自己肯定感が低いのは、「自己否定のビリーフ」が入っているから。
と考えてみたらどうでしょう?
というのが、前回の記事でした。
自己否定のビリーフとは、言い換えれば、たいへん否定的な自己イメージ・自分像・自己定義です。
自分のことを、小さく無力で悲しい存在に押しやってしまうような思いこみです。
ビリーフリセットでは、自己否定のビリーフの中でも、さらに傾向別の分類をしています。
その代表的なものがこれ。「欠陥ビリーフ」です。
誰にでも入っている「欠陥ビリーフ」
ビリーフとは「そういう信じ込み」ですが、信じているがゆえに、言葉を超えてあきらかな「感覚」として私たちは感じているものです。
欠陥ビリーフとは、「自分は生まれつき欠陥がある、恥ずかしい存在だ」という信じ込みであり、そう感じてしまう感覚です。
これは色々なビリーフの中でも主要なもののトップに挙げられるものです。
これが入っている人は非常に多く、いわば、自己否定ビリーフの王様のようなもの。
特に日本では「恥の文化」「謙譲の美徳」などといわれる国民性とも関係して、どんな人にも多かれ少なかれ入っている、たいへん普遍的なものといえます。
ビリーフはとても感覚的なものですが、あえて言葉にすると具体的な文として挙げることができます。
人によってピンとくる言葉、こない言葉、いろいろ違いがあります。
あなたがその言葉を見てザワッとしたり、ちょっと刺さるような感覚があったとしたら、そのビリーフがあなたに入っている可能性があります。
欠陥ビリーフのフレーズ例としては
・私はダメだ
・私はまだまだ足りていない
・私には欠陥がある
・私は器が小さい
・私はたいしたことない人間だ
・私は人として決定的に欠けているものがある
・自分の存在が恥ずかしい
・自分の中に絶対に見せられない暗部がある
・・・など。
このように言葉で書くと、気が滅入るような、ドキッとするようなフレーズばかりかもしれませんが、なにも私たちは、普段からそう思って生きているわけではないのです。
むしろこれらは、全く意識に昇らない深いところに漠然とした感覚としてあるもので、ふとしたきっかけで浮上してくるイヤ〜な感覚となって現れてくるものです。
それをあえて言葉にするとこのようなフレーズになる、という一例です。
注意深く自分に向き合うならば、おそらく誰もが、どれかは思い当たるものがあるのではないでしょうか。
もちろん、私にもバッチリ入っていました。
私の場合、根深い欠陥ビリーフによって、過去に苦しい人生を繰り広げてきた自覚があるので、だからこそ今、自信を持ってその実態を語ることができるというわけです。
ビリーフだとわかれば、ループから抜け出せる
これらが自分にある!と思い当たったとして、いけない、ヤバい、ダメだ・・!なんて思う必要はありません。
「こんなものがある自分はやっぱりダメだ」
ああ、それ!
そう思ってしまうそれがビリーフ、なんですよ(^ ^)
しかし安心してください。
欠陥ビリーフが自分にあったとしても、それは単にビリーフとして入っているだけ。
残念ながらインストールされてしまっているだけ、と考えてみてください。
自分の本体は、元々ダメでもなんでもないのです。
ほんとはね。
でもビリーフにやられていると、とてもそうは思えなくて、「ていうか、だってほんとに実際そうなんです!!」と言い張りたくなるほど、ご本人にとっては「事実」としか思えなかったりします。
それだけ強固なのがビリーフのやっかいなところでもあります。
でも、そこから脱出することはできます。
脱出しないまでも、とりあえず「ストップ!」をかけることができます。
日常でもし、自分はダメだ、欠陥がある、恥だ、役立たずだ・・・云々などと思ってしまった時。
「ちょっと待って。これってビリーフが発動してるんじゃない?」って考えてみてください。
まずはそうやって、自分の中の「考え」に気づいていくことです。
動揺と落ち込みの無限ループに真っ逆さまに落ちそうになる、その流れからフッと浮き上がれる瞬間が訪れるかもしれません。