私が持っているアレンジの授業で、たまたま出てきた話題が、意外と生徒さんに好評だったので、ここにまとめておきたいと思います。
私自身、決して楽器が上手いわけではないですし、こんなことビシッと語ってしまうのは、ちょっと勇気がいるのですが、これから「音楽を作る人」になりたいという若い方達に、やっぱり伝えたいこと・・・。
なお、ここで想定している「作曲家」とは、アカデミックな現代音楽の作曲家ではなくて、いわゆる「音楽業界」的な作曲家のことです。
作編曲家になりたい人は、何か一つ楽器をちゃんとやっておけ
作編曲家やプロデューサーとして仕事をしている人は、たいてい何かの楽器でプロレベルの演奏力を持っていることが多いです。あるいは、演奏家としてそれなりの実績のある人が、作編曲家やプロデューサーになっていく場合もけっこうあります。
クラシック系ではピアノを弾く人が多いけれど、ポップス系・バンド系ではキーボードやギターやベースだったり、たまにドラムや管楽器の人もいるかもしれません。
普段は演奏活動していなくても、自分の曲のレコーディングでは自分の楽器を弾くという人や、ツアーバンドのリーダーとしてステージで演奏している場合もあります。それほどに、ちゃんとプロレベルで楽器が弾ける、ということです。
これは私の考えですが、これから作編曲家やプロデューサーになりたいと思う人は、何か一つでいいから自分の専門の楽器で、プロレベルに届くくらいの精進は積んだ方がいいと思っています。
自分のやろうと思うジャンルで必要な楽器を、プロミュージシャンの中に混じってある程度演奏できるくらいには、できた方がいい。
「作曲だから楽器の練習はしなくてもいい」のか?
今の時代、作曲や編曲をやりたい人は、ほとんどの場合まずパソコン(DTM・打ち込みという)でやり始めるでしょう。ぶっちゃけ、楽器が弾けなくてもすべてパソコンだけで音楽を作れる時代なのです。そうやって作った作品がそのまま流通し、商売になっていくことも普通です。だから、パソコンで音楽を始めて、パソコンだけで作品が成立し、それで作編曲家としてプロになっていくことも十分可能なのです。
だから今、作編曲家を目指して勉強している方の中には、もしかして「自分は作曲だから楽器はそんなに弾けなくてもいいかな」と思っている人もいるかもしれません。しかし「耳が痛いかもしれないけど、それは違います。何か一つ楽器をプロレベル目指すくらいがんばった方がいい。」と私は生徒さんに言います。
極端な話「私は一生パソコンだけで音楽を作ります。生の楽器とは関わらないで生きていきます。」という人は、楽器をやらなくてもいいかもしれないし、そういう音楽スタイルで身を立てるのもありかもしれないけれど、やっぱり生の楽器も使いたいとか、プロのミュージシャンと関わって音楽を作ろうと思うのだったら、やっぱり楽器はできた方がいい。それはなぜなのか。
音楽を身体でわかること
作編曲家やプロデューサーというのは、音楽をトータルで観て、操って、演奏家に適切な指示を出し、最善の音楽を引き出してまとめていく役割であり、つまり現場のリーダーということです。必然的にかなりのレベルで音楽のことをわかっている必要があります。「わかっている」というのは、理論をわかっているとか、色んな音楽を知っているという以上に、音楽を身体でわかっていることが非常に重要なのです。
音楽の本質とは、身体に起こる「体験」であると私は思っています。
身体を使って演奏するという「体験」によってしかわからない領域があり、一つの楽器を極めるということは、音楽のなんたるか、その体験的な深みをわかっていくということになります。そういう意味で、優れた演奏家というのはその体験の質がめちゃくちゃ深いのだと思います。
ですから、作編曲家であっても、何かの楽器でそのような「体験」の深みをある程度経験していると、同じく「体験」によって音楽をわかっている演奏家と同じ領域で話ができることになります。
その領域で演奏家がやっていることを理解でき、今何が起きているのかを感じ取ることができる。何が気持ちよく何がやりにくいのか、何が問題になっているのかもわかり、どういう指示をすればどうなっていくかのメドを立てられるようになります。あるいは、その場の演奏に自分も加わることで、全体を引っ張り、鼓舞していくことさえできる人もいます。
そのようなリーダーだからこそ、皆は信頼してより力を発揮していける。結果として力のある音楽が生まれていくのでしょう。
身体で感じて得たものは、きっと聴く人の身体にも伝わっていく
今はまだ、演奏家を雇うような現場に自分が進んでいけるかどうかわからない・・・という人も。現在も今後も、おそらくパソコンだけで音楽を作っていくだろうという人も。
それだって、ギターだけは自分で弾いて録るとか、キーボードパートは「手弾き」(打ち込みではなく実際に演奏すること)でかっこよくできたらいいようなタイプの曲だって、あるかもしれないじゃないですか?(^ ^)
楽器の体得、そして上達するための道のりというのは、コツコツ自分に向き合い、音に向き合い、何度となく自分の負けを認めざるを得ず、それでもまた立ち上がって工夫し続ける・・・というプロセスです。たぶんスポーツの練習と似たようなところがあるかもしれません。
そのような道のりを積み重ねる中で、自分に向き合う力とか、目立たないところで積み重ねた「自分力」とでもいうようなものが、知らず知らず蓄えられる・・・そんな気がします。それは「人間としての財産」になりますからね。今後にわたっておトクだと思いますよ。
そして、楽器がちゃんとできるかどうかは、作っているその音楽全体の生命力に、きっと現れてくるはずです。楽器をやることによって身体で感じて得たものは、パソコン音楽の中にもちゃんと注ぎ込まれ、きっと聴いてくれた相手の身体にも感じるものをもたらしていくだろう、と私は信じています。