すごく「愛」みたいに見える「かわいそう」の罠

「かわいそう」という感情

「かわいそう・・・!」という感情があります。

「かわいそう・・・!」と思う時、きっと眉はヘの字に下がり、ちょっと眉間にしわが寄り、胸の中からつかえるような何かがこみ上げてくるような・・・・そんな感覚を伴うのではないでしょうか。

そして、その胸からこみあげる何かとともに「私がなんとかしてあげなくちゃ!」という熱い思いも同時に湧き上がってくるかもしれません。

この状態が「かわいそう・・・!」という感情の状態ですね。

で、人によっては、この感覚がけっこう好きな人がいるんです。

もちろん、楽しいわけじゃありません。
むしろちょっと深刻です。
ちょっとしんどいような、困ったような、でも切実感のような。

だからご本人はべつに「好き」とは思ってないかもしれないけど
でもその状態にある時、妙に熱く燃えるものが、胸の内にかすかに存在することに気がつくかもしれません。

だとしたら、そんなあなたにとっては、この「かわいそう・・!」がなんらかの重要な意味を持っているのでしょう。

「かわいそう」が好きな人

「かわいそう」が好きな人は、けっこういろんな人や物事に対して「あらぁ、かわいそう・・・!」と眉をひそめることが多かったりします。

わざわざ悲しそうなニュースをみつけては「まぁ、かわいそう・・・!」と、こういう感情をよく味わっています。

そして「なんとかしなくちゃ!!」と使命感を燃やします。

「かわいそう・・・!」と「なんとかしなくちゃ!」は実はセットで回っていることが多いです。

それが悪いというわけではありません。
人の悲しみ苦しみに共感できる、情に熱い人であるともいえます。

でも、どこかでわかっておくといいこともあります。

「かわいそうゲーム」という罠があることを。

「かわいそう」と思って「なんとかしなきゃ」と行動する。
そうすると、何かあなた自身にとって「いいこと」があるのです。

その「いいこと」が好きで、それが欲しくて、「かわいそう」な人を設定し、いつも「なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ」と奔走する。

それを自分で作って回しているとしたら、それは自作自演の「かわいそうゲーム」。

さて、その「いいこと」とは何でしょうか。

愛、です。

説明しましょう。

世の中には「かわいそう」と思うことが愛だと思っている人がかなりの数存在します。
つまりその人の中では

かわいそうと思うこと= 愛 という定義になっているのです。

「かわいそう・・・!」と思って、眉はヘの字に下がり、ちょっと眉間にしわが寄り、胸の中からつかえるような何かがこみ上げてくる・・・その瞬間

「ああ! 私、愛している!これが愛だわ!」とエクスタシーを感じるのです。

「かわいそうゲーム」は愛と絆の実感

愛といっても、これは男女の間の話というよりは、実は元はといえば、母と子の間の話です。

かわいそうと思うこと= 愛 という定義を持った母は、我が子のことを「かわいそう!」と思って深刻な顔をして、「なんとかしなきゃ!」と手を出し口を出し、「私がいないと!」と子供に張り付いて自立させません。

かわいそうと思うこと= 愛 という定義を持った子は、我が母のことを「かわいそう!」と思って深刻な顔をして、「なんとかしなきゃ!」と気を使い役に立ち、「私がいないと!」と母に張り付いて自立しません。

そして両者、「だってそれが愛だもの!」と愛を実感するのです。

かわいそうと思う = 愛

これが愛だと思っているのです。
「この愛によって、私たちはつながっている。」
そう思っています。
絆の実感だから、うれしいのです。

絆を実感しながら「私がなんとかしなきゃ!」と奔走していると、自分はとっても愛情深く、役に立つ人のような気分になれます。
愛のために、こんなに尽くす私。やってる私。すばらしい私。
自己肯定できるのです。

繰り返しますが、この人の中の定義は

愛 = かわいそう ですから

愛を満喫するためには、相手が「かわいそう」である必要があります。

だからいつまでたっても、「この子はかわいそう」なまま。
いつまでたっても「お母さんはかわいそう」なまま。

このままいっても、かわいそうじゃなくなる日は永遠にこないでしょう。
「ああ、もうかわいそうじゃなくなったから、あなたも一人で大丈夫ね。」と言える日はこないでしょう。

なぜなら、かわいそうじゃなくなったら、自分が困るからです。

こういう方たちにとって、「かわいそう」と思うことをやめてしまったら、「愛すること」をやめてしまうも同然。
愛がなくなってしまうも同然。
そしたら、絆が切れてしまう。孤独になってしまう・・・・それがこわいので、「かわいそう」はやめられないのです。
「かわいそう」以外の「愛」をわからないので、愛するためには「かわいそう」をやり続けます。

愛がゆえの、絆をつなぎたいがゆえの
これが「かわいそうゲーム」です。

どうして「愛」が重いのか


これで双方ほんとに幸せならいいんです。
「かわいそう、かわいそう」と言って、言われて、言い合って、本当にうれしいならね。

でも実は、「かわいそう」と言われて、「なんとかしなきゃ」と手を出され口を出される側の人、というのは、けっこうしんどいんだよね。

「そうじゃないし!!」って言いたくなることも多いと思う。

「なんか重い・・」って感じることも多いと思う。

「そういうふうにしてほしいんじゃなくて・・・なんか違うんだけど・・・」と違和感や重たさを感じながらも、でも相手が「愛」であることがわかっているから、嫌だと言えない。やめてと言えない。「違う」と思う自分の方こそ冷たい人間なんじゃないか、悪いんじゃないかと思う。

そんな葛藤がいっつもモヤモヤ、グルグル、するんじゃないでしょうか。

「愛」のはずなのに、なんでしんどいんだろう。なんで重いんだろう・・・?

それは相手が「愛」のつもりで「かわいそう」をやっているからです。

「かわいそう」はハッピーなエネルギーではありません。
喜びではないからです。
眉間にしわよせて、深刻になって「ああ〜〜!」ていうアレですからね。
あれを注がれても、注がれた側にとっては喜びにならないのです。

自分のために、相手が眉間にしわよせて深刻な顔して「ああ〜〜!」って言ってる。
「なんか、ゴメン・・・」て思いませんか。

そうです。
愛のつもりで「かわいそう」をいっぱい注がれた人は、「ゴメン」の気持ち・・・つまり罪悪感がどんどん募ることになるのです。

罪悪感ほど不幸に直結するものはありません。
ここでは詳しく述べませんが、罪悪感はあらゆる不幸の元。百害あって一利なし!と私は考えています。

実は「かわいそう」をやる方も、やられる方も、この罪悪感の毒は廻っています。
「かわいそう」をやっていると、お互いに幸せにはなりません。
わざわざ一緒に不幸の中にとどまり続ける、「もろとも不幸同盟」のようになっていったりします。

かわいそうなこの人だけ見捨てて、私だけ幸せになるわけにいかない!
足抜けはご法度!
私たち、どこまでも一緒に苦しみます!
だって、これが愛だから!

そんなふうに「かわいそう同盟」を組んでいる親子が、いかに多いことか。

でありながら「しんどい、苦しい」と言っています。
でありながら「出られない、やめられない」と言っています。

そうなると、「愛とは苦しいもの」になってしまいますね。
それって本当なんでしょうか?

愛の定義、何を選ぶ?

要するに、「かわいそう」は愛のように見えて、人を幸せにはしないということです。

てことは、それって本当に愛なんですか??
ということにもなります。

「かわいそう」も確かに、愛の一つの側面としてありかもしれません。

でも、愛に次元があるならば、そして人が幸せであることや、人が輝くことが次元の高いことなのだとすれば、「かわいそう」は人が幸せにならないという意味で、愛の中でもまだまだ次元が低い状態なんじゃないかなあと私は感じています。

「かわいそう」だけが、本当に愛ですか?

「大丈夫」は、愛ではないですか?

「なんとかしなきゃ」が愛ですか?

「そのままで見守る」は愛ではないですか?

もっと他に、いろいろな「愛」はないのでしょうか?

愛の定義はさまざま。
そして、それぞれ、好き好きです。
好きな愛の定義を選べばいいでしょう。

だから「愛とは、かわいそうと思うこと」という定義が好きならいいでしょう。どうぞ。

「愛とは、大好きということ」という定義を採用している人もいるでしょう。

「愛とは、相手と自分が同じということ」という定義を採用している人もいるでしょう。

「愛とは、してあげること、してもらうこと」という定義を採用している人もいるでしょう。

「愛とは、責任を果たすこと」という定義を採用している人もいるでしょう。

ちなみに、私の好きな愛の定義は

愛とは、それでいいということ。
愛とは、そこにいていいということ。
愛とは、大丈夫ということ。

そんなかんじです。

これが正解というわけではありません。

きっと愛に正解はないのだろうと思います。

でも、自分はどの定義を採用するのかが、自分のあり方と人生を決めていきます。

さあ、あなたの「愛の定義」はなんでしょうか?


この記事を書いた人

大塚 あやこ

大塚 あやこ

人生転換の専門家・心理コンサルタント/作曲家/ピアニスト
一般社団法人ビリーフリセット協会 代表理事
 
東京芸大作曲科卒業後、演奏家・作曲家として活動。アーティストのツアーサポートや編曲、アニメやドラマのサントラ作曲等を手がける。
 
音楽での燃え尽き体験をきっかけに、心理カウンセリング/セラピーへ転身。
悩みの根本原因に迫るオリジナルメソッド「ビリーフリセット心理学®」を提唱し、がんばっているのに生きづらい人や、人生の転機に直面した人などを新しいステージへと導く個人セッションや講座を開催。「ビリーフリセットで人生が変わった!」という人多数。
 
活動6年で延べ4,000名以上の人生を好転させてきた他、カウンセラー養成講座も開催し門下の認定カウンセラーを多数輩出している。

◎一般社団法人ビリーフリセット協会代表理事
◎ツナゲル株式会社代表取締役

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