今朝〜今晩にかけて台風直撃ということで、特に関東はたいへんな警戒態勢になっています。
この「台風」ということに対しても色々な受け止め方や解釈があります。
ただただ恐ろしくて迷惑でやっかいなもの、来るべきでないのに来てしまった災難・・・のように受け止めるのか。
もっと他の意味を見ていくのか。
そこは個人の意識の置き方ですが、私は「浄化」だと受け止めています。
雨や嵐は、地球にとって浄化である。
という見方が私は好きです。
雨や風によって、古いもの・悪しきものが洗い流され、吹き飛ばされ、祓われてゆく。
いわば、禊ぎ(みそぎ)のようなもの。
雨上がりのあの清々しさは、まさにその現れではないでしょうか。
空気も、土地も、人の心も、何かが洗い流され、新しくなるのです。
身体にも心にも浄化の時がある
実は人間の身体も同じです。
身体に悪いものが入った時、下痢をしたり熱が出たりしますね。
そのような症状は、身体が悪しきものを洗い流し、元の調和の状態(つまり元の気=元気)に戻ろうとする浄化の働きなのです。
身体という自然は、ちゃんと私たちにとってよいようにしてくれています。
しかし、症状真っ只中の最中というのは、一旦ちょっと苦しい思いをします。
それはたしかにしんどいのだけれども、浄化が終われば収束していきます。
しんどい時を耐え忍び、そのプロセスを抜けた時に、以前よりスッキリしていたり、何か一皮向けたような新鮮さを感じたことのある方も多いのでは。
人生もそう。
苦しいこと辛いこと、つまり「試練」というものが来ますが、それもまた「浄化」のはたらきがあります。
これまで固まりきってしまったパターンや、溜め込んでしまった心の垢が、その試練によって浮かび上がるということです。
そこは苦しいところですが、雨に打たれ、風に吹き飛ばされ、地面にふんばって・・・とやっているうちに、やがて何かが抜けるのです。
結果として、抜けた後には
「あの時はたいへんだったけど、あれがあったからわかったことがある。」
「あの時にそれを味わったから、今がある。」
「あれで私変われたんです。」
なんて言う人は、本当にたくさんいるでしょう。
みなさんも1つや2つは、そんな風に語れる体験があると思います。
それが人生における「浄化」です。
浄化は一旦しんどい
つまり、自然にしろ、身体にしろ、人生・心にしろ、浄化というのは「一旦しんどい」ものなんじゃないでしょうか。
だけど、ムダにしんどいんじゃないんですよ。
必要があってしんどいんです。
だから、ちゃんと抜けたその先があるから大丈夫。
そう思っているのが、心の平安のコツだと思います。
そして、浄化というのは「手放し」とセットです。
古いもの、もういらないもの、余計なもの
自分を縛るこだわり、とらわれ
それを浮かび上がらせて、認めて
「もうこれはおしまい」と決めて
我が身から離していく。
ある意味、諦めて
握っていた力をゆるめ、
去っていくものを見送る。
そんな浄化を経て、全ては新しくなっていくのです。
というわけで、今回の台風も、日本という土地と日本人にとって大きな浄化の時。
そう見ることもできます。
たいへんなこともあるかもしれない。
辛いことも起こるかもしれない。
目先のことだけ見たら「いやなこと、困ること」かもしれない。
でもこれを超えたら、何かが切り替わり、新しい姿が現れる、と思ってみてください。
試練は浄化のためにあります。
変わりゆく時代の気配
最後に一つ、知人の話を。
その人は海外をあちこち移動しながら暮らし、たまに日本に帰ってくるというスタイルの人なのですが、
先日の大きな台風の後、久しぶりに東京に帰ってきたら、
「なにこれ、東京変わってる!」
って思ったんですって。
それまでは、海外から東京に帰ってくると、全体に漂う重苦しくてイヤーな空気を感じて「ここ無理。いたくない」って感じていたんだそう。
でも先月の台風から後の東京は、パリッとしてスッキリして、全然違っていたんだそうです。
エネルギー感の違いなんでしょうね。
この方はべつにスピリチュアルの人じゃありません。
ふつうにビジネスをしている人です。
たまに帰ってくるからこそ、その違いがまざまざとわかるようです。
私は、確かにそういうこともあるんだろうなー、と納得がいきました。
今という時、土地レベル・無意識レベル・エネルギーレベルから、私たちはどんどん浄化が進んでいます。
次の時代が開かれようとする揺動が高まっています。
その見方を採用するしないは自由ですけどね。
今日の台風も、もちろんできることは万全に備え、小難で済むことを祈りながらも、ゆったりとしっかりと浄化を受け止める心でいたいと思います。