やめたいのにやめられない心理

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やめるのはたいへん

「ほんとはやめたい。でも、やめられない・・・」
そう思って、
不本意でも、ガマンしても、愚痴を言っても、それでもまだそこに居続ける。
そんなことって、ありますね。

仕事、職場、組織、団体、グループ、サークル、
教室、コミュニティー、何らかの活動・・・
取引関係、師弟関係、夫婦関係、恋愛関係、交遊関係・・・・
(あ、今回は、タバコやギャンブルなどを「やめたい」は除きます)

「やめるのは、始める時の数倍のエネルギーがかかる」という話も聞いたことがあります。

やめられない理由はいろいろ浮かぶ。
それを考えたら、やっぱりやめない方がいいような気がする。

「もう嫌だ、これは違う」ということはよくわかっているのに
それでも、なんでなかなかやめられないんでしょう。

山ほどある「やめられない理由」

「いや、やめようと思うことはある。でも、踏み切れない・・・」
そんなかんじかもしれません。

「だって・・・でも・・・今は・・・まだ・・・いずれは・・・」
と、なんだかモヤモヤしたまま、ずっと保留しているのかもしれません。

本当にやめたくない、やめないつもりなら、それでいいでしょう。

でも、本当はやめたいのになぜか行動を起こせないとしたら、その奥には、自分自身を足止めさせて制限をかけている、否定的なビリーフ(思い込み・信念)が隠れているかもしれません。

あくまでも仮説であり私の想像ですが、「やめたいのにやめられない心理」の奥にどんなビリーフがあり得るのか、ちょっと考えてみたいと思います。

わかりやすくするために、仮にいろんなタイプの人に登場してもらって、やめられない理由を語ってもらいましょう。
もちろん、これは特定の誰かをモデルにしたわけではなく、心理的傾向の代表選手というかんじで作ってみたものです。

状況が整っていないから

Aさん
「だって、現実的に考えたら、アレもこうだし、コレもそうなってないし、
ソレもまだまだ、いや〜、無理でしょう〜。」

状況が整っていない証拠がたくさん挙がる。
もちろん、これは冷静な現実認識にもなり得ますし、そういう事実も確かにあるでしょう。
その認識を元に「では、どうしていくか」の計画につながれば健全ですが、いつまでもそればっかり言っているようであれば、もしかしてそれは、やめたくない本当の理由(つまり本当に恐れていること)を隠すための、表向きの理由である可能性があります。
そう言っておけば、なんとなく論理的にやめない理由がついて、やめずに済むからです。

では、その表向きの理由のさらに奥には、何があるのでしょう。

どうなるかわからないから

Bさん
「やめてもうまくいかなかったらどうする?もっとたいへんになるかもしれないし、どうなるかわからないじゃないか。先が見えない。後で間違った!と後悔しても遅いんだぞ。」

結果がわからない、未来が見えないということが、リスクだとしか思えない。
うまくいく可能性よりも、最悪の事態の方にリアリティがあるようです。

この場合、まずは「失敗したら終わりだ」「失敗することは人生の終了を意味する」といったような「失敗」に対する絶望的な定義づけが潜在意識に入っている可能性があります。

それから、何でも悲観的にとらえ、常に最悪の事態を考える「悲観ビリーフ」が発動しているようにも思えます。
このような思考は、リスク管理という意味では有効な側面もありますが、そればかりに焦点すると、結局「やらないことが一番安全」ということになり、何も動かすことはできなくなります。

さらに深読みすると、このBさんの奥には「自分は無力だ」というビリーフが隠れている可能性があります。
未来がどうなるかわからないのは万人共通です。

そして、何かをすれば何かが起こるものです。予想外のことや、たいへんなことだってもちろん起こるかもしれません。
それが起こらないことの保証がほしいといってもそれは無理。
そういう諸々を、その都度どうにかしながら生きていくのが現実といえるかもしれません。

Bさんは「どうなるかわからない」という外側の状況を挙げていますが、実はもっと深いところで、そういう状況において
「どうにかする力や、なんとか切り抜ける力が、自分にないんじゃないか」とか、
「自分には無理・・・」という根源的な無力感、自分自身の力への不信があるかもしれません。

この部分のビリーフに向き合ってみること。
そしてもっと言えば「どんな状況になっても、どうにかなる。自分が自分であることにおいて大丈夫。」
という根源的な(根拠のない)自己信頼と世界信頼を肚に決めることができるかどうか。

こを探求してみると、違う景色が見える可能性があるのではないかと思います。

他の人に悪く思われるのが恐い

Cさん
「やめるなんて言ったら、あの人にもこの人にも迷惑をかける。あの人の嫌がる顔が目に浮かぶ。絶対反対される。みんなに色々言われる。世話になった人達を悲しませることになる、きっと傷つけてしまう。裏切り同然だ。恩があるのにそんなことするわけにいかないじゃないか・・・」

義理と人情が立ちはだかり、いろんな人の「嫌な顔」が浮かび、
罪悪感がヒリヒリする。

Cさんは、元々とても人が好きで、つながりを大切にする愛情深い方なのかもしれません。

けれど、その性質が残念な方に転がると、「自分のことよりも他人のことを優先しなければならない」と自己犠牲的になってしまう「犠牲ビリーフ」や、「全ての人に愛されなければならない」といった非現実的な条件付けにしばられてしまう可能性があります。

他人の思惑に反して自分自身の意志を通すことを「わがままだ」「自分勝手だ」ととらえ、「そのようなわがままや自分勝手は、罪悪であって許されることではない」とうビリーフが入っているかもしれません。

このような傾向のCさんのさらに奥には、根本的な「無価値感」が隠れている場合があります。

「ありのままの自分は無価値だ」というコア・ビリーフ(根源的な恐れ・自己否定)があるからこそ「人の役に立たなければ、好かれなければ、喜んでもらえなければ、自分は価値がない」と駆り立てられて、他人のためにばかり生きることになる・・・
そんな「補償」というパターンをやっている可能性があります。

さらに、「人に嫌われたら生きていけない」という生存の恐怖ともいうべきビリーフ。
これは誰にとってもけっこう根深いものですね。

このビリーフは、私たちが幼い頃に親の庇護を必要とする段階で強力に刷り込まれるもののようです。
つまり完全に親に依存するしかない幼子にとって、親に嫌われることは世話してもらえないことを意味する死活問題であり、最大の恐怖ですから、
なんとしてでも「好かれなければ、愛されなければ」と、親の価値観に自分を合わせて適応しようとするのです。
その古い恐怖が、大人になって自力で生きられるようになった今でも色々な場面で発動する、と考えられます。

もちろん、嫌われるよりは好かれる方が生きやすいかもしれませんが、嫌われることを過剰に恐れると、いつも他人の機嫌や顔色のために自分の人生を脇においてしまうことになります。

スティーブ・ジョブズが「他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。」と言っていたり、
今話題のアドラー心理学で「嫌われる勇気」と言われていたりすることは、
まさにこの「嫌われる恐怖」から卒業することが、自分の人生の主人公として生きることにつながるんだということを意味しているように思われます。

スティーブ・ジョブズ I
ウォルター・アイザックソン
講談社

自分の感覚が信じられない

Dさん
「いや・・・嫌だとか、やめたいとか、これは違うんじゃないかとか、そう感じる自分の方こそ違うんじゃないか。こんなことでそんなふうに思うなんて甘いんじゃないか。自分の方が間違っているのかもしれない。こんな自分の判断はマズイんじゃないか。世間の人はそんなことぐらいでガタガタ言わずに乗り越えてるのかもしれない。自分の我慢が足りないのかもしれない。」

自分の感じ方、思い方を疑いだし、
自分の未熟や甘さに厳しい目を向けています。

私事になりますが、以前の私はまさにこういう感じでした。
何か感じそうになっても、すぐ「そう感じる自分が違うかも」と否定してしまうのです。
だから、そのうち自分が本当は何を感じているのかもわからなくなるし、とにかく自信がなくて仕方ありません。

このような場合、まずは思考回路が「〇〇すべき」「〇〇すべきではない」「〇〇しなきゃいけない」「〇〇してはいけない」という外側からの「正しさ」を基準にしていることが大きいでしょう。

親から言われたこと、先生から言われたこと、世間の常識、前例や多数意見・・・そのようなものの中に「正しさ」があって、その正しさを自分が学ばなければ一人前になれないかのような感覚。

それはある意味「まじめさ」であり、このDさんは親の言うことをよく聞く「いい子」だったのかもしれません。

けれども、自分以外の何かに「正しさ」や「正解」があると強く信じすぎていると、当たり前ですが自分のことは信じられなくなります。「自分は未熟で、ほっといたら間違う存在だ」と自分を規定していることになります。

そのほか「自分は足りない」「自分は甘い、まだまだだ」「自分の感覚はあてにならない」など、こういうビリーフ群をビリーフシステム理論では「欠陥ビリーフ」と名付けています。

参考記事

 

これが入っていると、「まだまだ!まだダメ!」と自分にムチ打って、疲弊してもなお自分に辛くあたる・・・という果てしのない「自分イジメ」をし続ける可能性があります。

自分の感覚や感情こそ、自分自身のいちばん確かなもの。
他ならぬ自分がここを信じられないのでは、いつまでたっても外側の基準をうかがって不安に揺れ動き、外側に「確かなもの」を求め続けます。
けれど自分の判断を信じられないので、やっぱり不安から逃れることはできません。

「欠陥ビリーフ」に向き合い、自分の内なる感覚を信頼していくプロセスが、変革の鍵になるかもしれません。

人生は自分との闘い

Eさん
「辛くても苦しくても、乗り越えてこそ成長するんじゃないか。人生は修行なんだ。途中で投げ出してたらいつまでたっても乗り越えられない。人生甘く考えたらダメだ!克服しなければ!自分に負けるな!」

修行系、根性系ですね。
「やめたい」なんて思ってしまった弱い自分にカツを入れています。

「人生とは修行である」「苦しみを乗り越えてこそ、成長するのだ」
「成長とは、弱い自分と闘うことだ」「弱点を克服することが向上なのだ」
そういうビリーフを持っている方がいらっしゃいます。

向上心、克己心が高く、成長意欲も高い。事実、このようながんばりによって著しく成果を上げたり、達成したりできることも少なくありません。

ビリーフは人生のポリシーですから、それをご本人が好きで、幸せになるのに役に立っているのなら何の問題もないのです。

このタイプの方は、苦しい修行や克服のプロセス自体に充実感を感じている場合が多いので、それを他人がとやかく言う筋合いはありません。お好きならどうぞ。

でも、どこか「いいかげん、これちょっとツライわ・・・」と感じていたり、「一体いつになったらゴールにたどり着くんだろ?」と疑問がわいたり、がんばりすぎてポッキリ折れてしまったりした時に、このビリーフを問い直してみる必要があります。

なぜなら、このビリーフの奥には「本当はダメな自分」というコアな自己否定が前提になっている場合があるからです。
そして「弱さ」に対する嫌悪感。
本当は弱くてダメな自分。だからこそ、そんな弱さを「克服」する必要がある。だからこそ力ずくでがんばってきた・・・そういう「補償」というパターンが存在します。

参考記事

 

もちろん、がんばることが悪いわけではないのです。

けれども「本当はダメな自分」という自己認識をコアに置いたがんばりというのは、重いものを引っ張りながら進むのに似ています。それで思い出すのはコレ!
アニメ「巨人の星」の「重いコンダラ」(笑)

kondarer

ほんとはこれは「ローラー」なんですけど、通称「コンダラ」と言われてるアレです。

「弱くてダメな自分」という自己認識を引っぱりながら前に進むのは、確かに足腰強くなるかもしれませんが、しんどいです。
ある時、燃え尽きや病気などという形で「強制ストップ」がかかることもあるかもしれません。

そんなふうに立ち止まった時、
「『ダメな自分』と思わないと努力できないのだろうか?」
「『素晴らしい自分』としてがんばったらどんな結果になるだろうか?」
「本当に、苦しまないと成長できないのだろうか?」
「喜びながら楽しく成長するという可能性はないのだろうか?」
「弱さがあったら本当にいけないのだろうか?」
などを自分に問いかけてみると、新しい扉が開けるきっかけになるかもしれません。

けっこうポジティブに考える

Fさん
「いろんなこと学べたし、感謝するべきなんだ。楽しいことだってあったし、良くしてもらった。自分にとってここは学びと成長の場だ。恩返しのためにももう少しがんばらなきゃいけないな。あと○年を目標にしよう。うん、もう少しがんばってみる(涙目)」

ずいぶん物わかりが良くって、模範的な答えですね。

Fさんはおそらく、とても賢くて前向きで人間関係も良好、そして学ぶ意欲も高く、有益だと思われる考え方は積極的に取り入れて、基本、ポジティブ志向の人かもしれません。

Fさんがここで言っていることは自然に説得力があるかんじで、立派です。心からそうしたいと思ってがんばれるのなら、それは幸せなのかもしれません。

しかし、もう一つの可能性として考えられること・・・。
少し穿った見方ですが、ちょっと「ほんとに心からそう思ってます?」と言いたくなるフシがないではありません。

「学び、成長、感謝、恩返し」などの言葉や「物事の良い側面を見る」などの姿勢が、どこかで学んで来たことをそのまま受け売りしているような・・・ホントのホントの本心から数センチ浮いているような・・・
そんなニオイがあるとしたら、もしかしてFさんは、本当は見たくない「ホントの気持ち」を見ないために、ポジティブな考えで自分を納得させている。そんな可能性があるかもしれません。

なぜなら、その「ホントの気持ち」を見てしまったら、そのパンドラの箱を開けてしまったら、これまで自分がやってきたことや、現在自分の立っている地面そのものからグラグラ揺れて、全部問い直しになってしまうかもしれないから。

そんな地殻大変動みたいな大ごとになってしまったら、どうしていいかわからないから。そんな状況を自分が乗り越えられる気がしないから。

もしかしたら、ですけどね。

しかし、だとしても「見ない」という選択がいけないわけではありません。そこまで深く突っ込まず、そこそこ満足のいく人生が送れればOKじゃないか、という考え方だってもちろんありです。

全員がホントのホントの本心から生きなければいけないとか、パンドラの箱を開けなければいけない、というわけではないのです。

一方で、やむにやまれず、魂が本当に新しい大地を望むがゆえに、パンドラの箱を開けて果敢に地殻大変動へと突き進んでしまう人達がいます。
それはそれで、エキサイティングな冒険になるでしょうし、その勇気は称賛に値します。

どちらも人生、好きな方でいいと思うのです。

 雲が外れれば、青空が現れる

というわけで、
「やめたいのに、やめられない」という心理を題材に、色々考えてみました。

もちろん、こんな例ばかりではなく、実際はそれぞれの背景と事情というものがあるので、決めつけることはできません。
ここに書いたことはほんの一考察です。

そして実際「やめた方がいい」とか「どっちがいい」ということも、私が言うことではありません。
それはそれぞれがご自分の心に聞いて決めること。

ただ、いつもモヤモヤして、同じところから出られないとしたら、
ビリーフという見方・考え方を提案したいと思うのです。

ビリーフという「雲」のようなものを一つづつ検討して手放していくと、クリアーな青空が現れます。

その青空のような心になった時
新しい答えや、可能性があったことに気づく・・・・

そんなふうに考えてみるきっかけになればと思います。

「やめる、やめない」だけの話ではなくて、あらゆることに「自分を制限するビリーフ」というのはつきまとい、
同時に「望んでやまない魂の衝動」というのも確かに存在します。

この2つにどう整理をつけていくのか。
本当に望んでいることは何なのか。

心の声を聞きながら、自分の内側へ問いかけていく道のりは
深く、興味が尽きません。

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この記事を書いた人

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大塚 あやこ

心理コンサルタント/講師/音楽家
一般社団法人ビリーフリセット協会 代表理事
ビリーフリセット・クリエーションズ株式会社代表取締役
 
東京芸術大学作曲科卒業後、アーティストのツアーサポートや編曲、アニメやドラマのサントラ作曲等を手がけ約20年活動。
音楽での燃え尽き体験をきっかけに、心理カウンセラーへ転身。
非合理な思い込みを外して本来の力を解放するオリジナルメソッド「ビリーフリセット®」を提唱し、人生の転機に直面した人を新しいステージへと導く個人セッションや講座を開催。「ビリーフリセットで人生が変わった!」という人多数。
カウンセラー養成講座も開催し門下の認定カウンセラーを多数輩出している。
現在はカウンセラー養成の枠を超えて「リーダーズ講座」として長期講座を開催。経営者やリーダー層からの信頼を得て、企業研修にも発展。企業向けオンライン講座「Udemyビジネス」で「はじめての傾聴」動画講座が登録者1万8千名を超えるベストセラーとなっている。

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