前回、「やめたいのにやめられない心理」ということで、何かをやめるということについて書きました。
人さまが「やめるか、やめないか」については私が言えることではありませんが、自分のことについてはかなりいろんなことを「やめた」経験があります
今日は、そんな私の「やめた自慢」(笑)をしたいと思います。
ざっと私の仕事歴
私は、芸大を出たときから一度も就職というものをしたことがありません。
学生の頃からやっていたホテルやレストランでのピアノ演奏の仕事を皮切りとして、冠婚葬祭の演奏、イベントの演奏、アーティストのバックバンド、バンドのライブアレンジ、弦楽器等のレコーディングアレンジ、ミュージカルのアレンジ、ミュージカルの作曲、自分のバンドの作曲、アニメやドラマの劇伴作曲・・・など、音楽のフィールドで様々な形態の仕事を変遷しながら経験してきました。
本当にやりたいことへと舵を切っていくためには、それまでやっていたことを「やめる」という決断がどうしても必要になってくることを、私は体験的に知ったように思います。
やめた1・冠婚葬祭の演奏
私はある時、結婚式での演奏に「なんか私、もうコレ違う」と感じはじめました。
「これは私のやることじゃない」という感じ。
いえ、それは「このアタクシにこんなコトをさせるのか〜ッ!」という傲慢な気持ちじゃなくて、冷静に「私が本来この先ずっとやることではない」というかんじです。
ある時期までは、そんなことは感じなかった。
でもある時期からそう感じるようになった・・・
ということは、それは「卒業」の季節なんだと思います。
だから私は「もうこれはやらない」と決めました。
心に決めたらそういう仕事は来なくなりました。
やめた2・レストランでの演奏
ホテルやレストランでの演奏は、毎週毎月スケジュールが決まっているので、安定した収入源になり得るものです。
私は学生時代から10年以上、基本収入としてこういう仕事があり、いちばん最後は銀座の高級フランス料理店で、ヴァイオリニストと2人でシャンソンや映画音楽などを演奏するという、恵まれたステキな現場にいたのですが、これもある時「もう私、これは違う」と感じ始めました。
「だって、私がやっていきたいのは作曲家でしょう?これをこのままやっていても作曲家とは全然違うよね?」と。
やりたいことは自分からやっていかないといつまでたっても進まないと思ったので、ある時「やめる」と言いました。
おそらく周りの人は「なんで!?」という感じだったと思います。
「いい仕事じゃないの、どこに不満があるの?」
「なんで!もったいない!」
「やめちゃって大丈夫なの?これからどうするの?」
「何考えてるんだ」
そんな声もあったんじゃないかな〜。でも知らんわ(笑)
私の人生だから。
私がちゃんと歩いていけばいいって思えました。
実際、やめてもその後は大丈夫でした。
やめた3・ジャズのセッション
私は学生時代からずっとジャズピアノを習っていて、ジャズクラブで行われる勉強会的セッションにも時々参加していました。
しかし「どうも私は本気でジャズが好きなわけじゃない」「私はジャズマンめざすわけじゃないんだよな〜」という思いがいつもありました。
でも「勉強だから、経験だから」とがんばって練習し、参加していました。
しばらくしてある時、「あー、私ジャズやりたいわけじゃない。こういうセッションやりたくないわ。」と正直になっちゃった瞬間があり、「やりたくないことはやめた!」と決めてもうやらなくなりました。
サッパリした!
やめてもその後困ったことはありませんでした。
一時期ジャズをやったことは、今でも良い「引き出し」としてしっかり機能しています。
やめた4・結婚
一度めの結婚は、お互いをちっとも向上させないどころか、そのままいけば共倒れになって地獄絵図・・・とう未来が目に見えるような最悪の関係性でした。
・・・ということがきちんと把握できるようになるまでの数年間、本当に苦しんだけど、ある時そのことが明らかに腑に落ちて「やめる」と決心しました
もちろん周りに反対する人はたくさんいました。「後悔するよ」などとも言われたし、きっと「根性が無い、わがままだ」とかも思われたりしたんじゃないかなー。
でもね、周りの人達っていうのは、その人達なりの経験と価値観でモノを言っているにすぎないのであって、本人の実情をどこまでわかってるのかっていったら、べつにわかってるわけじゃない。
私が肚を決めたら、協力者も現れてきちんと整理がつき、人生は良い方向に進みだしました。痛い思いしたけど、いろんなこと学びました。
この「やめた」は我ながらアッパレな決断だったと思います。
やめた5・宗教
ある宗教に何年か関わっていたことがあります。
そこの方たちとは仲間のように親しくしてきたけれど、だんだんとその方向性や視野の狭さが自分に合わないと感じるようになりました。
今の自分にはもう必要ない、と感じて「やめる」と決めました。
「なんで?」「何があったの?」「何か不満だったの?」などと言われたけど、「何があったから」じゃなくて、自分にとっては必要がなくなったから「卒業」。
やめたらその後もっと視野が広がり、いろんなことを学び、人生の可能性が広がりました。
宗教っていうのはやめるのにある「恐怖」がつきまとうものです。
でも私はよくスッパリとやめたと思う。
これも我ながらアッパレです。
やめた6・音楽
そんな風に色々「やめる」ということをしながら舵を切ってきて、自分の作曲家としてのキャリアもそれなりにできてきたかと思った頃、燃え尽きました。
「何で音楽やってるんだろ?それが何?だから何?」ってなって、音楽のことを考えたりピアノを弾いたりするのがすっかり嫌になりました。
このへんまでくると、私の自分的人生の教訓は「嫌なことはやめたら」になっているので、極力音楽をやるのやめました。
最低限の仕事はしていましたが、積極的に動くのはやめました。
いっぺん音楽をやめたその頃、今の夫と出会いました。
そういう時期に、ちゃんと支えになってくれる人を用意してくれる、天の計らいってスゴイ・・・って思いました。
そうやって、自分が本当にしたいこと、以前から好きだったことを洗い直し、なんにもない自分にリセット。
その後、音楽療法や心理療法の分野にシフトしました。
音楽業界的な「作曲家」であることをやめました。
そして今、人の心に関わったり、夫とともに皆さんの人生サポートのお手伝いをしたりするようになり、そして音楽に関しては、新しいやり方でまた関わるようになりつつあります。
何かの肩書きや役割をやめても、音楽はいつも私の中に私と共にあり、私は変わらず「音楽の使い手」であることがわかったから、何かを失った気はしていません。
今はとても充実しています。
やめた7・田端のスタジオ
2013年4月にセラピーとレッスンのためのスタジオとして田端に物件を借りて開業しました。
その後、予定外に自宅の麻布引っ越しがあったりしたため、スタジオも麻布に引っ越した方が色々な意味で利があるような気がしてきました。そう思い始めたのが昨年秋。
普通に考えたら「1年も経たないのに、しかも十分に利益も出ていない段階でまた引っ越し!?ありえない!」というのが常識的な考え方かもしれませんが、でも、ここでリスクをとっても後々のために麻布の方が得策と判断して、田端を「やめた」!
たちまち良い物件がみつかり、12月に麻布に移転しました。
麻布に来てみたら、たくさんの方が「便利、来やすい、いいところみつかったね、ホッとする場所」などと言って下さり、会計もとりあえず黒字になってきました。
やっぱり、これでよかったみたい。
やめても大丈夫だった
というわけで、私の個人的な経験を元にした結論は
・違うと思ったことはもうやらなくていい
・やめても大丈夫
・いっぺん手を離さないと、次のものはつかめない
ということです。
ただし、何かが不満で「もうこんなところはやめてやるーッ」というやめ方には注意した方がいいかもしれません。
それよりも、「これが今の自分のステージに合っているか」そして
「このことが自分の今後の人生を幸せにすることに本当につながるのか?」
とハートに聞いてみることが大事かと思います。
そう考えた時に「もう違う」と思ったら、卒業。
それでいいと私は思っています。
そして、もう一つ
「やめるんだったら最初からやらなきゃいいのに。考えが浅いんじゃないの?」というご意見もあるかもしれませんね。
私はそれについては、「やったからこそわかることがある」と思っています。
やめたら、やったこと自体が無駄だったのかといったら、そうではないと思うのです。
やってみるから、色んなことを学ぶし、やってみるから次にどうする方がいいのかが見える。
学ぶだけ学び、するべき体験をしたら「卒業」の時が訪れる。
実際にやってみないとわからない。
時には痛い思いして身にしみることもあるもんです。
でも自分の体験から腑に落ちたことは必ず「肥やし」になります。
自分にとっても。
それをシェアすれば、似たような状況にある誰かのためにも。
だからといって、全ての人に何でもかんでも「やめれば」と言うつもりはありません。
「やめる・やめない」どちらを選んでも、それぞれが道。
それぞれに素晴らしい人生があるのだと思います。
ましてや、自分の意志に反してやめざるを得ない事情の方だっているのですから、私などが能天気なことを言えるものではありません。
だけどね、こんな私だからこそ、本気で何かをやめたい人の相談や、心の整理のお手伝いで、何か役に立つことができたらなーって思うんです。
なんたって、仕事、結婚、宗教 っていう、人生でもっともやめにくい3大テーマ(自称w)をクリアしてますからね(^ ^)
やめることに関する肚はかなり座っているつもりです。
やめられない逡巡、わかります。
やめる勇気、応援します。
きっと大丈夫。