演奏者や指揮者を観聴きする時、
私が一番気になることは、
音楽をどれだけ身体の内で感じているか、です。
それは、その人の身体の動きからけっこう見えたりするものであり、
その人が内側で感じている音楽が
結局はそのまま音になって現れてくるものです。
リズム、メロディーのうねり、
和声による色彩、温度、広がり、
スピード、付随する感情、情景、・・・
つまりそこに流れるすべてのエネルギー。
それを身体の内に豊かに深く感じている人から出てくる音楽は、
なんて豊かで深く活き活きしているんでしょう。
「音楽を身体で感じる」というのは
やたらに身体を動かすこととは違います。
例えば、ある指揮者は無駄な動きが全くありません。
背筋から頭がスッと決まっていて、
身体の軸にブレがなく、
必要な分だけ手が軽やかに動きます。
そして要所要所で、
ちょっとした上体のひねり、肩の上げ方、顔の向きなど、
本当に一瞬の無駄のない動きで、
次に来るべきエネルギーを音楽をオーケストラに伝えてしまう・・・。
こういう人は、動かないように見えて、
実はその身体の内に音楽が高速で駆け巡っているのでしょう。
だから、ちょっとした動きにそれがほとばしってちゃんと伝わり、
オーケストラはそのエネルギーをちゃんとキャッチして
ぐわん!とみんなでそっちへいくのでしょう。
演奏者もまたしかり。
身体で音楽を感じている人は
たった一人で弾いてもぐいぐいと
周りをその渦に巻き込んでいくものです。
例えば以前、
1人のエレキベースと1人のヴォーカルだけで、
チック・コリアのスペインをやっているのを観たことがあります。
スペインという曲は、ちょっとラテンテイストでテンポが早く、
リズムの面でも仕掛けが色々あり、
通常はバンド編成で
巧みなドラマーがリズムを引っ張って盛り上がっていくような曲です。
それをベースとヴォーカルだけでやっていたわけですが、
見事なグルーヴが生まれ、
そこにいないはずのドラムやギターが聴こえてくるような気さえする、
とても2人とは思えない演奏でした。
それは、その2人が身体の内で強力にリズムを発振し、
そのリズムを2人で共振させていたからだし、
それと共に、
心の耳でドラムやギターを聴いていたからではないかと思います。
そうするとほんとに聴こえてくるんですよ、いないはずの楽器が。
それほど、「何を感じているか」は
出てくる音楽に如実に現れるものです。
逆に言えば「感じていない」こともそのまま現れるわけで。
身体で音楽を感じることなしに棒を正確に振っただけ、
身体で音楽を感じることなしに音符を書いてある通りに弾いただけなら、
正しい音符が正しい順序で出てくるだけで、
人の心を動かす音楽になりはしないのです。
身体で感じたものが、身体で表現されて、身体に伝わる。
そういうものだと思います。