「好きなことで食っていく」がここ数年、ある種のブームといってもよいでしょう。
その中でも、音楽をやってミュージシャンとして食えるようになるというのは、一般的にわかりやすい形での「好きなことで食える」の成功例に見えるかもしれません。
食えるとは、それでお金を稼ぐ、つまり「プロ」ということ。
今日は「プロになる人は、何が違うのか?」ということを、音楽の世界で見てきた私の実感からお話したいと思います。
プロになる生徒はここが違う
私はカウンセラーとして開業する以前、10年くらい都内の音楽学校でアレンジとジャズ・ポピュラーピアノを教えていました。
この音楽学校は基本的に20代の青年中心で、「プロになりたい」という人たちも多くいました。
私が直接関わった生徒さんの中で、実際プロになっていったのは、数でいうとだいたい2〜3年に1人ぐらい。
では、プロになる人と、そうではない人の違いは何なのでしょうか。
何年かに1人ぐらいプロになっていくそういう人たちは、運よく突然チャンスが訪れたわけではありません。
実際のところ、学校に来ている時から「あー、この子はプロになるな」というのはだいたいわかるものです。
正直言って、最初から差がついています。
プロになる子と、そうでない子はどこが違うか。
それは、まず
1. 既に10代の頃から、楽器やバンドなど、ある程度の音楽経験がある。
子供の頃から音楽がやれる環境かどうかは、もちろん家庭の事情等、外部の条件にもよりますが、
これはやはり、頭が柔軟なうちに吸収した方が圧倒的に有利、というのは芸事の定めのようなものかもしれません。
2. 聴いてきた音楽の量が多い。
3. 面白そうに、興味深そうに授業に参加している。欠席は極めて少ない。
4. 自分の意見を言ったり、質問したりが積極的。
あたりまえのようですが、これ基本。
私はこれを「食いつき力」と呼んでいます。
「食いつきがいい」っていうやつ。
要するに、それだけ好きかどうかってことなんですね。
好きだから。それだけ面白いことだから。
それだけのめり込んで、音楽のことを考えているのが楽しいっていうことですね。
5. アレンジに関しては、課題をちゃんとやってくる。
なおかつ、それを単に「義務だから」ではなく、自分なりの楽しいチャレンジとしてやってくる。
6. 楽器に関しては、毎週「ここまでは到達する」というレベルを自分で設定して、そこまでちゃんと練習してくる。
私はこれを「クオリティ感覚」と呼んでいます。
つまり、「これくらいのレベルまではやってきて当然でしょ」というクオリティのラインが、ご本人の中で元々高いのです。
そして、実際そのラインまで到達するように、時間とエネルギーを使って仕上げてきます。
この力は、まさにプロフェッショナリズムに通じる、最も大事な感覚です。
ほんと、これだいじ!!
・ちゃんと締め切りを守る。(あたりまえ!)
・ちゃんとしたクオリティに仕上げる。(あたりまえ!)
これ、依頼を受けて仕事をするプロフェッショナルとして、あたりまえのことですから。
プロになっていく生徒さんは、たとえ学校の課題であろうとも、その時の自分なりの実力いっぱいに使って、既にその感覚で向き合っているんですね。
しかし、これができる生徒さんは実際あんまりいません。
「できませんでした」
「やってません」
「まだ、できてません」
「今週は忙しくて」
「あれがこうで、体調がこうで」
とか言ってくる人がザラで。
やってきても、適当にチャチャッと間に合わせてる人もザラで。
やってないからといって欠席する人もザラで。
そういう人でプロになった人は、いませんね。
どれだけ「のめりこめるか」がプロの基本
だからといって、私はそういう人たちを責めるつもりはないんです。
「もっとちゃんとやれーッ!」とか
「近頃の生徒はなっとらん!」とか
言いたいわけではありません。
むしろ、逆。
それほど好きじゃないんだったら、やらなくてもいいよ?
ってこと。
そういうふうに色々言ってやらない人たちは、そこまで音楽にのめり込んでないってことなんだと思うんです。
そこまでのめりこむほど好きってわけじゃないってことだと思うんです。
てことは、他にきっと好きなことや、もっと向いてることがあるんじゃないかってことなんです。
早く、そういうこと探した方がいいんじゃないかな。
要は、どれだけ好きか。
のめりこめるか。
そのことばっかり考えているか。
何ごとも、プロであることの基本ていうのはそういうところにあるのだと思います。
もちろん、その上でセンスだとか才能だとかもあるけれど、たぶんそれは、その次の段階の話。
プロになる生徒さんたちは、そのへん、貪欲です。
好きだから。面白いから。やりたいから。
だから、もっと知りたい。もっと向上したい。もっとうまくなりたい。
これくらいのレベルじゃなきゃ納得できない。
だから、そのためにはどうしたら?こうしたら?といつも考えている。
それは結果として「努力」というものになってはいるけれども、本人、楽しいからあんまり努力だと思ってない。
そういうかんじです。
そういうところが、日々の授業でけっこう如実に見えるものです。
10年以上も先生やっていると
「あ、この子はプロになる子。」
「この子は違う道がある子。」
ってだいたいわかってきます。
本人には言わないですけどね。
やりたくないんだったら、それは好きじゃないのかも
音楽を趣味でやるのであれば、いくつになってもできるし、それだったら自分のできる範囲で、自分のペースでやったりやらなかったりすればいいわけです。
でも「プロを目指す」と言っているにも関わらず、そのために勉強をはじめたのにも関わらず、勉強や練習や努力という基本的なことを、どうもやる気がしないんだとすれば
それは実は
「その行為自体がそんなに好きじゃない」
ってことなんだと思うんです。
「ミュージシャン、かっこいい!」と憧れることと、その行為が好きかということとは、かなり別のものなんです。
楽器の練習が好きじゃないんだったら、楽器の演奏ってこと自体が、それほど好きじゃないんじゃないか、と。
アレンジの研究がめんどくさいんだったら、アレンジってこと自体に、それほど興味がないんじゃないか、と。
作曲するのがしんどいんだったら、作曲するという行為自体が、それほどあなたに合ってないんじゃないか、と。
そう思った方がいい。
だから、やりたくもない練習をイヤイヤ「やらなきゃ!」って焦ったり、やれない言い訳を考えたりしてないで、
「ああ、それほど好きじゃなかったんだ」
って、認めてもいいんじゃないかな。
その方が楽になります。
そして、本当に好きなこと、のめりこめることは何だろう?って
あらためて考えた方がいい。
「〇〇さんみたいになりたい!」とかいう憧れじゃなくて。
その〇〇さんがやっている、楽器なり、作曲なり、歌なり、その「行為」をしていること、そのものが
自分は本当に好きなのか、のめりこめることなのか、ということを考えた方がいい。
そして、そこまでのめりこんではいない自分がわかったら、「プロ」を考えるのはさっさとやめた方がいいでしょう。
人生の時間は限られているのだから。
他のことに時間を使いましょう。
もっと、自分らしい、本当に自分を活かすことのできる他の道が、きっとあるのだと思います。
それが、私が10数年間、音楽学校で教えた経験からの率直な実感です。
本当にやりたいことは何?
本当に向いてることは何?
本当に力を発揮できることは何?
ちょっとばかり音楽ができるようになることもいいけれど
そっちのことこそ本質だと思います。
そういう人生全体のヴィジョンやミッション探しのお手伝いをする方向に、私はますます向かっています。
本質ってそういうことかもね
・・・という上記の文は、2014年、私がその音楽学校を辞める直前に書いたものです。
まあ私も今よりはちょっと若かったので、若干とんがって厳しい言い方になってますねー(笑)
当時の自分的に、ハンパにさまよってるような人たちにちょっとウンザリしてたこともあったと思います。
現在私は心理カウンセラーとして、こんどはカウンセラーを育てるお仕事もやっていますが、音楽の世界だけに限らず、何の分野でも共通するところはあると思います。
本質は同じです。
今現在、「自分のゆく道探し」をしている最中のみなさんに、少しでも参考になればと思います。
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☆旧ブログ「大人の音楽レッスン」より
2014年4月に書いた記事を加筆修正しました。