それは「人はけっこうできないし、わからないものだ」ということです。
人がわかるようになるためにどうする?
できない人にイライラするのはなぜ?
教える者が言ってはいけない言葉とは?
など、人を育てることについての大切なこと。
透明になってゆけ
新しい時代を軽やかに生きるために
頭と心がちょっとクリアになる
今日のお話。
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人はできないし、わからないものなのよ
こんにちは。大塚あやこです。
今日お届けするのは
人はできないし、わからないものなのよ
というお話です。
人は意外とわからない
わたしの以前の職業は音楽家でした。
音楽学校で教えるという講師の仕事もしていました。
10年ぐらいですね 。
ピアノとかアレンジ、作曲なんかを教えていたんです。
そこから、今は心の講座でカウンセリングを教えています。
これも10年近くなります。
この間いろんな生徒さん、受講生の方とお会いしていろいろと教えてきました。
そんな中、実感することがあります。
「人はわからないし、
できないし、つかめない」
なんか身も蓋もないようですけど、そう思っておいたほうがいいよ、ということ。
みなさんも誰かに教えるっていう経験はきっとあると思います。
お子さんに何か教えたり、職場で部下や後輩ができたらやっぱり教えたりしますよね。
教えるっていうことは、自分がわかっていることを人に伝えることなので
私たちはつい、自分のわかり方で教えてしまいます。
「こういう風に言ったんだから 」
「こうやって教えたんだから 」
「だからわかったでしょ?」
って思うんだけど
意外とわかっていないものなんですよね。
あれ?わかってなかったんだ、とか
一生懸命教えても なんだかできない、とかね
こういうことってありますよね。
人によって回路が違う
これはなぜか?
人によって回路が違うんだ、と私は思っています。
自分がAという回路で理解して実践できることが
相手にはそのAという回路は持ってないかもしれないんです。
Cという回路は持っているかもしれない。
Aじゃ伝わってないのかも。
じゃあBならどうかしら?
Cならどうかしら?
こういう迂回路のような、違うルートのようなものを、引き出しとしていくつか持っておくっていうのが
教える者として必要なんじゃないかなと思います。
人っていうのは本当にいろいろで
すごく感覚的でふわっとフィーリングで捉えるようなタイプの人もいる。
そういう人にはふわっとした表現でふわっと伝えると、ふわっと伝わっちゃったりするけど
逆に、凄くロジカルに組み立てられてたらわかります、っていう人もいるわけです。
体感でわかる人もいますよね。
「とにかくやってごらん」
「やってみたらこうでしょ?」って
やってみないとわからない、っていう人もいますね。
そんな風に、人は使ってる場所がどうも違うんですよね。
そういう違いがあるんだ、ってことをわかっていると
「言ったのに何でわからないの?」
「何度やってもどうしてできないの?」なんて
イライラ、カリカリする必要もなくなるのかなって思います。
「言ったらわかるはず」は大間違い
言ったらわかるはず
そもそも、それが間違いだったりしますよね。
言ってもわからなかったりする
そう思っていた方がナチュラルかもしれないですね。
そして、そんな風に工夫して一生懸命伝えたつもりでも、わからない時はわからないんです。
これも事実。
つまりそれは
「その人の時が来ないとわからない」ってこともあるんですよ。
今はわからないなら、それはそれで「今はわからなくていいよ」って。
「今はとりあえずそうなのかな、って思っておいてね」って
私はそんなふうに言うこともけっこうあります。
お花が咲くには
ちゃんと芽が出て、茎が伸びて、葉っぱが出て、その次にお花咲く時期があるように
きっと人もそれぞれ、その人ならではの時期、「時」っていうものがあるんですよね。
そう思っておくことで、こちらも余裕を持てたりします。
それが相手の方も尊重できることになるんじゃないでしょうか。
教える上で言っちゃいけない言葉だなと思うのは
「何でできないんだ!?」
っていうことね。
これは質問しているようで質問にはなっていない。
「何でできないんだ?」って言っても、できないから習いに来てるわけですから
先生がそれを言っちゃおしまいであってですね、
その人が何でできないのかを見抜いて、原因を掴んで「じゃあこうするといいよ」という方策を示す。
これが教えるものの仕事じゃないでしょうか。
だから「何でできないんだ?」
これはまったく意味のない質問でもなんでもない
自分の苛立ちの表現ですよね。
できないと怒るのはなぜか
でもこのように、人ができないことに苛立ってしまう、この心理って本当によくあります。
よくあるのは「ピアノの先生が怖かった」という話。
私、何十人も聞きましたね。
「昔ピアノやってたけど、先生が怖くって・・」って。
できないと怒るんですよね。
それが怖いわけ。
では、どうして先生はできないと怒るのか?
その先生自身が、できないことですごく怒られてきたからです。
涙を流しながら「できないのはいけないんだ」と頑張ってきたからです。
だから、できないということは許されないことになっているんです。
そういう人が先生になり、生徒ができないという姿を晒すと
自分の中の「いけないんだ」っていう地雷が発動するんですね。
できないっていうことに反応してしまうんです。
理屈じゃなくて
「なんでできないのっ!!!」とカーッと頭に血が上ってしまう。
できないってことを、それぐらい恐れているんです。
結局は自己受容
だから教える側になる人に必要なことは
自分のできなさを認めて
受け入れていること。
だと思っています。
「自分にもできない時があったよね」
「しょうがないよね」
「そうやって1歩ずつできるようになっていくんだよね」
「わからないこともあるよね」
今だってべつに完璧にできているわけじゃないですよね。
だから、できないものはできない。
わからないものはわからない。
そして、それでいいんだっていう
結局「自己受容」ですね。
自己受容をすればするほど、自分の器は大きくなります。
いろいろな引き出しもいろいろ出せるようになります。
そうすればいろいろなタイプの人を受け止めて
それぞれに合った引き出しから、何か道具を出していくこともできるかもしれません。
そんな風に、教えるっていうのはすごく奥深くて工夫のしがいのある、面白い仕事だなって思います。
その人が「何のお花の種なんだろう?」と考えて
そのお花が咲けば良いのであって
自分と同じ花を、同じように、同じ時期に咲かす必要はないんです。
その人の咲くべき花が咲くように
伸びるべき枝が伸びるように
そんな風に願って人と関わっていたいな、って思います。
今日は
わからない人にどうしたらわかってもらえるか。
できない人にはどうやってできるようになってもらうか。
つかめない人には何を示したら掴んでもらえるか。
それを一生懸命考えて工夫し続ける。
時にはわからないことも受け入れて、その人自身の時を待つ。
それが大切じゃないかな、というお話でした。
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