京都に来ています。
去年までの感じだと、今頃は桜も程よく咲いている頃のはず。
しかし今年はあまりに寒くて、
色んな桜の名所も蕾のまま待機状態です・・・残念。
こればっかりは事前にわかることではないので仕方がないですねえ。
この旅は、わが家にとっては卒業旅行ともいえるのです。
夫は会社員生活を卒業。
私はこれまでの音楽家人生のようなものを卒業して、
4月からは大学へ入学します。
2人にとって大転機のこの春であり、
ここからお互い、本当に歩きたい自分の道へ向かって満を持して踏み出す、
待ちに待った春でもあるのです。
私が大学に行くのは、音楽療法を学ぶためです。
実は昨年の暮れに社会人入試を受けて、合格を頂いていました。
幸い、以前卒業した大学の単位が使えるので、
3年次から編入ということで、2年間の学生生活になります。
優雅な出来心のように見られるのもある程度覚悟の上ですが、
この数年間、自分と音楽との距離感・つきあい方を一旦白紙にして、
長い時間をかけて考えた上で決めたことです。
多くはいっぺんに語れませんが、
結局私は、純粋に音楽そのものよりも、
音楽をやる人が、どういう人間でどういう心の状態なのかとか、
音楽をしたり聴いたりすることによって人が、
心にどういう影響を受けてどう生きられるようになるのかとか、
そういう「人間」の方に興味があったんですね。
その「人間」のために、音楽という自分のリソースとスキルを
どんな風にでも、存分に使いたいと思うのです。
そして、音楽療法というのも最終的な「ゴール」ではなくて、
やはりそのためのリソースとスキルの一つとして
学び、経験したいことであるのです。
すごく昔、10年以上・・・20年ぐらい前かもしれません、
私は自分のノートにこんなような言葉を書いていたのを思い出します。
音楽によって光射した自らの心を人は喜び、
音楽のことは忘れ去られる。
それが最上の音楽である。
今になってあらためて、やっぱり私の音楽のスタンスって、
こういうものを理想とするかもしれないなーと思うのです。
もちろん、人の心に強烈に残っていつまでも存在し続ける音楽も
すばらしいし、それを芸術と呼ぶのかもしれません。
しかし私がそれをやる必然は感じないのです。
そういう意味では、
私は本来芸術家じゃないってことが、自分でよくわかります。
だからこそ、そういう自分の本質を本当に生きる道を、
ちゃんと選択して、本当にやりたいことをやっていきたい。
ワクワクすること、しないこと。
ヴィジョンが見えること、見えないこと。
じっくり選り分けていくと、浮かび上がってくるものがあります。
それを確かに感じたら、
それを信じて思い切って飛ぶこと。
そうやってわが家、2人して飛んでしまうこの春。
未知の世界が広がっているるる〜〜・・・
その前に、
京都をいっぱい楽しんできまーす!