音楽療法とどう関係あるの?
最近、セミナーでも、こちらのブログでも
「ビリーフ、ビリーフ」とやたらに言っている私ですが・・・
こないだまで音楽療法じゃなかったの??
今のソレって、音楽療法なの?
と思われる方もいるかも。
そうです。
今のコレ、ビリーフ云々は、音楽療法とは全く関係ないものです。
音楽療法の学校で、こんなことは教えていません。
たしかに私は、こないだまで2年間、音楽療法の大学に行って、
音楽療法士という資格も取りました。
と同時に、それと並行して全く別の場所で、
カウンセリングや心理療法を学んでいました。
ビリーフについて着目するようになったのは、
そちらの心理療法のフィールドで学ぶ中で
この考え方にとてもインパクトがあったからです。
要するに、すごく気に入った、好きになったということです。
人がなんでそんなに苦しかったり、シンドかったり、悩んだりするのか。
その鍵はその人の「思考」にある!
という考え方が、私はめちゃくちゃピンときたのです。
思考とのつき合い方がわかれば、色々なことがすごくクリアになる。
問題だと思っていたことが、問題じゃなかったことにも気づく。
まさに、目からウロコが落ちる!という体験の、
劇的な鮮やかさとインパクト。
これにすっかりはまったと言ってもいいでしょう。
これからもさらに、探求を続けたいことです。
感情の解放だけでは人は変われない
もちろん音楽療法も、
使いようによってはその独自のパワーを発揮する場合があります。
まだまだ音楽の本当の力というものは知られざるものがあると思うし、
この先の未来にわたって、その莫大な力に人類が気づいていく・・・
という遠いシナリオも、あるような気はします。
私も、おそらく将来的には、自分ならではの音楽療法を
もう少し確立してやっているような気もします。
でもね、今現在のところ、音楽が扱えるのは主に「感情」の部分。
感情にアプローチし、感情を解放する手法としては音楽は有効なんですが、
一方で実は、
感情を解放しただけでは人は本当には変われないものでもあるのです。
その時はいいかもしれない。癒された〜とか思うかもしれない。
でもしばらくするとまた同じような感情に捕われる・・・
ということを繰り返しかねないのです。
なぜか。
感情が生まれてくるにはその「製造元」があるからです。
製造された感情をいくら刈っても、刈っても、
その製造元が製造し続けるのならば、それは終わりのない再生産になります。
その製造元とは、つまり
感情のさらに奥にある「信念」=ビリーフである。
ビリーフが変われば、心のシステムが変わり、感情が変わり
行動が変わり、人生が変わる。
そのように考える心理療法の系統があり、私はそれに賛同するわけです。
そうなると、何事もわりと突き詰めたい性分である私としては、
どうしても、音楽療法で感情を解放するだけでは
物足りなくなってしまうのです。
もっとストレートで、もっとダイレクトで、もっと確実な、
有効なツールがあるじゃないか!
これをもっと深めたい。もっとわかりたい。
そして、もっと皆さんに提供できるようにしたい!
それが今の私の気持ちです。
だから、音楽療法はなんとなくちょっと横においといて、
ビリーフ、ビリーフ、と言っているわけです。
理論は方便
でもね、私は決して、このビリーフ理論だけが
心にとりくむ方法として正しいと思っているわけでもないし、
絶対的な真実であるとも言いません。
これは一つの方便であり、仮説であり、モデルです。
心という、本来目に見えず、触れず、つかめず、実証もできないものを、
それでもなんとか理解しよう、整理しようとする時に、
とりあえず定規で線をひっぱってみて、座標を作り、
その座標をもとに位置関係を割り出して分析し、傾向をつかもうとする。
位置関係を見渡して、理解し、言葉で共有しようとする。
理論というのはそんなかんじだと思うし、
そのために便宜的にひっぱったいろんな座標というべきものが、
さまざまな流派・学派の理論だと思うのです。
それはまるで、本来なんにもない地球の表面に
北緯だの東経だの赤道だのと線をひっぱることで
その位置関係を理解していくのと似ていると思います。
だから、本来の心は
そんな理論やモノサシで量りきれるようなものじゃないし
理論など全く関係のない、ただそこにあるエネルギーであると
いうこともできます。
「ビリーフがありますよ」と便宜的にいうけれども、
実はそれが本当に心のどこかにあるわけではないのです。
そもそも心がどこにあるかも、ホントはわからないのですから。
どれが自分に合うか、にすぎない
どこにあるかもわからない、見えない、つかめない
心というものがただ在って、
それに対して、色々な理論や流派・学派が
それぞれのモノサシで線をひっぱって
考えたり論じているにすぎないことです。
そうやって線をひっぱって考えてみると、
よくわからない漠然とした苦しさ、シンドさ、悩みというものにも
取り組む糸口が見えるわけです。
その線のひっぱり方と見方、取り組む切り口と方法が、
それぞれの理論や流派・学派の違いということになります。
だから、結局どれだっていいのです。
どれが好き? どれが合う? どれがピンとくる?
そういう問題だと思います。
私にとっては、それが今のところビリーフシステム理論だ
ということになります。
これ以外の理論や手法にもそれぞれの良いところがあり、
私も少しずつ取り入れていたりしますけれども、
今のところ、
ビリーフという見方・切り口で線をひっぱったやり方が、
単に好き!自分に合う!おもしろい!
そして、なんか効果成果があるような気がする!
そう思っているので、
ついつい、色々語りたくなっているのです。
そして、もし
こういう見方に「なるほど!」とか
「そうやって考えると自分の心が少しわかってくるような気がする」とか
「これで気がついて楽になった、うれしい方向に変われた」とか
思って共感してくださる方がいたなら、とてもうれしいことです。
というわけで、私がなぜビリーフ、ビリーフと言っているのか、
その背景をちょっとお話したくなりました。
これだけおもしろがっていることですから、当然
ビリーフのことについて語りたいことはまだまだあるので(笑)
しつこいようですが、これからもまた書いていきたいと思います!