秋の高野山へ行ってきました。
高野山は標高が高いため季節の巡りも早く、ダウンコートが丁度良いほどの肌寒さ。
おかげで紅葉真っ盛りに当たりました。
私にとって高野山はこれで4回目。
毎回来るたびに、なんらか書き残しておきたくてこんな過去記事があります。
1回め 高野山へ行ってきました 2013年6月
2回め 今年も高野山へ行ってきました 2014年6月
3回め 五大に皆響きあり・高野山、静けさの中に音を聴く 2015年7月
一般的なことはけっこう書いているので、今回はまた違った側面から感じたことを綴ってみたいと思います。
高野山は、弘法大師空海が開いて以来今年で1200年。
今でさえ、大阪・なんばから南海電車に乗って約3時間。最終行程は、急勾配のケーブルカーに乗ってまさに深山幽谷といったところを登った先、さらに山路をバスに乗ってたどりつく、山の上の一大仏教都市です。
行くたびに素朴に感動します。
「なんでこんなところに、こんな大規模なお寺作ったかなあ!?
しかも、交通も動力もなんにもない1200年も昔だよ?」
弘法大師を慕って弟子がたくさん集まり修行の場として栄えただけでなく、各時代の有力者が次々と寺院を建てたため、最盛期には2000近いお寺があったそうですから、その求心力はすごかったわけです。こんな山奥に!
そして全国の名だたる大名や有力者、皇族等が次々とこの地に墓所を作り、奥の院参道には20万基ともいわれる墓石が延々と並んでいます。
この光景も圧巻です。
それで思うのは、
テレビも新聞もネットもない時代。
交通だって歩くか馬か、ぐらいしかない時代。
どうしてみんな
「高野山に行くと空海さんがいて、こんなお寺があるんだって」
とか知ってるんだろう?
で、「自分も高野山へ行きたい!」とか思ったって
ガイドブックも地図もない時代、
どうやって行き方がわかったんだろう?
人づてに聞きながら行けるんだろうか。
そんな情報を知っている人に、
どうやったら出会えるんだろうか。
全国の大名がお墓を作りにくるわけだけど
「高野山にお墓を持つのがステイタスだぜ!」なんて
どうやって全国に広まるんだろうか。
そんな素朴な疑問がたくさんわいてきちゃいました。
ていうか全部、クチコミだよね?
ほんとに、伝聞・口伝えの、リアル・クチコミ。
そうやってあらためて考えると、
昔の人の伝聞力、クチコミ力って驚異的って思う。
マスメディアが一切なくて、時間がたくさんあって、
ていう中で、人々はものすごい勢いで
そのへんの人と口をきいていたんじゃないだろうか?
今じゃ考えられないほど。
馴染みの人とも、通りすがりの人とも、
見知らぬ人とも、旅の人とも、流れてきた人とも。
話して聞いて伝えて。
また聞きして話して聞いてまた伝えて。
そして、たぶんものすごい勢いで
手紙なんかも書いていたのかもしれないねえ。
それから、たぶん昔の人は
機械化でマヒしてしまった現代人よりも
野生のカンや直観的な感性も鋭いだろうから
必要な情報にちゃんと出会えるような巡り合わせを
引き寄せていたのかもしれない・・・・
なんて、いろいろと妄想は膨らみます。
というわけで、高野山にて
昔の人たちの凄みを感じ、
昔の人たちの伝聞力・クチコミ力について思いを馳せたのでした。
こちらは、宿坊・一乗院の芸術的な精進料理。