普通の人
普通の人は、「普通」を基準として、「普通」に合わせる。
「普通」とは「多数」と同義と言っていい。
今のところこの世では
多数であること=普通であること
という定義が敷かれている。
これまでの時代、永らく私たちは、多数と普通こそを安全の拠り所としてきた歴史が長いからこそ
多くの普通の人は「安全のために普通を選ぶ」という行動様式が当たり前に、それこそ「普通」になっている。
その「多数=普通」とされることの具体的な内容が、本当に良いか悪いか、人のためになるかどうか、自分がしっくりくるかどうか、・・・
そこはさほどの問題ではない。
内容の問題ではなく、空気の問題だからだ。
内容の是非はさておき、「これが普通」という空気を敏感に読んで、すかさず「普通の側」に身を置いて安心する、というのが「普通の人」の行動様式である。
そういうわけで、普通の人に動いてもらうためには
「これが普通」というスタンダード感を示し、そういう空気を醸成すること。
ということになる。
そうすれば、さほど強制することなく、自ずと普通の人たちは「普通」の側へと自ら動いてくれるだろう。
これは悪い方に使えば、誘導・煽動となり
良い方に使えば、感化・導きとなる。
このことが特に顕著に現れたのが、この3年間の感染症騒動だったといえる。
リーダーの力と役割
そこでもう一方の側、「リーダー」の役割が重要になってくる。
普通の人が「普通」によって動くからこそ、「これが普通」というスタンダード感を示し、そういう空気を醸成するのがリーダーであり
何を「スタンダード感」としたいのか、何のためにどういう空気を醸成したいのか
それを自分の意図として描ける人が「リーダーになる人」であると言えないだろうか。
つまり
ヴィジョンを描く力
それを
表現・発信する力
まずは
自ら生きて空気を作る力
そこに
共感・共振を起こしていく力
人を巻き込み
行動・具現していく力
それが、リーダーの力。
リーダーの側が「これが普通でしょ!」という空気を作ることができたら、あとは普通の人はその空気に乗ってくるだろう。
その内容の良し悪しは別として。
多数の普通の人が乗ってくればくるほどエネルギーは増大し、ますます現実は加速する。
その内容の良し悪しは別として。
だからこそ、どういう空気を醸成していくのか?
そのヴィジョンと意図がどちらを向いているのか?
というリーダー自身の質が極めて重要ということになる。
生命を活かす
愛と創造の道か
生命を踏み躙る
支配と破壊の道か
ここに大きな分かれ道がある。
どちらも等しく「力」であり
どちらにでも振ることができるのが、人間の自由意志。
その方向が、空気を作り
その方向へ、普通の人は動かされていくからこそ
何のために、どちらへ?
という、そこにリーダーの責任というものがあるのではないだろうか。
だからこそ私は
生命を活かす
愛と創造の道
を意図するたくさんのリーダーたちが、次の時代を創っていくことを切望する。
愛によって生命を活かし合う世界を、切望しているからだ。
それは、何か救世主のような偉大なリーダーを待ち望むことではなく
私たち一人一人が、自分の役割に目覚めて「力」を使っていくことにあると思っている。
そんな新しい時代のリーダーとなりゆくことを、小さな私たち一人一人が望んでいきたい。
小さな一歩でも踏み出し、小さな一滴でも落としていきたい。
ビリーフリセット・リーダーズとは、そんなリーダーとして生きる私たちのことでありたいと願っている。