このブログでも講座でも何度も言っていますが、
あらゆる悩み、苦しみ、問題、葛藤・・・の根底には自己否定があります。
自己否定とはわかりやすく一言で言うと
「このままの私はダメだ」という感覚のことです。
「ダメだ」の意味するところは人によって違うけど、
・足りない(欠損感)
・価値がない(無価値観)
・悪い(罪悪感)
・力がない(無力感)
のどれか、あるいは全部だと思ってください。
これが、人間自我に仕込まれた4大自己否定だと言っていいでしょう。
はい、今「仕込まれた」と書きました。
そうです。
自己否定というのは、人間に生まれて自我を持ったら仕込まれる「プログラム」です。
誰に仕込まれるって?
この仕込みに、目に見えて直接手を下している人はいません。
社会構造として、家庭構造として、親子構造として、そして人間の自我構造として。
その中に生まれてしまったら、自動的にこのプログラムが仕込まれることに、構造上なっているのです。
だからその中で子供は「勝手に」自己否定の種を自分の中に育てます。
それがプログラム化してその人の中で発展し、もともとあった「いのち」を脅かしていくのです。まるで寄生生物のようです。
そうやってはびこった自己否定プログラムは、その人が本来持つ「いのちの種」の発芽を阻害します。
本来の個性、本来の力、元々の才能、魅力。
そのような「元々」に対して「それじゃダメだ」という阻害をかけるのが自己否定プログラムですから、元々の力や個性は押しつぶされ、伸びるはずもありません。
だからみんな、
「このままの私じゃ、ダメだー、ダメだー」っていうんです。
まんまとプログラムに言わされています。
だから苦しいし、プログラムを外さないかぎりやめられないんです。
自己否定プログラムが万全に作動すると
自分で勝手に「私が足りない」と言って自分を責めるから、理不尽な事態にも楯突きません。
自分で勝手に「このままの私では価値がない」といって、誰かにとっての価値あるものになろうとがんばって尽くします。
自分で勝手に「私が悪い」と言ってつぶれますから、好き勝手をしません。
自分で勝手に「自分には力がない」と言って行動しませんから、謀反を起こしません。
そうして、余計な自己主張をしない、個性バラバラに飛び抜けたりしない、個のエネルギーを出さず規格に合った「使いやすい駒」が量産されていくのです。
あーら、とっても便利。
誰にとって便利なのかは、考えてみてください。
どれだけ心の勉強をしても、何度もセッションや講座を受けても、
それでもいつまでも「自己否定がやめられないやめられない」といって苦しんでいる人がいます。
それは、プログラムであることを見抜けていないからです。
そこまでやってもやめられないんだったら、それはもう「癒されてない」とか「まだ自分に向き合いきれてない」とか、そういう問題じゃないと思ってみてもいいと思う。
プログラムにあっさり乗っちゃうからです。
自己否定プログラムは、いろんな形であらゆるところに仕込まれています。
油断すると、簡単に拾ってすぐに呑まれます。
電波みたいなものだから、拾って共振したらそのように動かされます。
だから
あんなにセッションしたのに!これだけ気づいたのに!
まだ自己否定がやめられない!
・・・・て
それはまた相変わらずプログラムをどんどん拾って、共振しているからかもしれない。
プログラムだって気づかないと、結局乗せられることになります。
「もう、私はそんなプログラムには乗らない!」って決めましょう。
そして、怪しげなプログラムの発信源からはなるべく離れましょう。
自分にとって良い環境を選んで作っていきましょう。
そのためには、
プログラムを「プログラムだ」と見抜ける、もう一人の確かな「意識の目」を育てること。
実はそのことこそ、重要なことです。
自己否定がとれるとか、解放されるとか、それも一つのステップとして大事だけど、実は究極的にはそこじゃないような気が、私はだんだんしてきました。
いっぺん解放されたって、また無自覚に乗っちゃうっていう、その脆弱性をなんとかすることもけっこう大事じゃないだろうか。
だから、ビリーフをリセットする(それはつまり「プログラムを解除する」ということだけれども)それも大事だけれど、それと同時に
ビリーフをビリーフだと見抜ける意識、
プログラムをプログラムだと見抜ける意識。
ビリーフもプログラムも自分自身ではなく、仕込まれたものにすぎないと、距離をとって離れられる意識。
これを育てることが、最強で無敵です。
それをマインドフルネス、といいます。
だから、ビリーフリセットとマインドフルネスは両輪なんです。
ビリーフリセットが正しく強力に作用するための、基礎体力のようなものがマインドフルネス。
マインドフルネスのしっかりした意識で、プログラムを見抜くべし。
そして「それには乗らない!」と離れるべし。
自己否定がやめられないと嘆くあなたには、一つの考え方としてそれをお勧めします。