高野山に行ってきました
6月の最後の日、高野山に行ってきました。
高野山はこれで3回目。
去年、一昨年も6月に行ったのですが、その時は研修のため大人数での合宿でした。
今年も6月になったら、なんだか無性に行きたくなって、
こんどはじっくりひっそり、一人で行くことにしました。
高野山は、弘法大師・空海の真言密教の聖地。
深山幽谷を切り開いたような高地にあり、
金剛峰寺を中心として、周囲に多数の塔頭(たっちゅう)が密集する
独特の町です。
といっても、ほどよく観光化もされているので宿坊も豊富。
ネット予約もできますし、設備も整っているので
一般の観光客・参拝客にはなんの不自由もありません。
高野山に来たら、宿坊に泊まって精進料理を食べる、というのが
スタンダードな楽しみ方です。
今回の私の目的は、
弘法大師・空海の存在の空気を感じること。
そして、とにかく静かに過ごすこと。
静けさや鳥の声、さまざまな音・響きを味わうこと。
もちろん、どこであろうと山に行けば静かかもしれませんが、
高野山は、1200年間の祈りの濃密な空気が脈々と、
そこらじゅうに漂っている感じがハンパでなく、
静けさと落ち着きにさらなる「深み」があるかんじなのです。
これが「弘法大師・空海の存在の空気」というものではないかと
自分では感じています。
ふだん、六本木のど真ん中にいるので、
この静けさがなによりもの贅沢。
特に夜は、本当に深い静けさに感動します。
最初の夜は運よく、澄みきった空に、
満月間近の月を眺めることができました。
窓を開け放って、
ただただ静寂を聴き、月を眺める。
これほどの贅沢はありません。
そして、朝は鳥の声。
宿坊のお部屋では、朝夕にウグイスの谷渡りが聞こえてきました。
奥の院への道すがら、
カッコーをはじめ、知らない鳥の声がたくさん聞こえました。
奥の院、玉川の水の音。
そして最奧の弘法大師御廟の前でも、不思議に美しい鳥の声が聞こえました。
街では、折に触れて響きわたる、鐘の音。
宿坊では、任意で朝のお勤めに参加できます。
6時の開始前に、合図の鐘が鳴ります。
そして、声明と読経の声。
シンバルのような法具と、磬子(けいす・リンの大きいもの)の音。
2日目の夜からは雨が激しく、
木造2階の天井からは雨の音が降り注いで、
上から包まれるような心地がしながら眠りました。
3日目、大荒れの朝、
ざわめく木々に雨が降り注ぐ音も乙なものでした。
五大に皆響きあり・耳では聴こえない、世界の響き
弘法大師・空海は
「五大に皆響きあり」といいました。
もちろん私には解りかねる境地だけれども、
すべてのものに、存在そのものの波動(周波数)を感じていた弘法大師の心を、私なりに思ってみたりします。
それは耳で聴こえる音ではありません。
弘法大師のような、心の眼、心の耳で聴くと
おそらく世界というのは、
多彩に豊かな響きに満ちているのだろう・・・と。
それは私にとって遥かな憧れでもあります。
高野山に来ると、
私でも、自然やいたるところの空気に、
なにかそういう響きの片鱗のようなものを
感じられるような気がします。
そのように
静けさも含めて
贅沢な「音体験」ができる場所。
ぜひ、心静かに
そしてお友達同士でもおしゃべりは控えめに、
空白の間合いを味わいながら
行ってみられることをおすすめします。