私たちの頭の中の思考とあるがままの事実はけっこう違ったりします。自分の思考を客観的に見られると、ものごとのあるがままの姿も見えてくるようになり、自分の人生を自分で舵取りできる力もついてくるでしょう。
透明になってゆけ
新しい時代を軽やかに生きるために
頭と心がちょっとクリアになる
今日のお話。
ポッドキャストで音声配信しているものを、こちらでも読めるようにしています。
同じ内容のPodcast音声はこちらで聴けます。(無料)
思考のメガネを外せば、見える世界が変わる
こんにちは。大塚あやこです。
今日お届けするのは
思考のメガネを外せば、見える世界が変わる
というお話です。
きっちりと区切りをつけたがる「思考」
8月31日が過ぎて9月になると・・・
「夏が終わってしまった」
なんとなくそんな気分になりますね。
しかし実際は・・・?
実はお天気は昨日も今日も変わっていません。
暑さも変わっていません。
でも、立秋あたりから徐々に日差しが秋の気配をたたえるようになったり
だんだんとグラデーションのように変化していく。
それが事実ですよね。
私たちの思考はそんな風に区切りをガタっとつけちゃうところがあります。
梅雨入り宣言だってそう。
梅雨って実はだらだらだらって始まって、だらだらだらっと終わったりするもの。
つまりグラデーションなんだけど
そうやって概念的に「今日から梅雨入り」「はい、梅雨明けました」みたいに宣言してもらうと
なんかパキッとここから梅雨が明けた!みたいに思いますよね。
それが悪いっていうことじゃないんです。
客観的に見ると、思考ってそういう風に区切りをつけて段差のように考えてしまう。
でも実際にはどうでしょうか。
小さな変化が徐々にグラデーション上に続いて、いつの間にか変わっている。
こちらの方が本来の姿に近い表現じゃないかなって思います。
何が言いたいかというと
そういう風に、私たちは思考でものを見ているってことなんですね。
本来の姿そのものを受け取っているというより
概念や思考で「こういう物」としていて、実は事実とその概念はかなり違う。
それが私たちの中で起こっていることなんです。
「思考」と「現実」とは違う
私がカウンセラーとして心の世界で仕事をするようになって、約10年ちょっと。
考えてみると、私が言っていることってずっとそこのところ。
思考って現実と違うんですよってことだし、思考って自分自身とまた違うんですよっていうこと。
このズレを認識する。
そして思考というのは事実なんじゃなくて、あくまでも思考に過ぎない。概念に過ぎない。
もうちょっと言っちゃうと、妄想・幻想です。
ただ頭に浮かんで、考えているだけなんです。
それが「思考」です。
だけど私たちは、長年その思考の方を信じちゃう癖が付いています。
「だからこうなるんだ」
「こういうものは、こうなのだ」
これがそもそも思考なんだけど
それをいったん自分に入れてしまうと、現実だと思ってしまって
実際のものを見ても思考の方のフィルタが強くて、ありのままが見えない。
むしろ、その思考で見た現実こそがありのままであると認識してしまう、ということが
思考で生きる私たちの内実で起こっていることなんです。
ちょっと理屈っぽく聞こえるかもしれないけれど
ここのところがわかっているかどうかが、実は人生の質にとても直結しています。
日常生活や普段の周りの人間関係、仕事や自分自身の毎日のこと。
「ここを何とかしたい、もっと快適に心地よくしたい」「幸せなものにしたい」と思うのであれば
手を付けるべきなのは思考です。
良い・悪いのその物差しがすでに「思考」
今見ている現実は、その思考が作っています。
この思考に手を付けずに悩んだりぶつかったりしても、実は何も動きません。
取り組むことは自分の思考。
ここに鍵があるんです。
そういう話をすると
「じゃ私が悪いんですね!」なんて嫌な気分になって落ちちゃう人もいがちですが
そうじゃないんですよー。
「良い・悪い」そんな物差し自体が既に思考。
だからこの良い、悪い、それさえも外した所に真実があります。
例えば
世の中は危険で、大変なで、傷つくことばかり
そんな思考が入っていたとします。
思考が入っているというのは、その人はそう信じているということ。
いったんそう信じると、その人の頭の回路には、そういう前提ができています。
いわば眼鏡をかけているわけ。
「世の中は危険で大変で傷付けられる」という色の付いた眼鏡をかけて日々、周りを見ている。
そこに気が付くことが、本当に人が変わるということの第一歩です。
「思考」のメガネを外せるかどうか
危険で大変でみんなが傷つける世の中。
それによって、私はいつも傷つき怯えている。
そんなふうに悩んでいる人にとっては
その世界を何とかすることが解決策なのではなくて
メガネを外そう!ってことなんです。
よく「思考は現実になる」「意識が現実を作る」とか
心を扱う業界では、常識のようにそう言われています。
本当にここが腑に落ちているのかどうかというのは、知識というより体験なんです。
ああ、私が見ていたのか!
私が作っていたのか!
と、自分の心の状態と外側の状態が繋がった時、
そして自分の心のメガネを外すことができて、真の世界の色が見えた時に
「なんて眼鏡をかけていたんだろう!」って愕然としたりする。
こんな時に
「思考が現実を作る」とはこういうことだったのね!
と腑に落ちる、という体験ができます。
これがあるとないとではここからの生き方がぜんぜん違います。
わけの分からない世界に自分が圧倒されるような気がして生きるか、それとも
「自分が作っている世界だから」と、自らエネルギーを出して自分の方から見方を変え、自分が一歩踏み出していけば変わるんだ、と信じて生きることができるか。
これが大きな分かれ道になってしまうんですね。
心を学ぶことは現実を生きることそのもの
だから、心を学ぶというのは気休めでも絵空事でもなくて
今現実に自分が生きることそのものであり、そこの質を高めるための唯一の方法
というぐらいに重要なことなんです。
これまでの時代は、物やお金重視。
形になるもの、見えるもの、つかめるもの。そういうものが大事、という価値観で動いてきた社会です。
心とか考えとか感情とか、そういう目に見えないものはただ曖昧なもの、当てにならないものとして弾かれてきたようなところがあります。社会のメインストリームからはですね。
そういうところにいる人たちから見ると、心のことを言っている人たちというのは
何だか現実離れしている
現実逃避じゃないの?とか。
ふわふわしてるとか お花畑とか
そんな揶揄のされ方もしていますが
時代はもうがらっと変わっています。
これは感じてる方もたくさんいらっしゃるでしょう。
心って、意識って、そんなに侮れるもんじゃない。
むしろ心と意識こそが自分を作り世界を作っているんだということを、どれほどのリアリティを持って感じられているか。
このことが本当にここから先、重要になってきます。
心の「地力・自力」をつけていこう
いきなり「意識」なんて言ってもちょっと膨大すぎますよね。
だからまずは自分の感情と思考、これをちゃんと分かるようにする。
そして扱うことができたら
それを扱っている私というのは何の問題なく、弱くもなく、強くも、汚くも、きれいでもない
ただここにいるだけで大丈夫な存在なんだ
こんな中心軸に戻ることができます。
そうやって生きることができるから、安定した安心があるんです。
だからこそ、まずは思考を検討できる力、感情を扱える力。この基礎体力が必要なんだとつくづく思います。
ちょっと地味なお話です。
なかなか伝わらないと思うことも多々あるけれど、それでも大事なのはそこ。
分かる人からコツコツ分かっていただきたいなあと思います。
自分で自分の思考を扱える
自分の感情を扱える
そして意図して自分の意識を方向付けできること。
その方向付けで行動できるようになる。
これが地面の地に力と書く心の「地力」
自分の自に力と書いた「自力」でもあり
この2つの地力・自力をやっぱり付けていきたい。
私自身もその歩みの途中にありますし
それを望む皆さんのためにできることをするのが、私の仕事だと思っています。
心の地力をつけて
「私の心がこの世界を見させているんだから、私の心が変わればこの世界も変わっていく」
そんな希望を持って生きていけたらと思っています。
今日は「思考のメガネを外せば、見える世界が変わる」
そんなお話でした。
Podcast音声・毎週配信中