あるいは
なんでもいいからとりあえず
手が届くところの木で、
適当に妥協することになったりはしませんでしょうか、って思う。
私はやっぱりね、
次の木へ移るのに、今つかんでる枝から手を放して
いっぺん地面に降りるのがいいな、って思う。
や。器用な人はヒョイヒョイ!もできるのかもしれない。
だけど、無骨でも、不器用でも
いっぺん地面に降りる方が、底力を感じて私は好きですね。
つかんだ手を放して、
登った木から降りて、いや、落ちてもOK、
ともかく自分の足でただの地面に立つ。
そこはちょっと恐いよ。
なんにもないよ。
一人だよ。
ちょっと途方に暮れるよ。
でも
だからこそ、
ただの自分に戻れる。
いっぺん地面に立って
さっきまでいた木を振り返って
次に登るべき木を見定めて
自分で目指していく。
自分の足の弱さも頼りなさも噛みしめて、
それでも歩くから、少し強くなる。
自分の嗅覚を信じるようになる。
そして、コレという次の木の下まで来たら
また一生けんめい登るんです。
地面に降りたその時間ていうのが、
存在を鍛えてくれる。
そして、生かしてくれる自然の恵みというものが
あるということも教えてくれる。
そんな時間を過ごしてこそ、
本当に次にふさわしい木に出会うんじゃないか・・・・
そんな気がする。
そういうやり方に、自分は実感があります。
さて、たとえ話をもう一つ。
私のカウンセリングの師匠である岡部明美さんは
こんなことを言っていました。
人生の新しい扉というのは、
自動ドアじゃなくて、観音開きの手動ドアなんです。
手に持っているものを手放さないと開けられない。
まさに。
手に一杯の荷物を持っていたら、その扉を開けることはできない。
勝手に開いてくれる扉なんかない。
私たちは、それまで持っていたものをまず手放して
両手をノブにかけて
思い切り押して
自分自身の手で、力で、意志で
その扉を開いていくんですね。
たぶんそれが、
人生の転機の過ごし方の
一つの秘訣なんだと思うのです。
手を放す。
そのすがすがしさ。
托身と自力の絶妙なバランス。
ワクワクします。