「自分を愛する」って何?
「自分を好きになりましょう」
「自分を愛しましょう」
などと、よく言われます。
人によっては、もうさんざん
聞き飽きてるかもしれないし
あるいは、おそらく
そんな言葉を聞くと
「そんなことわかってるけどー!
でもそうは思えないんだってば!」
とか
「自分のこと好きとか、愛とか、
なんか気色わる〜」
なんて思う人もいるかもしれません。
私個人的には、
自分のこと、好きにならなくてもいいと思っています。
さらに
「愛する」なんて言い方も
しなくてもいいと思っています。
どうも「愛する」っていうとね
「好き」のもっと深くて激しいやつ
みたいなイメージないですか?
ラブラブ〜♡とか、さ。
私、それは「愛」とはちょっと違うような気がしてる。
愛にまつわるイメージや解釈が、
実はけっこう人によって違うんです。
だからしょうがないんだけど。
私の考える「自分を愛する」とは
どんなかんじかというと
どんな自分のことも、
「いていい」と自分で言えること。
自分の中の、たくさんの自分
私たちの中には
できない自分も
気が弱い自分も
ダラダラしちゃう自分も
わがままな自分も
すぐにイラッとくる自分も
人のこと批判しちゃう自分も
暗い自分も
後ろ向きな自分も
います。
もちろん、その逆の
いわゆるポジティブな自分も含め
いろんな自分がいます。
どれも、みんな自分の中にいる、
小さな自分一つ一つだと思ってみましょう。
しかし私たちは、
いわゆる「よくない自分」をみつけだしては
「こんな自分はいちゃいけない!
消さなければ!なくさなければ!」
と排除しようとします。
「よい自分」と思う自分だけに存在許可を与えて、
自分の中ぜんぶを
まるでオセロゲームのように
全面「よい自分」に変えなきゃいけないと思っています。
そのためには
「よくない自分」に消えてもらわなきゃいけない。
だから、一生懸命退治しようとします。
克服という名の「征伐」をしに出かけます。
それは自分の中の小さな自分を
自分自身が抹殺する行為です。
「おまえは存在してはいけない!消えろ!」
といっているわけです。
これが愛じゃないのはよくわかりますよね。
抹殺される側になってみたら
とっても恐ろしいことです。
だから、つらい。こわい。
死にたくなるほど悲しい。
そりゃそうですね。自分自身に
「おまえは死ね」と言われているんだから。
自分を愛せないというのはこういうことです。
じゃあ逆に
自分を愛するとはどういうことかというと
「よくない自分」も含めて、
自分の中にいるすべての自分に
「いていいよ」と言って
そこにいさせてあげることです。
存在を許可することです。
どんなにヒドくても、できなくても。
でも、そういう自分にも
「いていいよ」と言ってあげましょう。
大丈夫。
「いていいよ」と言って
そこにいさせてあげたところで
悪いことは何も起こりません。
むしろ実は、そうすることで
今までさんざん起こってた悪いことは
起こらなくなってくるでしょう。
実のところ、まったく逆なんです。
私の好きな愛の定義。
愛とは「いていい」ということ。
「自分を愛します」なんて言わなくていい。
自分のことを好きにならなくていい。
ただ
どんな自分にも
「いていいよ」だけ言ってあげよう。
それならできそうな気がしませんか?