間違えると泥沼にはまる「自分が変われば」
「自分が変われば、世界が変わる」
とか
「他人は変えられない、変えられるのは自分だけ」
とか。
少しでも「より良く生きたい」と願った人なら
一度は出会ったことがある言葉ではないでしょうか。
「良く生きたい」というか、
はっきり言って
「この苦しみをなんとかしたい」
と思っている時の方が、実際のところ
より切実かもしれませんね。
そういう時に、こういう言葉と出会う。
そして
「そうか!あの人じゃなくて、私が変わることなのね!」
と思って
「わかった。じゃあ私がもっと努力する。
私のどこが悪かったんだろう。
何を変えたらいいんだろう。
どういうふうに思えばいいんだろう。
どういう態度をしたらいいんだろう。」
と試行錯誤しだしたりします。
あ〜〜、それ!
ちょっと待って、それヤバイ!
それ、めっちゃ落とし穴あるから。
ヘタにそれやると
ますます泥沼にはまって
あなたはもっともっと
苦しむことになるので気をつけて。
なんでそんなことが言えるかというと
まさに、20年前の私がやったことだからです。
「私が変わる」はソコじゃなかった!
1度目の結婚中、ドロドロに苦しんでいた時私は
まさにこういう言葉に出会って
「そうか!私が変わることでなんとか解決するぞ!」
とがんばっていました。
そして何をしたかというと
もっと相手に合わせて
もっと相手を思いやって
もっと相手にやさしくして
もっと相手のすることに我慢して
もっと相手を受容しようとして
もっと相手の機嫌に敏感になって
もっと自分が気をつけて
もっと自分が反省して
もっと自分が忍耐強くなって
もっと自分が低くなって
もっと自分ががんばって
・・・・などなど。
それでどうなったか。
ますます修羅場に拍車がかかりました。
あ〜あ〜あ ┓( ̄∇ ̄;)┏
今ならわかります。
「私が変わる」はソコじゃなかったんです。
「私が変わる」を解決策にする場合、
まず
どういう私が、この問題を呼んでいるのか
の認識を正しくすることが大事です。
あの時の私の場合
「どういう私」だったかというと
自分の尊厳・価値が低くて
反省するのが良いことだと思っていて
忍耐強ければなんとかなると思っていて
それゆえ
自分が悪いんだと自分をおとしめて
相手に合わせて我慢して思いやって
相手の機嫌をよくさせるようにがんばれば
うまくいく
と思っている私。
でした。
今ならわかりますが
そういう自己価値の低さと共依存こそが
その問題を呼んで巻き込まれている
一番の原因だったのに
そういう私が、ますますがんばって
もっと相手に合わせて
もっと相手を思いやって
もっと相手にやさしくして
もっと相手のすることに我慢して
もっと相手を受容しようとして
もっと相手の機嫌に敏感になって
もっと自分が気をつけて
もっと自分が反省して
もっと自分が忍耐強くなって
もっと自分が低くなって
もっと自分ががんばって
・・・てやってたら
全然変わってないじゃん!!ヽ(ι´Д`)ノ
てことです。
ていうか
ますますターボかけてどうする!
って話よね(^ ^;;
というわけで、ますます事態は悪化して
どうにも限界極まったところで
私もやっと目がさめるきっかけを得た次第。
「やり方」を変えるんじゃないんだよね
これほど、
「私が変わる」ということは
一筋縄じゃいかないことなんですよ。
「やり方を変える」んじゃないんです。
「どうすれば、こうすれば」じゃないんです。
「こうしてみたら?」じゃないんです。
「する」レベルの話じゃない。
「ある」レベルの話!
自分という人間を動かしている前提を
根底から変えることです。
こういう私が、
そうじゃない私に、変わる
というのが
「私が変わる」だったんですよ!
「自分をなくして相手に合わせる」ことが
「私が変わる」じゃない!
ってことです。
これはわからなかったなあ〜。
共依存タイプの人は、
ここ、ものすっごい落とし穴だから気をつけて。
つまり私のケースでいえば
自分の尊厳・価値が低い私
から
自分の尊厳を取り戻し、自己価値の高い私
に変わること。
やたらに反省・自分責めする私
から
自分が正しいと自信を持つ私
に変わること。
忍耐強く黙って我慢する私
から
我慢も忍耐もしないでやりたいようにやる私
に変わること。
相手の機嫌を見て右往左往する私
から
自分の機嫌を感じて自分の軸で動く私
に変わること。
これが、この時の私にとって必要だった
「私が変わる」ということ。
もちろん、これは私のケースですから
「こういう私」と「そうじゃない私」の姿は
人によって違うはずです。
共依存タイプじゃない人には
また別の「変わる」があると思います。
でも、どちらにしても
どういう私が、この問題を呼んでいるのか
の認識を正しくすることが大事
ということ。
「自分が変わる・私が変わる」には
くれぐれも気をつけて!
さて、次回は
じゃあ、どうやったら
「どういう私が」を正しく認識できるの?
というお話です。