惚れたくなるくらいかっこいいミュージシャン
今はどうなんだろう、わからないけど、
ひと昔前は、ミュージシャン=モテる みたいな図式がありましたね。
ギターやバンドを始めた男の子の動機は、ずばり「モテたいから」みたいな話もよく聞きました。
私自身も、中学生時代からいわゆる「アイドル」のような存在のミュージシャンが色々いました。
それは単に音楽が好きというより、異性としての魅力込みで「キャ〜、かっこいい〜♡」というかんじの。
音楽に惚れ込み、人物のかっこよさに惚れ込み、この両輪で私のアイドルとなったわけですね。
告白しますが、私の中学時代最大のアイドルは、当時ストレイキャッツのブライアン・セッツァー兄貴。
デビュー当時19歳のツッパった兄ちゃんで、13歳の少女にはメッチャかっこよく見えたんですね〜。
その後、ホワイトスネイクのデヴィッド・カヴァーデールとか、没後かなり経つけどドアーズのジム・モリソンとか、はまりました。
かなり渋め、ですかね (^ ^;;
今語るとちょっと恥ずかしいですが・・・。
でもね、アイドル的に追いかける気はなくても、ライブとか見に行って、まったく思いがけないミュージシャンの演奏姿にハッ!としたりドキン♡としたりすることってけっこうありますよね。
ミュージシャンは演奏している時がいちばんかっこいい。
ステージ降りてからのその人が惚れるほどの人かどうかはさておいて、何であんなに演奏している時って、惚れぼれするような魅力を振りまくんでしょうね。
ミュージシャンが惚れたくなるくらいカッコよく見える理由とは何なんでしょうか。
カッコよさは無防備さ
そこで考えました。
もちろんいろんな要因はある。
技術に伴った無駄のない身体の使い方という面もある。プロのパフォーマーとして計算された演出をしている場合もある。
でも、もう少し突き詰めると、「無防備さ」というのも大きな要因ではないかと思ったんです。
今、この瞬間、無心に音楽しているその時っていうのは、人間「素」になるものなんです。
音楽のエネルギーと一体化している時っていうのは、つくろったり飾ったり、何かのフリをしたりできないものです。無防備にならざるを得ないです。
「素」のまんま「裸」のまんまがそのまま出る。
嫌でも、出ます。
逆に言えば、それが嫌だと言って出すまいとしている状態では、そんなに大した音楽になってない可能性が考えられます。
音楽と一体になっている時のその「無防備な瞬間」が、図らずもその人の魅力が溢れてくる瞬間である。私はそう思います。
そして、私たちがミュージシャンに惚れる瞬間ていうのは、まさにその「素」のその人の、生のエネルギーがぶわ〜〜っと出ているその時なのではないでしょうか。
その人ならではの「素」の姿、赤裸裸なエネルギーに、この上ない魅力を感じるものではないでしょうか。そこに私たちはグッとくる。ドキン♡とする。
人の魅力は「素(す)」にある
人の魅力というものには、自然とセクシュアリティーも含まれています。
それは顔やスタイルがイイとかどうとかの問題ではなく、あらゆる人に男性性・女性性がそれぞれのバランスで備わっている以上、どんな人にもあるものだと私は考えています。
そのセクシュアリティー込みで「素」のその人のエネルギーなので、音楽やっている瞬間、普段見たら別にイケメンでも何でもない人が(失礼)、「何てセクシーなの!?」という感動を呼んだりもするんだと思うのです。
それが、「ミュージシャン=モテる」の根底にあるんではないか、と今回、考えてみた次第。
そう考えれば、実はそれは音楽だけに限らないですね。
いろんな人が、いろんな場所で、いろんな仕事で、一心不乱に何かをやっている時。
そのことと一体になって「無防備」で「素」になっている瞬間に、ハッとするようなその人の魅力が表れているんじゃないでしょうか。
そういう意味で、誰にでも「素」がある以上、本当の意味で魅力のない人はいない。
それぞれの形で、それぞれの色で、みんな魅力というものを元々持ち合わせている
と、考える事ができるんじゃないかなー。
えー、ちょっと待って〜。
ミュージシャンとか、他の人はともかく、自分にはそんなもの、とてもあるとは思えない!
「素」を出すだなんて、そんなコワイこと、ありえない!
実はそういう心理も、人間にはありますよね。
そんな心理に関する記事をご紹介しておきます。