他人のことが
とっても悪くて怖く見える時。
そんな時は
自分が自分のこと
悪くてひどくてダメなヤツと
思ってるかもね。
他人と自分
あちらとこちらは対になって
シーソーみたいなものなんだ。
自分が自分のこと
みじめで、ダメで、足りなくて
悪くて、愛されない人間
って思って
そんな自分を責めてる度合いが
ひどければひどいほど、
他人のこと
怖くて、得体が知れなくて
嫌なことしてきて
何かたくらんでいて
理不尽な攻撃してくるヤツら
って見える度合いも高くなる。
自分で自分の側を
理不尽に低く扱うほど
他人の側が
理不尽に高く恐ろしく見える。
だから、
他人が高くそびえ立って恐ろしく見えるなら
自分が自分に対してしてる扱い方が
低すぎるんじゃないかってこと。
だったら
自分で自分の扱い方を
ちょっと上げてみることだねー。
ちゃんと自分の気持ちを聞いてあげる。
望みをかなえてあげる。
ゆるしてあげる。
ほめてあげる。
認めてあげる。
それでいいと言ってあげる。
ほめるところがなくたって
それでもいていいと抱きとめてあげる。
自分のことを「大切な人」として
もうちょっと「上」の人として
きちんと尊重することだね。
自分の扱いをゆるめて、上げたら
シーソーが平行に近づく。
そうしてはじめて
相手も普通に一人の人間だったことが
見えるでしょう。
お互いに普通の人間と人間になる。
そこがニュートラルな場所。
その場所から
よくもわるくもない自分と
よくもわるくもない他人で
自分が自分として生き
他人を他人として尊重する
という
あたりまえのようだけれど
今まで実はなかったような
居心地のよい
新しい景色が始まるでしょう。