何かができること、それ自体がうれしい季節がある。
できるようになること、それ自体が大いなる目的になりうる、そんな時期がある。
例えば、
楽器をうまくなりたい。もっともっとできるようになりたい。
あこがれの誰々さんみたいになりたい。
そのための努力が充実して楽しい。一歩でも前に進めたことを実感するのが喜び。
こんなことも、あんなこともできるようになって、
あこがれの人達に近づけるようになった自分が誇らしい。
人からちょっと、うまいね、すごいね、と言われるとすごく嬉しい。
また、例えば、
いい曲を作りたい。もっともっと面白い曲を作りたい。
あこがれの誰々さんみたいになりたい。
世界中のいろんな音楽を聴き漁り、使えるものは何でも使う。
最先端のミュージックシーンを追いかけ、最新の技やネタをどんどん仕込む。
面白い音は何? 人と違うアイディアは何? あっと驚く仕掛けは何?
そうやって作っているその時間が幸せ。すごいものができた、その瞬間が喜び。
こんなことも、あんなことも、試してみるのが楽しい。
人からちょっと、かっこいいね、すごいね、と言われるとめちゃくちゃ嬉しい。
できること、それ自体が幸せ。
そういう時期も、もちろん必要だ。
そうやって自分を駆り立てていくからこそ、知識・技術・経験が蓄積し、
引き出しが増えていくのだから、それはすばらしいことだ。
その努力を一生続けていくのが芸の道、精進の道!・・・という人生も
もちろんあるかもしれない。
しかし、場合によっては
いつしかその季節に終わりがやってくることがある。
心の深いところから、「うん、できるけど? それで何?」という声が
聞こえる時がくる・・・ことがある。
それで何? それが何? だから何?
今まで積み上げてきたものが色褪せ、足下が虚しさに崩れていくのを感じたら
「できる」ための努力をもうこれ以上続けられない・・・と立ち止まってしまったら
それは、一つの季節が終わったのだ。
もう「できる喜び」の季節は過ぎていったということだ。
その「できる」は何のためなのか?
その「できる」を誰のために使うのか?
そもそもあなたは何を求めていたのか?
色々な問いを、内側から外側から、突きつけられるだろう。
答えをみつけるのに長い時間がかかるかもしれないし、
みつける答えは、人それぞれかもしれない。
でも、次の季節が始まったということは、きっと確かなことなのだ。
そして、おそらく次の季節には、
「どう在るか」という探求の道が、始まるのかもしれない。
そして、自分が「在る」ことによって何を与えているのかを自覚し、
この自分だからこそ与えられるものを与えていくことに
喜びを見いだしていくのかもしれない。
何かが終わって、何かが始まる。
そうやって永遠に、季節は巡っていくのだろう。