「エルヴィス」という映画を観ました。
昨年、2022年に公開されたエルヴィス・プレスリーの伝記映画ですね。
公開時に見たかったけれど見逃して、やっとビデオで見ることができました。
音楽シーンをふんだんに盛り込んでエルヴィスの生涯を描きながらも、敏腕/悪徳マネージャー「トム・パーカー」の目線から描いているのが特徴的です。
映像や音楽もすばらしくよくできていて、もちろん主演俳優のエルヴィス「なりきり」ぶりも驚くべきものでした。
時代の雰囲気もさまざまな映像効果を通じて巧みに表現されて楽しめたし、テンポの良い編集なども素晴らしく、映画として非常に優れていると感じました。
★以下、思い切りネタバレありなので気にする方はご注意。
エルヴィスの功績
エルヴィスの最大の功績は、1950年代のアメリカという、まだまだ白人と黒人が厳格に差別分離されていた状況下で、
彼が白人でありながら、黒人音楽の感覚を白人として表現し、白人社会に黒人音楽を持ち込んだところにあると言えるでしょう。
彼は家が貧しかったために黒人居住区で育つことになりましたが、その結果、ブルースやゴスペルなど独特の黒人音楽文化に触れ、それを身をもって吸収することになりました。
幼少期から親しんできた黒人音楽の原初の生命力に満ちたエネルギーを、エルヴィスは独自に統合・昇華していきました。
これが彼の音楽愛の原点であり、それゆえに彼の天性の才能が開花し、世界的レベルの影響力を持つに至ったのです。
始まりはいつもここであり、戻るところもいつもそこであった。
そんな彼の熱い「コア」が、切ないまでにいつも彼を駆り立てていたことがよく描かれています。
スターの物語
しかし、スターになるということは大変なことです。
この映画でも、エルヴィスの「スター街道」の光と闇がさまざまに描かれています。
洋の東西を問わず、スターの物語には典型的なパターンがよく見られます。
それは貧しさからの脱出と巻き返し。
貧しい家に育った子供が親の苦労を目にし、貧困からの脱出や、家族を助けたいという強い意志を持ち、自身の才能を開花させてショービジネスの世界で成功するというパターンです。
そこにしばしば「悪徳マネージャー」や共依存関係が登場し、トラブルを引き起こすという典型的なストーリーとなることもあります。
エルヴィスの場合も、彼の両親や、敏腕でありながら素性の怪しいマネージャー「トム・パーカー」との共依存関係が存在しました。
共依存の沼
エルヴィスの母親は息子に強く依存し、それが彼女の心労や健康問題につながりました。
父親も弱いところがあって家族を支えきれず、結局息子に頼るようになりました。
エルヴィス自身も母親の機嫌で一喜一憂し、彼は頼りない父親や家族を支えなければならないプレッシャーのもと、ひたすら「歌って稼ぐ」ことに邁進していきます。
このような共依存関係が親子の間に存在しつつ、エルヴィスはスターとして成功して巨万の富を得ることになります。
そうするとますます家族や取り巻きが、彼にぶら下がるようになります。
これも日本・海外を問わず、たくさんのスターさんたちの例でよく聞く話です。
家族がまずぶら下がってくる、親類縁者がぶら下がってくる、よくわからない取り巻きがぶら下がって、そして何より一番重要なビジネスパートナーであるマネージャーや事務側が最大にぶら下がってくる・・・
ということで、このように親との共依存を背負ってしまう人は、だいたい他でも共依存的な関係がいつもつきまとってくることになるのですね。
エルヴィスにとっての精神的な頼り先であった母親が亡くなった後、その役割が「大佐」と呼ばれるマネージャー、トム・パーカーへと移行し、彼との共依存関係が一層深まりました。
マネージャーの彼には、ビジネス展開やスター街道を爆進するための多大な力をもらいつつも、やっぱりお金を吸い取られていくし、
お金のために不本意なこともやらされたりして、エルヴィスは納得できずにブチ切れることもしばしばあります。
しかし、よくないとわかっていてもやめられない。離れたくても離れられない。
まさにそれが、共依存。
エルヴィスは葛藤の中、最終的にこの共依存沼から出られなくなってしまったのだなということが、この映画を見ているとよくわかります。
飛んだ鳥は降りられない
一度飛んでしまったら、止まると落ちる!という恐怖がついて回ります。
最初は「家族を救い、巻き返す」という欠乏動機で始めたこと。
もちろん最初はそれによって、ものすごいパワーを出すことができます。
しかし、欠乏動機で始めたものは、欠乏動機で回り続ける。
貧乏や屈辱を巻き返すんだ!という 「巻き返しエネルギー」を回していくと、どれだけ何を得てもその欠乏感は埋まらないのです。
だから「まだまだ!いつかの日か!」と飛び続けるしかない。
そして、一旦羽ばたきを止めると欠乏のどん底に落ちるという恐怖。
エルヴィス自身の言葉で、象徴的なことが語られていました。
それは、足のない鳥のたとえです。
「足のない鳥は一度飛んだら着地することができない。地面に落ちたら死ぬんだ。」
そんなセリフです。
これは本当のことではありませんが、欠乏動機によってそう感じさせられるのです。
だから、止めることができないのです。
どんなに「もう違う」と思っても、どんなに疲れ果てていても、心がYesと言っていなくても、
周囲の状況やお金との関わり、罪悪感や失うことへの恐れなどがあるため、絶対に止まることができなくなってしまいます。
彼はそうやって飛び続けることを選び、最終的に「落ちる時は死ぬ時」だったのかもしれません。
何年も先まで華やかなステージが予定されている中、ついに身体に限界がきて、42歳で生涯を閉じました。
死因は薬の過剰摂取とも、心臓麻痺とも言われているようです。
もう一つの道
ただし、そうではない別の道もあったことを思います。
それは一旦やめることです。
もう違う道に進みたい、もう疲れた、もう無理だと気がついたのなら、一度停止すること。
一部のアーティストさんやスターさんは、時々休養宣言や活動停止をすることがありますね。
それはまさに、自分を守る一歩を取れた方たちだと思います。
それは怖いことかもしれません。
休んだらファンが離れてしまうんじゃないか。
お金が稼げなくなるんじゃないか。
周りのビジネス関係の人みんなをがっかりさせたり、迷惑かけたりするかもしれないという、多大な罪悪感を背負うことになるかもしれません。
だから多くの人はやめられないのですが
ここで自分の命と魂を大切にして「やめます」と言えた人は、自分を守る道、自分を大切にする道へと、勇気を持ってシフトできるということになるでしょう。
その結果、何者でもない自分に戻って、また新たなステージで以前とは異なる活動を見つけることができる。
そんな道のりを辿った人たちもいます。
だから、そのまま限界まで飛び続けて死ぬか。
それとも
いっぺん自分に戻って、何者でもないものに戻って、また新しい自分として 何かを始めるか。
その結果、前のような売れ方をするとは限らないかもしれないし、慎ましい活動に戻る人もいるかもしれない。
よりパワフルに復活する人もいるかもしれないし、また異なる形で新たな可能性が開ける人もいるかもしれません。
人生にはそんな選択肢がいくつもあったりもするのです。
もしも、エルヴィスも他の道を選択していたら・・・などと思わないでもありません。
飛び続けたエルヴィス
しかし彼は、そんな出口を見出すこともできず、飛び続けながら散ったんだなと感じました。
晩年の彼の、もう一生抜け出せない「黄金の檻」の中で、やっぱりショーマンを続けなければならないプレッシャーや絶望たるや!というのが、映画では本当によく描かれていました。
そうでありながらも、そこにはやはり「歌・音楽」という生命力の湧き踊る原初のエネルギーがあり、「お客様からの愛」という莫大なエネルギーが満ちている。
それがステージ。
だからこそ、やめられない。
それがスター。
シャドウと共に輝きつづけたスターの物語
そうやって苦しみを背負って輝きながら果てていくスターの人たちの話も、この世界には本当に多いですね。
輝かしい舞台とスポットライト、注目、名声、富、成功。
そんな表舞台の裏で、さまざまな人々の思惑とともに巨大なお金を背負い、お金を背負うとさまざまな闇が浮かび上がり、共依存問題がこじれてゆき、
隠された自らの心の闇(シャドウ)がますます大きくなって顕在化し、多くの人々が巻き込まれていく。
アーティスト本人は消耗し、孤独になってゆく。
エンターテイメント業界はその規模が大きくなればなるほど、闇の渦も巨大になって押しつぶされていく人々も後を絶ちません。
これが最終的な芸術の姿ではないと思いますが、とても二十世紀的な時代の闇を背負って輝いていたのが、この時代のスターたちであったと感じます。
その切なさを含めてこれが時代の特徴であり、エルヴィス・プレスリーの生涯もまた、その切なさを背負いながらも輝き続けた素晴らしいスターの物語だったと思いました。
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参考記事:この人の人生もすごい!