受け入れる、包み込む
っていうのも大事なんだけど
断つ、離れる
っていうのも必要なんだよ。
2つは矛盾しない。
自分の心に向かい始めて
いろんな感情やビリーフや
傷のあれこれを見ていって
感じよう受け入れよう
とする段階も大事なんだけど
ある程度やったら
もういちいち
そこに浸らなくてもいい。
それよりもむしろ
「あ、これな」と思ったら
「違う!」といって切る。
「いらない!」といって断つ。
そういう力が必要。
不動明王は剣を持っているでしょう。
弁財天は琵琶を持った優しい姿が有名だけど
もう1つの姿である「八臂(はっぴ)弁財天」
は剣を持ってる。
大天使ミカエルも剣を持ってるの。
邪を切るっていうのも
聖なるはたらきなんだね。
「正か邪か」分けるのも二極思考じゃないか
っていう議論はここではなしね。
今の世の中で生きてると
「邪」なものっていくらでもある。
ボーッとしてると無意識に
「邪」なるものに
簡単に入り込まれてたりする。
そしてこの世の中に生まれてくると私たち、
元々あるはずの生命力や
果たしたかったはずの天命など
「力」の発現を
ガッチリ押さえつけられて生きることになる。
それをしているものを「邪」というのなら
その「邪」の強大さって
あなどれないんだよ。
だからこそ
そういうものの「押さえ」を打ち破り
切っていく剣の力が必要なの。
そういうものを祓って、祓って
断って、離れる力が必要なの。
グルグルした思考や
グダグダしたネガティブ感情のゲームに浸って
いつまでもそこにいない!
そういうのがやってきても
あっさり乗らない!
それはあなたのものではない。
スッパリと切って断て。
断って離れたら
自動的に光は戻ってくるから。
「元の気」に還るから。
それが「元気」っていうんだよ。
それでもうなんの問題もない。
うん、わかるよ。
「でもー、だってー」
「そうはいってもー」
って言うよね。
私はどうやら剣を持つ魂のようだから
断つのはけっこう得意なのね。
だからこうやって簡単に言うんだけどさ。
グダグダしたもんを大事にするのは
自分を大事にすることとは違うよ。
大事にするべきはその奥の光の自分。
それを大事にするからこそ
邪魔するものは断つの。
それを輝かせたいからこそ
曇らせるものから離れるの。
強くなれ。
勇気を持て。
受け入れる優しさと広大さ
という「愛」と
切って断つことの「愛」。
両方が同時にあることは可能だから。
具体的には
家の中をきれいにする。
気を澱ませない。
テレビや新聞を見ない。
これだけでもかなり違う。
そして自然でないものを食べない。
つまり変なものを
自分のエネルギーフィールドに
入れないということね。
それから神仏の周波数と共振する。
つながった意識で日々過ごす。
「お清め」といわれる行為がいろいろあるけど、
そういうものを侮らないことも大事かな。
さっき書いたような
剣を持つ神仏的な存在に
力を貸してもらうのもいい。
他人や職場が「邪」なんですけどー!
という人もいると思うけど
そこを直接どうこうしなくていい。
まずはその周波数を受けない
拾わない自分でいることが大事。
そうしていたらだんだんと
自分が「呼ぶ」ものが変わってきたり
自分が取るべき行動が見えてきたりするから。
なにより
自分の内側の光を信じる。
強さを信じる。
あなた自身の剣を
思い出してちゃんと使おうね。