どうしても自己肯定感が低いっていう人は
ほんとのところ
自己肯定感が低いと言うよりは
積極的に自己否定をしていることが多いです。
自分から、積極的に、わざわざ
自己否定をするんです。
自己否定できるようなネタを
これまたわざわざ探すんです。
それで、自己否定して
グサグサと自分で自分のこと責めて
辛がって力をなくします。
本人はあんまり自覚してないんだけれど
無意識では確実にそういうことやってます。
なぜか?
自己否定することに多大なメリットがあるからです。
自分で自分を責めて
辛がっていることに、
そんな力をなくした人でいることに
メリットがあるからです。
そうすると
生意気だと怒られずにすむとか。
よく反省できる謙虚で従順な僕(しもべ)だと認められるとか。
そう思われることで機嫌よく庇護してもらえるとか。
そうすることで
力を持ったあの人に怒りを向けずにすむとか。
実は怒りを持っていることがバレずにすむとか。
怒りを向けてしまって嫌われて生きていけなくなる事態が避けられるとか。
自分で自分を責めて
辛がっていることで
辛くてかわいそうなあの人と同じ思いをしてあげてると思うことができるとか。
かわいそうなあの人を置いてきぼりにして自分だけ幸せにならずにすむとか。
弱くてダメなあの人より強くて大きくならずにすむからあの人の機嫌を損ねずにすむとか。
「あの人」というのは
元をただせば親なんですけれども。
そんなこんなのメリットがあるからこそ
自己否定がやめられない。
本当に自己肯定感をなんとかしたい人は
自己否定をやめることの「怖さ」を引き受けること。
それが必要になるでしょう。
自己否定をやめたら
生意気だと怒られるかもしれない。
それでもいい、と。
もうよく反省できる謙虚で従順な僕(しもべ)ではなくなってしまって
傲慢で反抗的な輩(やから)に成り下がってしまうかもしれない。
それでもいい、と。
それによってもう機嫌よく庇護はしてもらえなくなるかもしれない。
それでもいい、と。
その怖さを、引き受けられるか?
自己否定をやめたら
力のある人(親)に怒りを向けたい自分に気がついてしまうかもしれない。
実は怒りを持っていることがバレるかもしれない。
怒りを向けてしまって嫌われてしまうかもしれない。
それでもいい、と。
自己否定をやめることで
辛くてかわいそうなあの人(親)と同じ思いは、もうしてあげないことになる。
かわいそうなあの人(親)を置いてきぼりにして自分だけ幸せになるだろう。
弱くてダメなあの人(親)より強くて大きくなって、あの人(親)の機嫌は悪くなるかもしれない。
それでもいい、と。
その怖さを、引き受けられるか?
その罪悪感を、手放せるか?
それを避けたいから
いつまでも積極的に自己否定をして
いつまでもダメだダメだと自分を責めて
辛い苦しいと言って
力のないみじめな自分という設定で生き続けることになる。
そんな自分でいることで
親を思って気遣って
不幸の中にい続けて裏切らないことが
愛の証だと思い続けることになる。
それを裏切るような罪深い自分になって
怖い思いをするくらいなら
自己否定をして辛がりながら生きる、
その方が安全だと思っている。
それこそがメリットです。
さあ、そのメリットを手放しますか?
それが、自己否定から脱出するための問いです。
実は、そんなことをしなくても
あなたも親もあの人も
大丈夫だった!
そんな世界が確実にあるということも
どこかで信じていてくださいね。