誰か他の人のこと、こんなふうに思っちゃう時。
なんでああなのかなあ。
もっとこうすればいいのに。
ああすればいいのに。
あーあ、しょうがないなもう〜。
それ、ちがうんじゃないのぉー?
そこ直せばもっとこうなれるのに。
とかとか、いろいろ、いろいろ。
それでイライラ、モヤモヤしちゃう時。
私もありましたー。
そんな時
こんなふうに考えてみた。
あの人が「ああ」だと
あの人が、あんなことしていると
あの人が、しょうもないと
あの人のしてることがなんか違うかんじだと
私はいったいそれで
困ることはあるだろうか?
さあ、どうでしょう?
今、現実に自分が
直接被害を受けるとか、困るとか
あるかなあ?
よく考えたら・・・・・
べつになかった。
この件の私の場合ね、
「あの人」がそうであろうと
どうであろうと。
私、直接困るわけじゃなかったんです。
じゃあなんなんだ、この気持ち。
ってことになります。
そんな時、私はこんなやり方をすることがあります。
まず「あの人」のことをバッサリ決めつける文を作ります。
「◯◯さんは△△していない!」
「◯◯さんはもっと△△するべきだ!」
みたいな、ね。
次に、主語の「◯◯さん」を「私」に置き換えます。
「私は△△していない!」
「私はもっと△△するべきだ!」
あ〜れ〜!!
自分じゃ〜〜んヽ(;▽;)ノ
てなるんですよ。
この瞬間て、何度味わっても
イタ気持ちイイ・・・
私がそれ、してないんだわ。
私がもっと、すればいいんだわ。
自分がそれ、してないことを曖昧にして
どっか後ろめたい思いして
ノラリクラリしていたのだった。
そのことを、私の中の「奥の私」が
「おいおい、もっと△△しようよ。そうしたらいいでしょうが!」
って言ってたんだねー。
うん、確かにね。
私がそうすればいいんだった。
よっしゃ、わかったよ、しようじゃないか。
自分が曖昧にして
見ないようにしていることがあるとね、
それを他人の上に見て、すっごく気に触るんだ。
心理学用語ではこれを「投影」といいます。
それは、まだ見ていない「奥の私」が
ウズウズ疼いているサイン。
イライラしながら他人を見ていた目を
こうやって、自分に引き戻してやると
その「奥の私」がすごく喜ぶの。
「そうそう、それよ!わかってくれたね!」って。
そうなるとね、
「あの人」はただ、あの人の望むように
生きているだけだっていうことがわかる。
あの人が望むことをして
あの人が望むことを選んで
あの人が望むように生きている。
あの人の望むことは
私の望むこととは全然違うかもしれないけど、
それで私が困るかといったら
べつに困らなかった。
もちろんあの人も、全然困ってなかった。
あの人が好きなように生きてるんだから
私も好きなように生きればいいんだ。
そう思えた時に、
さっきまであったあのストレスは
雲が晴れたみたいにサーッとなくなってる。
スッキリ。
こうやって、私が私に戻った時
私が「私」の言ってることを聞いてあげられた時
私と「私」の関係に集約できた時
ストレスという幻想は剥がれ落ちて
力が戻ってくるんだねー。
こういうのを心理学用語で
「投影の取り戻し」といいます。
わかっていたって
何度でも「お題」はやってくる。
そのたびに
「それって自分じゃないの?」って
問いかけて、置き換えて、取り戻す。
そんな地道な積み重ねが
やっぱり必要なんでしょうね。
人間界のマインド・システムは強力だからねー。
ハッと気がついたら、
主語の「他人」を「自分」に置き換え。
これが身につくといいね。
この「投影」については、ビリーフリセット初級講座でもやります。
6月コース、もうすぐ始まりますよ。