どんなに心の勉強をして
これはこうなっていて
これっていうのは
こういうことなのだよな。
ふむふむ。
と、理解しても
そのことと
自分の心を自分の目で見てしまって
「こ、これが、それということかーっ!!」
とわかってしまうこととは違う。
どんなに頭と口で
これはそう考えて
こうすればいいんですね。
とわかっていても
心が前と変わらず
身体が全然そうならず
現実も全然変わらない
ということはよくあること。
それは
頭から口へと出力していても
心と身体を経由していないから。
それほど、
我が心を観て感じてわかる
というのは難しい。
心と身体の実感に落とし込んで
真に理解するということは
難しいことなんだ。
目からウロコが落ちる。
腹に落ちる
腑に落ちる。
落ちるまでには
相応の体験と時間が必要なのだろう。
だからこそ
それがわかるまで何度でも
同じ苦しみを
心と身体で体験するのだろう。
これでもか、これでもかと。
苦しんで、あがいて
追い込まれて、地獄を見て
これでもか、これでもかと。
そうでもしないと
わからないのだろう。
わかるためにこそ
とことんそれを体験する。
そういう期間も必要なのだろう。
頭じゃないんだ
口じゃないんだ
心なんだ
身体なんだ、と
何度でも
心と身体が叫び続けるだろう。
八方塞がりと堂々巡りを
いやというほど繰り返し
明けない夜を彷徨い続けながら
地獄に絶望し尽くして
自分でそれに気づくまで。
我が心の有り様とその姿を
これがそれか!と発見するまで。
それを体験するためにこそ
体験しているのなら
それは大丈夫な体験だから
安心してとことんまで
やってみていいのだろう。
そんな時期が人生にあることも
あれはあれで必要だったと
いつか遠い場所から振り返る時も
きっとくるのだろう。
そんな自分を信じよう。
そんな渦中にある
その人を信じよう。