わけもわからず
つらい、しんどい
わけもわからず
イライラする、腹が立つ
わけもわからず
落ちこむ、涙が出る
わけもわからずガマンして
ガマンしてるかどうかも
よくわからなくなって
わけもわからず
同じところを今日も
グルグルするばかり。
わかることといえば
自分はやっぱりダメだ
ということぐらい・・・
それを
「生きづらい」っていうんだよね。
「生きづらい」のいちばんのポイントは
まさにこの
「わけもわからず」
ってやつなんだと思う。
なんでつらいのか、
実のところわからないんだよね。
アレのせい、コレのせい
あの人のせい、この人のせい
なんて思っても
スッキリしないでしょう。
結局いつも
「自分がダメだから」
っていう結論にしてたりするけど
ほんとに自分がそんなにダメなのかも
「ダメ」っていったいどういうことなのかも
ほんとはよくわからなかったり
するでしょう。
もうなんだかわけわからないよね。
それがしんどいのだと思うの。
「わけがわからない」って
まるで暗闇の中を歩いているようなものよね。
前も横も見えない。
自分がどこにいるのかもわからない。
なんかにぶつかるけど
何にぶつかったのかも
何をふんずけたのかもわからない。
それでもそのまま歩き続けなきゃならない。
こんなに怖くてストレスなことって
あるだろうか?
だからこそ
このしんどさを抜ける第一歩は何か?
っていったら
「わけをわかる」ってことだと私は思う。
暗闇に光を持ってくることだよ。
光を当てて
ちゃんと見て
わけをわかろうよ。
なぜ、何が
つらいのか、しんどいのか。
なぜ、何に
イライラするのか、腹が立つのか。
なぜ、そんなにも
落ちこむのか、涙が出るのか。
なぜ、そんなにも
ガマンばっかりしてるのか。
ぜんぶ理由があるんだよ。
理由をわかりたくない?
「心を学ぶ」っていうのは
自分という暗闇に光を当てていくことなの。
光というのは「理解」のこと。
光が当たってやっと
そこに何があるのか
そこがどういう場所だったのか
道の状態はどんなだったのか
何にぶつかりそうになってるのか
わかるよね。
そうしたら
とりあえず落ち着くんだよ。
ほっとする。
一息つける。
「はあー、そっかー。」って。
見えるだけでもね。
暗闇とは全然違うでしょう。
光があたってみたらね
たとえそこが
石ころだらけだったとしても
そこに石ころがあるね!
ってわかるだけで
こんどからよけることもできるんだよね。
自分の後ろに
とんでもない重い荷物が乗っかってたことが
わかったとしても
見えて気づいたなら
「これが乗っかってたから
こんなに重かったのかー!」
ってわかるんだよ。
わかったら
「じゃあどうする?」って
考え直すことができるよね。
それが「わけがわかる」っていうこと。
わけがわからなかったら
変えたくたって
変えようもないの。
まず、わかる。
だいじ。
理解は癒しの第一歩。
「わけもわからず」という暗闇に
まずは知識と理解を持ち込む。
「そういうわけだったのか!」
「私はこうだったのか!」
という理解の光を当てる。
それが
「生きづらい」を脱出していく第一歩なんだと
私は思ってる。
そんな光となる
知識を、理解をここから。