見えない、気づかない、疑問を持たない「当たり前の壁」
人は、ずっといた場所にい続けているだけだと、そこがどんな場所なのか、実はあんまり認識できません。
あまりにも当たり前なので、あえて疑問も持たず、気づかないのです。
たとえば、生まれて初めて海外に行った時。
異国の街並みや人、文化に触れて刺激や驚きを感じます。
そして再び日本に戻ってきた時、その時はじめて「あー、日本てこういうところだったのか!」と新鮮な感慨を持つでしょう。
なんて道路がきれいなんだ、とか。
なんてみんな整然と整列してるんだ、とか。
おお、お釣りの額細かく確かめなくても安心なのか、とか。
それは、当たり前なのではなくて「日本がそうなのだ」ということに気がつくわけです。
山国に生まれ育ってそこから出たことのない人が、はじめて海のある広々とした土地に出向く。
帰ってきたらきっと「ああ、ここはこんなに山があるのだなあ」と、気づくでしょう。
毎日見てるはずなのにね、当たり前すぎて認識してない。
よくあることです。
比較対象がないと把握認識できないのが、人間の思考の特徴のようです。
見えない、気づかない、疑問を持たない。
これを「当たり前の壁」と言ってもいいでしょう。
だから、この「当たり前の壁」を破るためには、一度「当たり前の外」に触れる必要があるのです。
ビリーフリセットの瞬間はこうやって訪れる
さて、実はビリーフもまさに、そういう「当たり前の壁」として存在します。
ビリーフとは、意識できないでやっている「信じ込み、思い込み」です。
ビリーフの典型的な形の一つとして
「◯◯すると、△△になる」というパターンがあります。
たとえば「本当の自分を見せたら、嫌われる」とか。
これは信じている人からしてみると
「信じてるとかじゃなくて、だって実際そうでしょ?!世の中結局そうじゃないですかー!」
と言い張りたくなるほど、本人にとっては「当たり前」のことなのです。
でも、これはその人のビリーフ世界という「当たり前の壁」の中では、そうだ、ということ。
実はそう信じていない人からすれば「べつに、そんなことないけどな。」と言えてしまうことだったりします。
しかし「当たり前の壁」の中だけにいたのでは、どうしてもそれ以外がありえないし想像もできないので、そうとしか思えないんですね。
それが「当たり前の壁」の中のことだった!と気づくためには、一度「壁の外」に触れる体験が必要なのです。
自分一人では、ほとんど無理だと言えます。
だから、自分が全く知らない視点を教えてくれる心理の知識だったり、自分とは全く違う他人の感じ方を知ることがとても重要です。
そのように「外と触れる」という体験によって、やっと
「アレ?これって私がそう思ってただけ??」
という「アレレ体験(笑)」が訪れます。
そして「あー、私がその中にいただけなのかー!」と気づいてしまったら、ビリーフはリセットされたも同然です。
そうなってはじめて「当たり前の壁」の中がどんなに狭く、苦しく、しんどかったか、やっと認識できるでしょう。
この壁の中にいたから、こんなに狭く、苦しく、しんどかったのかー!と腑に落ちるでしょう。
そうしたらもう自然に「なんだ、その外があったんだ、外でもよかったんだ!」となって、もう狭く苦しいところには戻りたいとも思わないでしょう。
それが、ビリーフがリセットされた、という状態なのです。